テーマ:謎解旅行

謎解旅行ー46 卑弥呼再考ーⅡ

前ページで『邪馬壹国』の中の『壹』は、『臺』ではなく『壹』でなくて はならない、と書きました。 もう少し続けます、・・・・・ そして『壹』は『いち』・『い』・『ゐ』・『ウイ』、で、・・・ また、『委』も『い』・『ゐ』・『ウイ』、となり、・・・ 『壹』=『委』ということになります。 すなわち『邪馬壹国』を『邪馬委国』と…
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謎解旅行ー45 卑弥呼再考-1

今までいろいろな事象について縷々述べてきましたが、結局の ところ、この日本国に、近畿天皇家が神代(かみよ)の昔より今 現在まで唯一の王朝として君臨してきた、という・・・つまり、近 畿天皇家一元主義の考え方によって説かれた古代史。嘘に嘘 を重ねた論述に終始していた古代史。 その、極めて嘘に近い論説を打ち破るべく、近畿天皇家に先在…
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謎解旅行ー44 稲荷山鉄剣ーⅢ

さらに、話を進めます。 ④、「奉事来至」について、 『奉事』は漢文における熟語です。    (斉女) 王に奉事す。  ・・・・・・戦国策、秦策 といったように、“長上につかえる” という熟語です。(諸橋・漢 和辞典)また、『奉事』の『事(つかえる)』には、動詞用法として 二つの意味があります。   1、王に…
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謎解旅行ー43 稲荷山鉄剣ーⅡ

まず、疑問点の語句を素直に読み、前ページで言ったように、 中国古典を典拠に(細かくて面倒くさいが)解読してみます。 ①、文頭の・・・七月中記・・・・。    文尾の・・・百練利刀記・・・・・。        の「記」がダブりの形をとっています。   ここで、「記」~~~「記」と同じ様式の碑文を紹介してお   きます。高…
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謎解旅行ー42 稲荷山鉄剣銘ーⅠ

さて、いよいよ「稲荷山鉄剣」の登場です。 《卑弥呼ー39 三環鈴》で少しふれましたが、国宝の鉄剣です。 なぜ、国宝となっているかについては、のちほど書きます。 この国宝の鉄剣銘文を理解できれば、我々は二元史観どころ か、古代史の山頂上付近、すなわち多元史観の入り口に立つ ことができるのです。 古代には大和王国と九州王…
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謎解旅行ー41 江田船山古墳の太刀銘

熊本県の江田船山古墳の太刀の銘文についてです。 これは人物画像鏡(現在は埼玉県の稲荷山鉄剣もありますが)と 並ぶ古代金石文です。 例によって、まず、福山敏男氏の判読と読解を紹介します。 判読、・・・・・ 【治天下蝮□□□歯大王世、奉□典?□人名无□弖、八月中、用大鐺釜并四尺□?力、八十練六十捃三寸上好□刀…
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謎解旅行ー40 隅田(すだ)八幡神社の人物画像鏡ーⅡ

まず、・・・日十大王年・・・の「日十」は「ヒト」→「人」と表記します。 俀国の「多利思北孤」=「たりしほこ」=「足(タ)りし矛」、すなわち、 「足(タ)りし」は“豊富にある”という意で、「たりしほこ」となると、「足 (タ)りし矛」は「豊富にある矛・・矛が豊富に存在する国」となります。 「日十大王」は美称で呼べば…
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謎解旅行ー39 隅田(すだ)八幡神社の人物画像境ーⅠ

さて我々は、多元史観の八合目付近、いわば、・・・近畿天皇 家に先在する九州王朝の共在・・・、の二元史観にたどり着く ことができたようです。 近畿王朝一元史観では解き得なかった、いわゆる「七枝刀の (倭王・旨)」の銘文。また、目の前に立ちはだかり、その先が 見えないくらいの巨塔であった、「広開土王碑」碑文中の「倭」 の問題。そ…
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謎解旅行ー38 『襲国偽潜考』-Ⅱ

『襲国偽選考』の論述の前に・・・・・、 前ページ九州年号の評価ーⅡを書き終わったあと、ふと、ずーッ と、以前に書いた、【卑弥呼ー8(日本の天皇)】が脳裏をカスメ、 それを見開いてみました。・・・そうすると、どうでしょう、・・・的確 なAべ氏のコメントが繰り広げられていたではありませんか。・・・ 改めて、““我れ脱帽!””感嘆し…
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海東諸国記ー5 九州年号の評価 Ⅱ

前ページでは本題からは少しかけ離れてしまったけれども、もう 少し書かせてください。 いわゆる「岩井の反乱」は日本書紀側の立場に立ってかかれた もの。 それを九州王朝側に立って考えてみると逆に「継体の反乱」とな る。 「日本書紀・継体紀」では百済本記の““天皇及び太子、皇子倶 (とも)に崩薨(かむさ)りましぬといえり…
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海東諸国記ー4 九州年号の評価

前ページで書き忘れていたことがありました。 海東諸国記の継体紀についてです。 日本書紀は、(六世紀後半に成立した)百済本記から引用して 継体天皇の死亡年を「継体二十五年(531)・辛亥」とした。 十五世紀に成立した「海東諸国記」には、「継体天皇紀・辛亥の歳」 に「発倒」という年号が建てられたという記事が、書かれていた。…
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海東諸国記ー3 九州王朝の年号名について

「海東諸国記」全文を紹介してくれたのも、Aべさん。 それを真っ正面から見て疑問点を投げかけてくれたのもAべさん。 ・・・とことごと左様で、何から何までお世話になりっ放し、・・・で特 に、色々な新情報を教えていただいて、申し訳なく、有り難いと思っ ています。 ・・・・・でも、これからもよろしくお願い致します。 さて、「海東…
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海東諸国記ー2 Aべ氏ご指摘の海東諸国記を見て

Aべ氏ご指摘の「海東諸国記」全文の九州年号と思わしき年号 が載っている部分をサッと見ではなく、すこし腰を据えてジっクリ 見てみました。 すると、今までの「海東諸国記」にたいする私の理解の仕方が 少しズレていたことに気づきました。(Aべさんの疑問としていた ことが、はっきりとここで飲み込めました。さすがAべさん洞察力 が凄い)…
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謎解旅行ー36 閑話休題Ⅵ-「正始元年鏡」

Aべさん、謎解-35、に対するコメントありがとうございました。 少しでも、ご納得のいくところがあったでしょうか? またよろしくお願いいたします。 さて、 「正始元年」鏡について書こうかと考えていたのですが、この件 については「謎解-33」で、大方書いてしまっていたことを忘れ ていたようです。 そこで、昨夜(2010…
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謎解旅行ー35 閑話休題ーⅤ「景初三年鏡」と「正始元年鏡」

「景初三年鏡」 昭和26年、和泉黄金塚(大阪府)から出土した六面鏡の一つに 「景口三年」という紀年鏡がありました。 この年の四月、東京国立博物館で開催された日本考古学協会 の大会で小林行雄が、「景口三年鏡」にはじめて出会った時の 印象を書いています。 “““ところが回覧された鏡の写真を拝見した時に、率直にいえば、  一抹の…
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謎解旅行ー34 閑話休題-Ⅳ

前ページで、富岡謙蔵の論は 「銅出徐州・師出洛陽」と「王父王母」の銘文中の句で、三角縁 神獣鏡は「永初元年(420)~永初三年(422)」の間の成立と 一旦は見做し、その後、漢の「中平鏡」に出会い、その銘文中に 「東王父西王母」なる句を見出した。そこで、それまでの論文を 見直し訂正し、“三角縁神獣鏡の成立は魏まで遡る”、と結論…
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謎解旅行ー33 閑話休題ーⅢ

Aべ氏のメッセ-ジにお応えします。 蟹沢古墳(群馬)出土の「三角縁同向式四神神獣鏡」の『口始元年』 の『口』の文字が腐食して解読できるような状態ではなかった。また、 兵庫県豊岡市の森尾古墳出土の『口始元年』の『口』文字も解らなか った。 そして、もう一つの山口県の竹島古墳出土の『三角縁階段式神獣鏡』、 この神獣鏡には『口…
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謎解旅行ー32 閑話休題ーⅡ

読売新聞2010・1・8 朝刊一面 また、性懲りもなく嘘っぱちの報道を堂々とやってのけていま す。先の纏向の時と同じウソを繰り返しています。 NHKたるもの、も少し公平を期して報道してもらいたいものです。 上記新聞の中段に書かれている「正始元年」…
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謎解旅行‐31鶴峯戊申『襲国偽潜考』‐Ⅰ

鶴峯戊申は『襲国偽潜考』の中で「九州年号」という概念を初 めて世に問うた人です。 (明治直前、1820年に書かれ、1834年出版された)。 古田氏は言っています、・・・ ・・・わたしは「卑弥呼~倭の五王~多利思北孤」が一貫した九 州における同一王朝であることを追求中に、この「九州年号」と 言う言葉に出会い、言葉に表せ…
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謎解旅行ー30 Aべ氏に応えて

ありがとうございました。 Aべ氏の謎解(29)に対するご質問にお応えいたします。 Aべ氏のご質問を二つに分けてお応えします。 (1)、どこからが本当の近畿王朝の天皇なのか?   これは、キット私がAべ氏の質問を聞き間違えて答えてし   まったのでしょうか、・・・近畿天皇家も記紀によれば神武   より、(おそらく弥生時…
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謎解旅行ー29 九州年号

『海東諸国記(紀とも)』という歴史書があります。 李氏朝鮮の「申叔舟(しんしゅくしゅう)」が成宗二年(1471) 撰録、成立した史書です。 『海東』とは朝鮮から見た東、つまり日本列島のことを指しています。 この『海東諸国記』によると、・・・ 継体天皇の項に、「十六年壬寅、年号を建てて善化と為す」と あります。 以下、「…
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謎解旅行ー28 安本氏の邪馬台国東遷説

安本氏は邪馬台国東遷説を採っています。 (邪馬台国畿内説の虚妄を衝く)の書の中で、井上光貞・森 浩一氏の見解を支持しながら邪馬台国東遷説を述べてい ます。 氏は北九州の朝倉にあった「邪馬台国」が東の方向、つまり 近畿(奈良)に移動(遷・うつす)したということを述べており、 ということは邪馬台国には当然都があった筈ですから邪馬…
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謎解旅行ー27 安本氏「朝倉=高天原」への批判

前ページでは飛躍し過ぎた仮説に対する疑問点について感じたと ころを書いてみました。 特に④、の「朝倉=高天原」については、どのように考えても私に とって理解不能、無理矢理のコジツケ説法に感じられ、このような 論理の組み立ての仕方でも世に通用するのかと思うとガッカリ、・・ ・・・やはり(私にとっては)古田氏とは違うように思われま…
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謎解旅行ー26 安本九州説への疑問

安本氏提案の九州説への根本的なところで大いなる疑問がフツフツ と湧いてくる感がありました。 読み終えた後 “これは!っと、手をたたいて よしっ!、・・・とは肯 けないなにかフワフワっとした、落ち着かない疑問の残る解説となっ ています。 しかも、三国志の原文を(一月→一日)と改定して筑後山門(このヤ マトを卑弥呼の国として…
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謎解旅行ー25 安本氏と卑弥呼九州説

謎ー22,23,24で安本氏による『暦博』批判、つまり「炭素14 測定法」の導入による年代推定の方法に恣意的な資料の扱い が感じられ、考古学が有らぬ方へと独り歩きを始めている。・・・ ・・と、紹介しました。 また、安本氏は「卑弥呼・近畿説」ではなく、「卑弥呼・九州説」 を採っています。 氏は、「卑弥呼は近畿にいなかった」…
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謎解旅行ー24 安本美典ーⅡ

箸墓古墳です。国立歴史民俗博物館「暦博」は箸墓古墳を卑弥 呼の墓としてマスメデアを通して大騒動を引き起こしています。 『陵墓要覧』によれば、倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトビモモソヒメ)の 墓とも言われています【『陵墓要覧』は天皇や皇后などの皇室の 台…
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謎解旅行-23 安本美典

謎解-22  で「安本美典」の単行本の内容のほんの一部を紹 介しました。 「季刊(邪馬台国)」の編集長で、氏は「邪馬台国」は九州に存在 すると主張しています。同じ九州説派の「古田武彦」氏ともバトル を繰り広げています。そのバトル本は未だ読んではいませんが、 安本氏著の《「邪馬台国=畿内説・・箸墓=卑弥呼の墓説」の虚 妄を衝く…
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謎解旅行ー22 閑話休題ーⅠ

(無駄話かな?)  今日(2009・11・10夜9:00)のNHKニュースで “纏向遺  跡で大きな建物跡が見つかった。もしかしたら邪馬台国の卑  弥呼の居した建物跡かもしれない” との報道がありました。  それを見ていて "あー、また始まったなー” ・…
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謎解旅行ー21 法隆寺と聖徳太子 Ⅲ

釈迦三尊本尊像の光背銘です。(古田氏著・聖徳太子論争より) この光背に書(刻銘)かれてある文を従来の学者は聖徳太子やそ の母、太子の妻の死を悼んで、供養するための文章として解説さ れています。  ところがその解説書によると、腑に落ちないところが多々あるの です。 そ…
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謎解旅行ー20 法隆寺と聖徳太子ーⅡ

古来有名な釈迦三尊像です。(講談社M00K「日本の仏像」から拝借しました) 前ページのカラー文字が問題の箇所です。 ①、法興元   法興元は元号(年号)です。法興元の「元」は(前漢より開始   されていて)当時、すべての元号の末尾に「元」という文字を…
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