福永晋三氏を信奉する人達によるつぎのようなブログアップ
に出会いました。
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【倭人伝には、韓国南部の「狗邪韓国」(韓国・釜山)から海
を千余里渡ると「対海国」(対馬国)=長崎県対馬市=に至
るとある。換算すれば約70キロ。現在の両地点(釜山・巨
勢島-…
下記が前ページでご紹介の古田氏がまとめた史料です。
帝紀より・・・、
(1)<史料>【(景初)二年春正月、大尉司馬宣王に詔して、
衆を師ゐて遼東を討つ。】
<魏志三、明帝紀>
・・・景初二年正月、明帝は公孫淵討伐の詔勅を発し、討伐軍
の統率を司馬懿にゆだねた(古田氏…
昨年の正月(2015年)の話になりますが……、
その正月の年賀のご挨拶の際、私の歴史友達の河田氏より
(「2014年古田武彦九州講演」があったようです)ということを耳
にし、その講演内容をYouTubeで拝見。
古田氏は講演の中で、“九州の古賀市歴史資料館では「邪馬
台国」が原文どおりの本来の国名である「邪馬壱国」へと再改…
2014・9・8日の朝日新聞の新潟版でこんな記事を見つけました。
新潟東区の神社一帯が円墳の牡丹山諏訪神社遺跡ということで
すね。
飯綱山古墳群につづく二例目の円筒埴輪の発見。新潟県の古墳
時代の遺跡もそう見捨てたものではないようですね。これから…
数年前のことになりますが、実のところ....前ページの““成王の時、
越常(えっしょう)、雉を献じ、倭人、暢を貢ず。””の記述(『論功』)
に古田氏の著書にて出会い“こんなにも古い時代の中国王朝史
に倭人が姿を現していた”・・・ということを知り、当時のわたしにと
ってはまさに青天の霹靂。目の前の景色が一瞬ガラリと変わり、
別世…
前ページ(「歴博」による14C測定値の発表〔2003年〕-2)からの
つづきです。
前ページでは、(「歴博」による14C測定値)とそれを批判する鷲
崎氏による“法隆寺五重塔の心柱の伐採年が「日本書記」の記
述より百年古く出ている”ということを法則がごときに扱い、その
古く出る矛盾を卑弥呼の時代にまで遡らせて適用し、“卑…
前々ページの歴博の14C測定値の発表は勇気ある態度に見え
ます。偶然なのかも知れませんが、少なくとも邪馬台国派を名乗
る人たちの中では抜きん出て王道を行くグループに見えました。
古田氏は言っています・・・。
“兵庫県芦屋市夙川の辰馬考古資料館へ行きました時の、帰り
の光景です。銅鐸の展示があり見に行きました。駅まで歩いて…
<「歴博」による14C測定値の発表(2003年)-2>を書いている
途中、米田良三氏著の『法隆寺は移築された(大宰府から斑鳩
へ)』を読み進む中で、「釈迦三尊後背銘」についての解説に出
会いました。
何時かのページで書きましたが、その復習をもう一度。
『法隆寺は移築された』の中で掲載されたページを下に示してお
きます。
…
前ページまでの若手研究会による1996年発表(14C測定値)を
を受けて、世界の潮流には逆らえないと思ったのか、国立歴史
民俗博物館(以下、歴博)による(14C年代測定法)で調査結果
が著本となって世に公表されました(ただし、この公表は、全国
の自治体にのみのような気がしているのですが)。
<赤文字①~⑦までの番号は私のポ…
前ページまで紹介したデータを日本白地図にプロットしてみまし
た。それが下図です。
上図をご覧になればお分かりのように、全国津々浦々に●▲●
▲●▲色のマークが散らばっているのが分かります。
私のこのマーク付けは、推定年代を古い方へと押しやる傾向を
…
(A)福岡県、熊本県、佐賀県、長崎県、
【福岡県】
●雀居(さざい)遺跡
(福岡市博多区雀居)縄文・弥生・古墳・中世
三笠川右岸の沖積地に立地する縄文から中世にかけての複合
遺跡。特に臺次、5次調査では縄文じだい晩期の溝から多量の
土器と共に木製農具等が出土している。また、弥生時代後期(S
D-02)の環濠から…
【鳥取県】
●大路川遺跡
(鳥取市古郡家)縄文・弥生・古墳・奈良
千代川右岸、鳥取平野南端の標高約12mに立地する。上層は、
弥生時代から奈良時代の包含層で、直下から土壙2、ピット7、
炭化物堆積面などを検出、下層は縄文時代の包含層で、直下か
ら貯蔵穴と考えられる土壙7を検出した。
14C年代測定法。
Ga…
兵庫、岡山、広島、山口
【兵庫県】
●篠原(しのはら)遺跡
(兵庫県神戸市灘区篠原中町)縄文・弥生・中世
当遺跡の南側で六甲山系から南下する六甲川が、都賀側とな
る。縄文後期前葉の住居址、縄文晩期の石器製作の可能性の
ある遺物群、埋甕めなど一括性の高い資料を有する。弥生時
代後期では竪穴住居跡が検出されている。
…
滋賀県、奈良県、和歌山県、大阪府
【滋賀県】
●南郷遺跡
(大津市石山内畑町)7世紀中
瀬田川右岸の丘陵地の谷筋平坦部に築かれた7世紀中頃の
製鉄炉及びそれに伴う炭窯遺構である。
14C年代法。
KSU‐1333(木炭№1)〔炭窯跡〕・・・1400±20(AD550年)
…
新潟県、石川県、福井県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三
重県
【新潟県】
●六地山(ろくちやま)遺跡
(新潟市曾和字沢田372-2ほか)弥生時代後期前半~中頃
低湿地に囲まれた残丘状の砂丘列(砂丘列Ⅰ)に立地する。北
陸系、東北系の土器が出土しており、籾痕の付いた土器も確認
され、周辺で稲作が行われた可能性…
神奈川、茨城、栃木、群馬、埼玉
【神奈川県】
●山王山(さんのうやま)遺跡
(横浜市港北区岸根町山王山369番地他)縄文・弥生・古墳
鶴見川南岸の丘陵状となった下松吉台地に位置する。主体とな
る時期は縄文早期末~前期初頭と弥生中期~古墳前期にかけ
てである。前者は炉穴や土壙等からなり、主として尾根上から
検出さ…
少し前のページで・・・内倉氏が掲げる「理化学と(証言)が語る
古代史」の中から放射性炭素14Cによる年代測定の事実とそれ
に 対する氏の論証を見てみたいと思っています・・・とお約束しま
したが・・、その前に“1996年「埋蔵文化財研究会」の全国集会”
で配布された資料集「考古学と実年代」という冊子を偶然に手に
することができた…
2013・5・31の朝日新聞に、奈良県桜井市の「大福遺跡」で日
「本最古の木仮面」が見つかった。という記事が載っていました。
下図がそれです。
上図の記事によれば、
①“女王卑弥呼の治めた邪馬台国の候補地とされる近くの纏
向遺跡で出土した例を数十年さかの…
放射性炭素(C14)測定法を早く紹介しなければならないと先へ
急ぎ過ぎてしまい、「投馬国」の行程と倭人伝本命の邪馬壹国の
位置についての論証を置き去りにして次へ進もうとしてしまいま
した。
それで・・・、
今ページも前ページの引き続きを書かなければならいと思って
・・・・・・。
倭人伝では、「投馬国」と「邪馬壹国」…
遂に倭人伝の道程が解けた!・・・、の続きの第二弾です。
前ページで、伊都国を一大國すなわち、生の(壱岐)松原に比定
すると、不弥国が定まり、そして大宰府を倭人伝の倭国における
最終目的地とする邪馬壹国の道程が見えてきた・・、ということを
論証してきました。
また、その次いでながら・・・、というか、私の中ではこれまではナ…