「歴博」による14C測定値の発表(2003年)-3

前ページ(「歴博」による14C測定値の発表〔2003年〕-2)からの  
つづきです。

前ページでは、(「歴博」による14C測定値)とそれを批判する鷲
崎氏による“法隆寺五重塔の心柱の伐採年が「日本書記」の記
述より百年古く出ている”ということを法則がごときに扱い、その
古く出る矛盾を卑弥呼の時代にまで遡らせて適用し、“卑弥呼の
墓を箸墓古墳に比定するという非”に対する批判の切り札として
論証してきたようですが、トンダところで米田良三氏著の『法隆寺
は移築された』の横槍が入りいとも簡単に尻ぬけ状態とされ、双
方のバトルは「歴博」の14C測定法の正当性に軍配を上げざるを
得なかった・・・ということを書いてきました。
これはまさに、考古学的年代判定法に化学的年代測定法が勝っ
た、ことを意味しています。

前ページの「歴博」による14C測定値の正当性の根拠は、弥生時
代の始まりが彼らが意図していなかったにもかかわらず、紀元前
10世紀頃まで遡り得るところにあるのです。このところに重要な
ポイントがあったのでは・・・と。

これまでの歴史書は弥生時代のはじまりが、BC300年頃からと
されてきたことを定説を“良し”としてきた人々にとって、その始ま
りがいきなりBC1000年まで遡るという事実、それは驚天動地そ
のものでありおそらくこの事実を非常識な憶測に過ぎないという
人も多いでしょう。が、しかしこの事実は科学的測定法によって
得られたものであり確かな論証無しには否定することができない
でしょう。
私的推論に陥りやすい考古学的判定法を参考程度か確認程度
に収め、科学的測定法がこれからの道しるべになり、万人共有
の測定法となるためにこれから述べる記述が警笛を鳴らしてくれ
ていることを知ることになるのです。

・・・その記述は、
前漢の人・王充(おうじゅう・AD27~97?)が著わした『論衡(ろ
んこう)』にあります。その中には、四篇にわたって倭人が登場す
る場面があります。
(前1100年頃、「周」が「殷」に取って代わった時代の話です)。
①周の時、天下泰平にして、越裳(えっしょう)は白雉を献じ、倭
  人は暢艸(ちょうそう)を貢ず。    ・・・<第八 儒僧篇>・・・

②暢艸(ちょうそう)は、倭人より献ぜられる。
                       ・・・<第十三 超奇篇>・・・

③周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草(ちょうそう)を献
  ず。                  ・・・ <第十八 異虚篇>・・・

④成王(前1115~1079)の時、越常(えつじょう)、雉を献じ、倭
  人、暢を貢ず。          ・・・ <第五十八 恢国篇>・・・


・・と、『論衡』の4篇では、倭人が暢艸を献じたと記されている。
また、この四篇を集約すると④となると考えていいでしょう。

従来、(私を含めて)この記述は縄文時代の夢物語か、あるいは
想像の世界の作り話なのではないかと、ソッポを向かれてきた。

中でも特に、④に注目してみると、“成王(前1115~1079)の時”
に暢艸を献じたと記されている。この記述がまさに「歴博」の測定
値の(弥生時代の始まりが10世紀に遡る)の14Cデータと一致し
ているではないか。

「歴博」が卑弥呼の墓を箸墓古墳に比定しようと必死になって測
定した14Cデータの結末が『論衡』の記述を史実として証明してく
れたことになるとは。アッパレアッパレですよ!。

ここに出てくる倭人は、ヤマトにあったか、北九州に存在したかの
論議はさておき、我等の日本国における倭国の住民を指した民
族名であることは確かです。
その倭人が九州のどこかの海岸から(朝鮮半島には殷から亡命
した箕子朝鮮王朝が存在していただろうから・私の推測)黄海を
直接舟で渡り「周の朝廷」に朝貢していていたことになります。

14C測定法によって「歴博」が主目的とした卑弥呼の墓を見つけ
ることができなかったようですが、こんなにもトンだ史実存在の副
産物を伴った14Cの測定の旅であっとは。
「歴博」はもとより・・、お釈迦様でもご存知なかったのでは・・・。

再度上記文章の検証に戻って・・・・、①と④の記述を照し合わせ
ると・・・、
天下泰平の時代と成王の時代の二重の証言が史実の実存在を
滲ませていて、しかも同一文献に四回も倭人が登場していること
でもあるし、おまけに、前十世紀の14C測定値も出てきたことです
から、この記述を荒唐無稽な作り話ではなく、現実に存在した史
実として教科書に蘇らせてもいいのではないか。

想像です・・が、当時は現実に、“成王の時代は周成立時の動乱
期を乗り越えた天下泰平”、の世が実在していて、そこへ倭人が
朝貢していた。
この成王と倭人の結びつきを、「歴博」による14C測定値が史実
として現実に炙り出し、まさにこの時代に生きた倭人の生活の実
態(文化的交渉)を史実として成立させてくれた・・・ということにな
るのでしょうか。 

色々申し上げましたが、要は、これからは考古学は14C法と年輪
年代法の時代に入って行くのでは・・・と、意を強くしたところです。

次ページも、もうすこしこの問題に触れてゆきたいと思っていま    
す。
       次ペジもよろしく・・・では。

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