「歴博」による14C測定値の発表(2003年)-1

前ページまでの若手研究会による1996年発表(14C測定値)を
を受けて、世界の潮流には逆らえないと思ったのか、国立歴史
民俗博物館(以下、歴博)による(14C年代測定法)で調査結果
が著本となって世に公表されました(ただし、この公表は、全国
の自治体にのみのような気がしているのですが)。

<赤文字①~⑦までの番号は私のポイントチェックです。>

その著書は・・・、
2003年10月、「国立歴史民俗博物館研究業績集」と題する本
です。

<その中にはつぎのようなことが書かれています。
  (以下はまる写しです)。>

弥生時代の開始年代
―14C年代の測定結果について―
(春成秀爾・藤尾慎一郎・今村峯雄・坂本 稔)

はじめに、
“近年、AMSを用いた14C年代による高精度編年の手法が、
ハ ード・ソフトの両面において技術的に著しい発展を遂げてい
る。
国立歴史民俗博物館(以下、歴博)では2001年度から科学研
究費基盤研究(A)(1)「縄文時代・弥生時代の高精度年代体
系 の構築」(研究代表・歴博情報資料研究部・今村峯雄)を開
始し、 縄文・弥生時代の年代的枠組みを、列島規模で構築す
るために14C年代の測定を進めてきた。このうち東日本の縄
文時代中期を対象とした細別土器形式ごとの歴年代の推定と、
集落・住居の継続期間の復元については、2002年度の本総
会で発表を行っている。”

“九州・韓国を対象とした弥生時代開始期の高精度編年の構築
を目的としたセクションでも、年代測定を進めてきた。九州各地
を中心に韓半島南部までの範囲で、土器に付着した炭化物や
炭化米を中心に、放射性炭素(14C)濃度をAMS法を用いて
測定し、14C年代を得た上で、較正曲線を用いて歴年代を推
定する方法で、これまで70点近い試料について測定済み、あ
るいは測定中である。前処理は歴博年代測定試料実験室で行
い、14C測定はBeta Analytic Inc .に依頼した。”

“その結果、①従来の弥生時代早期の推定年代、前5~4世紀
を約500年さかのぼる歴年代が得られた
。これはデータの精
度が悪いが、1950年以来、β線法によって得られていた14C
年代から計算される較正年代値や、最近の年輪年代法による
歴年代の傾向と矛盾しない。”
②従来の弥生時代早期の推定年代、前5~4世紀を約500年
さかのぼるが、③(年輪年代法)による歴年代と14C年代測定
値との間には矛盾がない。”

“縄文時代と異なり、④弥生時代の場合は青銅器を中心とした
中国・朝鮮出土の文物との交差年代法により、大正時代以来
打ち立てられてきた相対年代の枠組みが存在する
。弥生時代
の歴年代を推定するのに14C年代はこれまで敬遠される傾向
があったけれども、⑤14Cの較正年代および年輪年代につい
て、考古学側はこれからどう向きあえばよいのか考えなければ
ならない時期にきている。
まだ測定作業の途中であるが、この
機会を通じて広く研究者の間に14C較正年代の近況について
報告し、⑥弥生時代の暦年代について再考する機会としたい

<歴博が測定調査した結果を下に示します(図で表されていま
すが、ここでは列記の形をとります)。>

【弥生早・前期の14C較正年代】
試料にしたのは表に示した玄界灘沿岸地域の諸遺跡から出土
した土器に付着した炭化物と杭である。

《佐賀県唐津市》
    (時   期)・・・・・・(測定番号)・・・・(炭素年代14CBP)
(梅白遺跡)  ↓          ↓       ↓
1・・・杭(夜臼Ⅱ式)・・・・(Beta-174312)・・・2600(±40)
                                              
2・・・杭(夜臼Ⅱ式)・・・・(Beta-174313)・・・ 2680(±40)
3・・・土器付着炭化物・・(Beta-172136)・・・ 2660(±40)
     (夜臼Ⅱ式)
4・・・土器付着炭化物・・(Beta-172137)・・・ 2970(±40)
     (夜臼Ⅱb式)                         

《福岡県早良区》
(橋本一丁田遺跡)
1・・・土器付着炭化物・・(Beta-172137)・・・ 2970(±40)
     (夜臼Ⅱ式)
2 ・・・土器付着炭化物・・(Beta-172129)・・・ 2640(±40)
     (夜臼Ⅱ式)
3・・・ 土器付着炭化物・・(Beta-172130)・・・ 2660(±40)            
     (夜臼Ⅱ式)
4・・・ 土器付着炭化物・・(Beta-172131)・・・ 2650(±40)
     (夜臼Ⅱ式)
福岡市博多区
(雀居遺跡第12次)
1・・・ 土器付着炭化物・・(Beta-172132)・・・ 2560(±40)
    (夜臼Ⅱb式)

2・・・土器付着炭化物・・(Beta-172133)・・・ 2510(±40)
    (板付Ⅱc式)

3・・・土器付着炭化物・・(Beta-172134)・・・ 2620(±40)
    (板付Ⅰ式)

4・・・土器付着炭化物・・(Beta-172135)・・・ 2590(±40)
    (板付Ⅰ式)

<上記が玄界灘沿岸地域の3遺跡についての測定結果です。>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

<この結果について「歴博」の解説があります。>

“測定期間番号は試料の測定データそれぞれに振られた固有の
番号である。14Cの半減期を5568年とし、同位体効果を補正
した14C濃度から算出した年数を、西暦1950年を起点にさか
のぼって示したモデル年代である。ここでは単位を14C BPで
表し、付された誤差は1標準偏差である。”

“14C年代は実際の暦上の年代(暦年代)とは一致していないた
め、暦年代の判明している試料の14C年代と比較して修正する
必要がある。
これは国際的な標準とされる修正曲線であるINTCAL98(日本
産樹木の年輪資料に基づいて14C年代を修正した曲線とよく符
号することが判明している)を用いて補正した。”

“これまで弥生時代の開始期の年代については、太陽活動が停
滞していた時期にあたり、宇宙線の強度が増加し、14C濃度の
時間変化が見かけ上、ほとんどない時期に相当することから、
14Cでは測定が困難と考えられてきた。
しかし今回の調査では、その時期は九州北部の弥生前期末か
ら中期後半の、いわゆる成人甕棺葬の盛期に相当している。”

“たとえば福岡市博多区雀居遺跡第12次調査の試料4(板付Ⅰ
式)は、2標準偏差(95%)の信頼区間を830cal BC-750cal BC
に絞り込むことができる。逆に試料2(板付Ⅱc式) は、90.8%
の確立で790-510cal BCという約300年近い幅に該当しており、
年代をこれ以上絞り込むことはできない。
雀居第12次調査の試料の分析の結果、板付Ⅰ式(前期初頭)
の年代は前800年を中心とするところに95%の確立で信頼区
間を与える暦年代の結果が得られた。
⑦従来の年代観であった前300年から500年さかのぼってい
る。
この年代についてどのように考えたらよいのであろうか。
今得られた14C年代、年輪年代との間でクロスチェックしてみよ
う。”

a、玄界灘沿岸地域との関係
佐賀県唐津市「梅白遺跡」、福岡市早良区「橋本一丁田遺跡」
の夜臼Ⅱa ・b 式の土器に付着した炭化物から得られた年代は
、夜臼Ⅱa ・b 式を前900~750年の間に95%、板付Ⅰ式を
前800年に95%のかくりつで絞り込むことができる。後者は雀
居の年代と整合性をもっている。

b、韓半島南部との関係
玄界灘沿岸地域で得られた夜臼Ⅱ 式の年代が仮に前900年
頃を上限とすれば、突帯文土器の最古式である「山の寺式」や
「夜臼Ⅰ式」は、前10世紀半ばくらいまでさかのぼる可能性が
出てくる。この年代は韓半島南部で無文土器時代が始まったと
考えられている年代と一致する。晋州南江ダムの工事で調査さ
れた漁隠Ⅰ地区110号住居跡で突帯文土器に伴った炭化米の
14C年代は、2850±60 BPと報告されている。日本列島で本
格的な水田稲作が始まる年代と無文土器時代の始まりが近接
し、しかも現在韓半島で見つかっている水田の年代(前7~6世
紀)よりさかのぼることになる。水田の年代が14C年代ではなく、
従来の年代観に拠っているとはいえ、今回観測した「晋州南江
ダム」・「玉房第2次調査」出土の孔列文土器に付着した炭化物
の年代との関係が注目される。
また、西日本の突帯文土器との関係が問題になっている韓半
島の突帯文土器の年代と夜臼式との年代差がわずか数十年と
いうことになると、これまで直接には結びつかなかった両地域の
突帯文土器との関係についても再考する必要が生じる。

c、近畿との関係
大阪府「小阪遺跡」の長原式~弥生Ⅰ期(古・中段階)の自然木
等の14Cの較正年代は、前540~340年の間に集中しており、
前6~5世紀頃に中心がある。
兵庫県東武庫遺跡で見つかった弥生Ⅰ期新段階の木棺の年輪
年代の前445年は、削除された心材部と辺材部を加算しなけれ
ばならないが、その推定は難しいという。近畿で年輪年代の対象
とされているスギ材は、九州北部の平地では得ることができない
ので、これまで年輪年代による九州と近畿の比較はできていな
い。

d、東北縄文晩期土器との関係
雀居第4次調査では「夜臼Ⅱa 式」の較正年代は「大洞C2式」と
の間に整合性をもつのであろうか。青森県是川遺跡出土の木胎
漆器の漆塗膜の14C年代の較正年代は、縄文晩期初めの大洞
B式が前1100年、C1式が前900年であった。大洞C1式が前
900年頃であれば、夜臼Ⅱa 式に伴ったC2式は前900~800
年頃になる可能性がある。東北地方と九州北部との間では整合
性をもっている。

今後の問題
玄界灘沿岸地域の諸遺跡から得られた弥生開始期の14C年代
は、韓半島無文土器時代の開始年代、近畿の弥生Ⅰ期の年代、
そして東北縄文晩期中頃の年代との関係において、逆転・交差
することなく整合性のある年代になっている。
14C年代の較正年代に基づいて弥生時代の開始年代をさかの
ぼらせることによって問題になるのは、夜臼式や板付式の存続
期間である。夜臼Ⅰ式(前10世紀)、Ⅱ式(前9世紀)はあわせ
て200年、板付Ⅰ~ⅡC式(前8世紀初~前4盛期初)に至って
は400年間もの長期間を見積もらざるを得なくなる。そして現状
では、板付Ⅰ~ⅡC式の較正年代は400年間のうちでも古いほ
うに著しく偏っている。また、近畿の長原式~弥生Ⅰ期前半(前
6~5世紀)の年代は九州よりも約200年新しく出ている。

これまで弥生時代研究の拠り所としてきた相対年代との関係に
ついてみてみよう。
大陸の青銅器が列島に出現する前期末以降、中期中ごろまで
の間は、先述したように14C年代から正確な較正年代を得るこ
とは期待できないので、前期後半以降は中国の資料の年代と
つきあわせて考えていくほかない。
そこで問題となってくるのが中国の社会情勢と弥生時代の開始
との関係である。夜臼Ⅱa 式の14C較正年代である前900年は
西周時代に相当し、中原の青銅器文化が遼寧地方に波及する
以前にあたる。この問題の解決のためには、弥生前・中期の14
Cの側定例を十二分に揃えることと同時に、中国・朝鮮半島の
紀年銘のある漆器や青銅器に伴う木製品などの14C年代を測
定し、弥生時代の文物とクロスチェックしていく必要があろう。

大阪府池上=曽根遺跡の木柱の年輪年代(前52年)と14Cの較
正年代(前80~40年)とのあいだの整合性はとれている。土器
形式をはじめとする各種考古資料の緻密な編年網が構築されて
いる日本考古学は、自然科学的な手法によって得られた暦年代
をどのように受けとめるのか、これからの重要課題である。

<ここで、「歴博」が14C年代測定法で測定した遺跡を下に示して
おきます。>
画像

















弥生前期の様式として比定されてきた土器3点です。
画像


















【弥生時代の開始年代    藤尾慎一郎】
概略
今村峯雄を代表とする研究チームがこのたび発表した、弥生時
代の炭素14年代にかんする研究成果をまとめると次のようにな
る。
九州北部の弥生早・前期の土器である、夜臼Ⅱ式と板付Ⅰ式の
煮炊き用土器に付着していた煮焦げやふきこぼれなどの炭化
物を、AMSによる炭素14年代測定法によって計測し、得られた
炭素14年代を年輪年代法にもとづいた国際標準のデータベース
(暦年較正曲線)を使って暦年代に転換したところ、11点の試料
のうち10点が前900~750年に集中する結果を得た。
このことは本格的な水田稲作の始まりが、これまでより500年近
くさかのぼることを意味している。しかも私たちは、本格的な水田
稲作が始まった時代を弥生時代と考える立場なので、弥生時代
が500年近くさかのぼることになるのである。それでは調査の内
容、結果、考古学的な推測、研究の意義を順に述べていく。

①測定試料(写真Ⅰ、地図)
夜臼Ⅱ式から板付c式の土器が出土した九州北部の4遺跡13
点、韓国・慶尚南道の早・前期無文土器が出土した3遺跡5点
の資料を対象とした。試料は土器付着炭化物、木炭、炭化米、
水田の水路に打ち込まれた木杭である。

②較正結果
佐賀県「梅白遺跡」や福岡市「橋本一丁田」遺跡の夜臼Ⅱ式は、
前900~750年の間に95%の確立で、また福岡市「雀居遺跡」
の「板付Ⅰ式」は前800年頃に95%の確立で絞り込むことがで
きた。

③考古学的検証
得られた暦年代は従来の年代観よりも500年近く古いものだっ
たので、三つの点から検証した。まず、韓国南部、東北、および
九州北部の土器編年と照合したところ、逆転や平行関係に乱れ
がみられないこと。次に近畿の弥生前期や中期末の年輪年代と
の間で整合性がとれていること。最後に後期初頭に併行(並行)
する後漢初めの紀年銘をもつ試料の年代とAMS較正年代が一
致することである。以上の結果、私たちは今回の年代が正確で
あると判断した。

④考古学的推測
弥生最古の「夜臼Ⅰ式」はまだ測っていないが、「夜臼Ⅱ式」より
も古いので、今のところ前10世紀のどこかに収まると考えてい
る。すなわち弥生時代が前10世紀までさかのぼる根拠である。

⑤日本考古学は世界に冠たる土器編年が確立しているからこ
そ、形式ごとの暦年代をAMS較正年代によって算出することは
意味がある。これによって土器編年に科学的な裏づけが与えれ
ると共に、各形式の正確な存続幅を確定できれば、集落論や墓
地論を中心とする新たな弥生社会論が可能となるのである。

⑥今後の課題
鉄器をはじめとして、年代が上がることによって大きく広がった
土器一形式の存続幅が、これまでの解釈に引き起こすさまざま
な矛盾にたいして、批判や疑問が寄せられている。一方、これま
でより説明しやすくなった部分があることも事実である。研究グ
ループでは、より正確なAMS年代網を作ることによって、これら
の問題を考える基礎データを整備したいと考えている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【弥生時代の開始年代    春成秀爾】
現在与えられている炭素14年代による弥生時代の開始年代に
関して考えられることを考古学の立場からコメントしておきたい。

①これまでに分かっていた年代
北部九州で水田稲作を本格的に始めた時期を弥生時代早期
(略して弥生早期)と呼び、「夜臼Ⅰ式」、「夜臼Ⅱa式」と細別す
る。そのあと、弥生時代前期(弥生前期)がつづく。この時期を
「夜臼Ⅱb式・板付Ⅰ式」、「板付Ⅱa式」、「板付Ⅱb式」、「板付Ⅱ
c式」と細別する。炭素年代の較正値では、縄文晩期の始まりは
前1200年前頃、弥生中期末の一点が前60年頃であることが、
これまでわかっていた。

②今回の定則値
これまでの較正値では、「夜臼Ⅱa式」は「橋本一丁田」、「梅白」、
「雀居」の3遺跡9点のうち1点(梅白)だけがかけはれて古いほ
かは、8点とも前820年頃を中心に前9~前8世紀に収まり較
正値は安定している。板付Ⅰ式は「雀居遺跡」の2点が前800
~前770年頃を示している。これによると、夜臼Ⅱa式が前9世
紀末頃、夜臼Ⅱb式・板付Ⅰ式が前8世紀初め頃となっている。
夜臼Ⅱa式に先行する夜臼Ⅰ式は前10世紀頃までさかのぼる
可能性がある。すなわち、北部九州の弥生早期は少なくとも前
9世紀、弥生前期は前8世紀までさかのぼる可能性がつよくなっ
てきた。

③考古学的な解釈
夜臼式~板付Ⅰ式の年代をこれまでは前5~4世紀頃と推定し
てきたから、今回の結果との懸隔はきわめて大きい。弥生時代
が始まるころの東アジア情勢について、従来は戦国時代のこと
と想定してきたけれども、西周の成立のころのことであったと、
認識を根本的に改めなければならなくなる。弥生前期の始まり
も、西周の滅亡、春秋の初めの頃のことになるから、これまた
大幅な変更を余儀なくされる。

④新たな問題点。
板付Ⅰ式から板付Ⅱc式は前800~400年の間にほぼ収まっ
ており、弥生前期は400年間にわたっている。従来、弥生前期
の時間幅は約150~200年間と見積もってきたから、炭素年
代を較正した結果によれば、その時間幅は非常に長い。その間
の人口増加、社会発展についてはきわめて長期的な年代幅の
なかで再考しなければならなくなる。弥生前期と弥生中期の境
界がいつになるかを判断できる炭素年代の材料はまだ少ない。
仮に400年頃にあるとすれば、これまた従来の考えとはまったく
ちがって、中国では戦国時代のこととなる。朝鮮半島から流入す
る青銅器について、これまでの説明とは違ってくるだろう。

⑤他の年代測定との整合性。
炭素年代によって得られた弥生前期の年代は、年輪年代とは
整合的である。なお、中国では西周代の測定を進めているが、
文献記録・年輪年代と矛盾が生じていない点は、この方法が妥
当であることを証明しているといえるだろう。

⑥鉄器の問題。 
今回の測定結果に反対の立場をとる研究者は、弥生早期~弥
生中期の鉄器の存在や普及が中国よりもはるかにさかのぼる
ことを問題にしている。しかし、弥生早期・前期の鉄器は出土状
況が良好といえないものが少なくない。現状では鉄器の問題は、
それ自体の研究を進めるべきであって、炭素年代の否定のた
めに利用するべきではないと考える。

【炭素年代測定法について    今村 峯雄】  
①原理。
自然界の炭素は、性質が同じで重さが異なる炭素12、炭素13、
炭素1という43種類の原子(同位体)が混ざり合っている。大気
や現在生育している生物には、放射性の炭素14がごく微量(炭
素原子一兆個につき一個程度)含まれている。生物が死亡して
大気との炭素のやり取りがなくなると、その体内で炭素14は一
定の割合(半減期5730年)で減少していく。
この性質を利用し、生物起源の遺物やその炭化物の中に残って
いる炭素濃度から、その生物が死んで何年経過したか(何年前
の資料か)を算出するのが、炭素年代測定法である。

②年代の求め方。
過去から現在に至るまで、大気中の炭素の炭素14濃度が一定
であると仮定して算出されたのが「炭素14年代」である。しかし
実際は、地球磁場や太陽の黒点活動等の影響から、時期によっ
て炭素14濃度は変動していたことが分かっている。そのため、
「炭素14年代」から実際の年代(「暦年代」)を求めるためには
補正が必要である。近年、木の年輪(一年ごとに年代が推定で
きる)を測定することによって、暦年較正データベースとして整備
する作業が国際的に進み、炭素14年代を正確に暦年代に変換
できるようになった。

③AMS法。
加速器で炭素電子をイオン化して加速し、微量の炭素原子を直
接一つ一つ数えることによって濃度を測定する方法をAMS法
(加速器質量分析法 : Accelerator Mass Spectrometory)とい
う。この方法で、現在は、1ミリグラム以下の炭素試料を0.3~
0.5%の精度で測定できるようになった。試料がわずかですむ
ため、貴重な文化財を壊さずに測定できるほか、従来法(「ベー
タ線計測法」、炭素1グラム以上が必要)と比較して、対象となる
試料の種類が大幅に広がった。この方法は1977年に提案され、
その後の改良によって高精度化が進み、現在はAMS法が主流
となっている。
AMS法と暦年較正データベースの整備により、1990年代中頃
から高精度年代研究の環境が整ってきた。

④試料の的確性。
炭素14年代測定では、ある決まった時期における炭素濃度が、
世界中どの地域でも均一な系を炭素源とするような生物を、対
象として想定しているが、大気はそのような系として理想的とい
える。大気中炭酸ガスを供給源とする木材、植物の種子、漆な
どやそれらを利用した製品、それらを常食とする動物等の骨の
遺物、ならびにその炭化物は年代測定に適した資料である。
ただし、考古遺物を対象とする際には、資料の的確性について
考慮しなければならない。例えば、目的とする遺物で年代測定
ができず、共伴する遺物で測定した場合、その同時性は必ずし
も保証されない。その点、コゲやススは土器編年と使用年代の
関係を調べるのに格好の試料である。

【坂本 稔氏のコメントは14C測定方法の技術面にあったので
 特にここでは取り上げないことにしました】

<下の表が2003年国立歴史民俗博物館研究業績集に春成秀
爾氏研究グループが作成した炭素14年代の較正にもとづく対比
表です>
画像



















近畿の弥生前・中期の年代
1 2005年度の概要
2005年度(2005年1月~12月)は、中四国・近畿地方では縄文前
期~晩期、弥生前期~後期、古墳前期に属する土器付着炭化
物(88点)、木材(101点)、炭化材(9点)、漆(1点)、植物ツル(1点)
の試料31遺跡計200点の炭素14年代を測定しました。それらの
測定結果のうち近畿地方にかぎって成果の一部を紹介します。


2 近畿の弥生開始年代

近畿地方における弥生時代の開始時期について、前年度まで
に奈良県唐古鍵遺跡、大阪府水走、瓜生堂遺跡の前期土器
(Ⅰ期前半、中頃)の付着炭化物を測定したところでは、前8世
紀中頃~前7世紀末が上限でした。測定した点数が十分でなか
ったので、今年度はⅠ期前半に属する八尾市木の本、東大阪
市若江北、同水走、神戸市本山遺跡の資料の測定をおこない
ました。
その結果、木の本遺跡は前8~5世紀を示しましたが、若江北、
水走、本山の試料は前8~前6世紀を示し、いわゆる「2400年問
題」の前半に位置していることから、近畿における弥生時代の開
始は前7世紀までさかのぼる可能性が依然としてあると考えまし
た。長原式も同様に前8~前6世紀を示しており、Ⅰ期前半と重な
っている。遺跡でのあり方からも、前7~前6世紀頃に同時に共存
した可能性がつよいことを示しています。長原式に先行する突帯
文土器の口酒井式は測定例が少ないが、前8~前7世紀頃です。
なお、Ⅰ期後半は、大阪府瓜生堂、水走、兵庫県東武庫遺跡が
前7~前5世紀、大阪府美園遺跡が前4~前3世紀であって、前5
世紀から前4世紀のどこかに前期末がくることを示しています。


3 堰(せき)跡(あと)の年代

大阪府牟礼遺跡は1985年に茨木市教育委員会が発掘調査し、
縄文晩期の突帯文土器の時期に属する堰跡として当時、大きな
話題になりました。しかしその後、類例が見つからなかったことも
あり、最近ではとりあげることがなくなっています。そこで炭素14
年代を測定し、問題の解明をはかりました。その結果は次のとお
りでした。

堰の杭1 : 前595年~前405年(61.3%)
堰の杭2 : 前795年~前515年(95.4%)
堰の杭3 : 前595年~前400年(70.8%)
縄文晩期土器 : 前800年~前735年(48.0%)、
            前690年~前660年(16.0%)、
           前650年~前545年(31.5%)
1条突帯文土器 : 前830年~前750年(84.2%)
弥生前期土器 : 前785年~前505年(92.8%)

問題の堰をつくっていた杭の年代は3点のうち2点が前6~前5世
紀、1点が前8~前6世紀で、弥生前期土器の年代と重なる一方、
1条突帯文土器は前9~前8世紀を示し、杭すなわち堰の年代は
弥生前期まで下る可能性が高いと判断しました。  
兵庫県伊丹市岩屋遺跡は、2003~04年に兵庫県教育委員会が
発掘調査をおこない、弥生時代の堰跡が見つかりました。出土
土器から弥生前期と推定されましたが、他機関が堰に使ってい
る杭の炭素14年代の測定した結果では前3世紀後半であったの
で、時期比定に問題が投げかけられました。そこで、現地におい
てPG液がかかっていない個所から新たに試料を採取して測定
しました。その結果、堰1は前430~370年で前400年頃を中心と
する前期末、堰2は前390~前350年で前400年をやや下る前期
末ないし中期初め時期または前290~230年で前200年頃の弥
生中期中頃、護岸施設は前485~前405年で前400年頃の前期
末と判断しました。


4 弥生中期の年代

大阪府美園遺跡の3点、新上小阪遺跡の4点、亀井遺跡の1点、
兵庫県玉津田中遺跡の4点など測定例のほとんどが、前4~前3
世紀にまとまっています。
2003年に奈良県田原本町唐古鍵遺跡の第93次調査で田原本
町教育委員会が発掘した、近畿期前半の大型建物跡にのこされ
ていたケヤキ材の柱根(辺材型)の炭素14年代を測定しました。
IntCal04にもとづいてウィグルマッチング法により計算したところ、
その年代を前290~前255年(68.9%)、前205~前165年(26.5%)、
最頻値は前270年(後者のばあいは前170年)としぼり込むことが
できました。Ⅲ期前半の1点は前3世紀前半の可能性があること
を示しています。
1998年に守山市埋蔵文化財センターが下之郷遺跡の第25次調
査で発掘し、年輪年代が前272年と測定されている3号溝No.83
出土の木材(辺材型)を測定し、IntCal04にもとづいてウィグルマ
ッチングをおこなったところ、前285~前255年(95.4%)、最頻値は
前270年としぼり込むことができました。時期は期に相当します。
2002年に東大阪市教育委員会が実施した大阪府東大阪市瓜
生堂遺跡第47-2次調査で見つかった瓜生堂4号方形周溝墓の
5号木棺の底板(辺材型)の炭素14年代を測定しました。ウィグ
ルマッチング法により、その年代を前210~前145年(88.3%)、最
頻値は前175年としぼり込むことができました。伴出した土器は
Ⅲ期後半です。
大阪府池上曽根でⅣ期が前52年、兵庫県武庫庄で期前半が
前245年という年輪年代値を定点として用い、今回の炭素14年
代にもとづく唐古鍵、下之郷と瓜生堂のデータを援用するなら
ば、Ⅱ期の上限つまり弥生中期の始まりは前300年を超える前
4世紀代であるとみるのが妥当でしょう。
ウィグルマッチング法による木材の伐採年代をしぼり込んで、伴
出土器の炭素14年代をチェックすると同時に、年輪年代との照
合をおこなうことによって、その精度を確認していますので、近
畿の弥生前・中期の年代は、いっそう確かになってきたといえる
と思います。

(文責 春成秀爾)

<注、ウイグルマッチング法の意味:年輪年代測定値と一致す
る数値という意味。考古学上では意味不明な言葉だそうです>
・・・あるサイトより。 

(注、赤丸④→③→②→①と、逆の読み方をするとこれまでの
 経緯についての意味がよく分かるような気がしました。⑤⑥⑦
 は、弥生時代の初期が十世紀さかのぼる確認と、これからの
 方向性を探る記述となっているところに気がつきました)

ハナサンピンは、倭人伝(AD250年頃)を探る道中にあるので、
編年の疑問も弥生~古墳の真っ只中に存在するという立場か
ら次ページもそれを追ってゆくつもりです。
・・・次ページもよろしく・・・ではまた。



 

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