卑弥呼ー31 銅鏡百枚は漢式鏡

 倭人伝に
 
 又特に汝に・・・・・銅鏡百枚・・・・・を賜い、皆装封して
 難升米・牛利に付す。
  
 「百枚の銅鏡が下賜されてのであるから、かなり多くの
 鏡の出土がなければならない。一枚、二枚の出土では
 卑弥呼がもらった鏡とは断定することは、難しいと云っ
 てもよいと思います。」

 上記の文に続いて次のようにかかれている。

 還り到らば録受し、悉(ことごと)く以って汝が国中の人
 に示し、国家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝
 に好物を賜うなり。
 
 これは倭王側の「録受(ろくじゅ)」と、倭国の人々に対
 する「悉示(しつじ)」が指示されている。配下への分与
 を命じてはいない。
 「録受」と「悉示」・・・とは、記録して、周りの危険な部族・
 国に見せびらかし、卑弥呼の背後には常に中国の軍隊
 が控えているということを示していて、下賜された銅鏡は
 分配されるべき品物ではないということを言っています。
 ですから漢式銅鏡は一小領域に纏まって出土されてい
 るのは頷けることなのです。
  「三角縁神獣鏡」の場合、小林行雄氏の分散と別有(
 別々の鏡を有する)の「配布の理論」と分布の分散状況
 が特徴的にあらわれている。
  ところで、北九州には現在まで150枚出土の漢式鏡、
 があります。この内9割の140枚が福岡県、またその9割
 の約130面が筑前中域に出土しているのです。この出土
 状況は上記の卑弥呼に鏡が下賜された状況と見事に
 一致し。これに加えて、この漢式鏡の集中出土領域も、
 先の「矛」「絹」「勾玉」の出土状況とも、これまた見事に
 合致していたのです。
  ということは、卑弥呼に下賜された鏡は「漢式鏡」であっ
 たと、容易に想像することができます。
  銅鏡百枚は「漢式鏡」だったのです。「三角縁神獣鏡」
 ではなかったのです!。
 
  ということは、もう解りますよね。
 卑弥呼が都していたところは九州博多湾岸、筑前中域
 であった!!!、ことが判明しました。
  

 

 

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この記事へのコメント

Aべ
2009年04月02日 23:25
31回+1回の記事を拝見しました。
専門的な内容もあり、私には理解できないところもありましたが、「卑弥呼の都は九州博多湾岸、筑前中域であった。」という結論には頷けます。

言うまでも無く、飛行機に乗って行き来したわけではないのですから、中国が先に交渉を持ったのは「九州の豪族」なのか「近畿の豪族」なのかと問えば、前者だと考えるほうが自然ですよね。
ハナサンピン
2009年04月03日 06:31
ありがとうございました。
十年間の苦労が報われたような気持です。
専門的な内容については、実をいうとほとんど書き写し
でしたので、申し訳ありません。

こんなにも、古い時代のことを、穿り返してもしょうが
ない、バカ馬鹿しいとおもうこともありますが、これも
私の性分で、ほんとうに、しょうがないバカだと思いま
す。こんなブログに付き合ってくれている“Aべ”さん
もたいした“バカ”ですよね。でもこれからもよろしく
おねがいいたします。

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