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zoom RSS 14C測定値の公開ー2−関東

<<   作成日時 : 2013/06/24 21:10   >>

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神奈川、茨城、栃木、群馬、埼玉

【神奈川県】

山王山(さんのうやま)遺跡
(横浜市港北区岸根町山王山369番地他)縄文・弥生・古墳

鶴見川南岸の丘陵状となった下松吉台地に位置する。主体とな
る時期は縄文早期末〜前期初頭と弥生中期〜古墳前期にかけ
てである。前者は炉穴や土壙等からなり、主として尾根上から
検出され、後者は住居跡、方形周溝墓、土器捨て場等が尾根上
から斜面上部、谷の最上部から発見され、谷底からも遺物が検
出されている。出土品の中には東関東・倒壊・畿内系統の土器
も見られる。
(14Cはサンプル5以外、考古学の推定年代とあわないものとな
 っている)・・・、と但し書きされています。

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
Gak-1208(木炭)(採取部位・縄文時代中期・勝坂期・4号住居址 床面
  ・・・4040±110yBP(BC2090に相当)
         共伴遺物は(勝坂V式土器)
                推定時期は(縄文中期・勝坂期後半)
Gak-1209(木炭)(採取部位・弥生時代中期・宮ノ台期・3号住居址 床面
  ・・・1170±110yBP(AD780年に相当)
         共伴遺物は(宮ノ台式土器)
                推定時期は(弥生時代中期)
   推定時期が弥生時代中期となると新し過ぎる
Gak-12080(木炭)(採取部位・弥生後期末〜古墳前期・26号住居址床面
  ・・・2170±110yBP(BC220年に相当)
         共伴遺物は(庄内式併行気の土器)
                推定時期は(弥生後期〜古墳前期)
   弥生後期の始まりがAD100年でるから、320年古い住居址
   床面となる
Gak-12080(木炭)(採取部位・弥生後期末〜古墳前期・75号住居址床上
  ・・・2140±110yBP(BC190年に相当)
共伴遺物は(布留式併行期の土器)
                推定時期は(古墳前期)
   古墳前期の始まりがAD300年であるから、490年古い(75号
   住居址床上)となる
Gak-12080(乾燥木材)(採取部位・B-U地点谷底・1号井戸状遺構
  ・・・1660±110yBP(AD290年に相当)
         共伴遺物は(庄内式併行気の土器)
                推定時期は(弥生後期〜古墳前期)
   推定時期としては(ほぼ妥当)

折本西原(おりもとにしはら)遺跡
(横浜市緑区折本町1470番地先)縄文・弥生・古墳

鶴見川本流の北岸台地上に立地。縄文時代は前期の住居跡、
早期の穴跡等があり、弥生時代は中期宮ノ台式期を中心に住
居跡、方形周溝墓、環濠、V字溝等が検出されている。古墳時
代も住居跡、円形周溝墓等があり、平安時代も住居跡、墓壙等
が検出されている。
〔14Cの測定結果で( )内はLibbyの半減期値5568年に基づく。
 また、考古学的な年代より若干古い年代が与えられている。〕
・・・と、注釈されている。

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
N‐3319(炭化材)
      ・・・2280±80yBP(2220±80yBP)(BC330年に相当)
 共伴遺物は(宮ノ台式土器) 推定時期は(縄文晩期〜弥生初期)

●●鉞切(なたぎり)遺跡
(横須賀市夏島町2丁目)古墳

三浦半島の東京湾側基部にあたる平方湾南岸の丘陵部に位
置し、古墳時代を中心とした祭祀・漁労関係の遺跡。鉞切遺跡
では1979年の報告に伴い、1954年調査をAとし、1979年の
調査部分をBとしている。今回の1983年調査部分はC・D地点
として報告されている。出土資料としては、古墳時代を中心とし
た土師器や須恵器と共に滑石製模造品、土製玉類、手捏土器
など祭祀関係の遺物や、土錘、釣鈞などの漁労関連の遺物が
知られる。
〔14Cの測定結果( )内はLibbyの半減期値5568に基づく。資料
は遺構名の報告がなかったので、共伴遺物等の記載は見送っ
た。〕・・・と注釈されている。

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
N‐4857(木質)・・・1690±75yBP(1640±75yBP)〔AD260年〕
 (B区)            推定時期は(弥生時代後期)
       推定時期としては(ほぼ妥当)
N‐4858(木質)・・・2090±75yBP(2030±75yBP)〔BC140年〕
 (G区)            推定時期は(弥生時代前期)
       推定時期としては(ほぼ妥当)
N‐4859(木質)・・・1810±85yBP(1760±85yBP)〔AD140年〕
 (C区)            推定時期は(弥生時代後期)
       推定時期としては(ほぼ妥当)
N‐4860(木質)・・・1980±75yBP(1920±75yBP)〔BC30年〕
 (G区)            推定時期は(弥生時代中期)
       推定時期としては(ほぼ妥当)
いずれも(C地点)からの資料である。この結果を見ると、同地
区で弥生前期〜後期(約400年)まで長い時間(年代)を過ごし
ていたことが分かる。

神奈川でも縄文早期の遺跡があります。
夏島(なつしま)貝塚
(横須賀市夏島町)

三浦半島の東京湾側基部に位置する。縄文早期の貝塚で国史
跡、現在では埋め立てられているがもとは島であった。貝層の
分布は東西14m、南北13mを測り、早期の貝層が三枚存在す
る。また、第一貝層から出土した土器は夏島式土器とされ、標
識遺跡である。
〔14Cは神奈川県で考古学的考察と共に報告された初例である〕

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
769(カキ 貝殻)・・・9450±400yBP((BC7500年
770(木炭)・・・9240±500yBP((BC7290年)

神庭(かにわ)遺跡 
(川崎市中原区井田伊勢台)縄文・弥生・古墳・平安

多摩川の左岸、下末吉台地上に立地する。縄文時代では中期
後半の住居跡が36軒検出され、弥生時代では終末期に住居
跡が60軒ほど見られ、遺跡での中心時代となる。古墳時代は
15軒の住居跡があり、また平安時代では近しき杭なども検出さ
れている。
〔14Cぼ年代は、3点とも考古学的な年代よりも新しい年代が与
えられている。〕

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
bP( 貝 )・・・3660±100yBP(BC1710年)
    共伴遺物は(加曾利E式土器)  推定時期は(縄文後期)       
bQ(焼土)・・・2330±80yBP(BC380年)
共伴遺物は(加曾利E式土器)  推定時期は(縄文晩期)
bR(木炭)・・・1260±75yBP(AD690年)
   共伴遺物は(鬼高式期初頭の土器) 推定時期は(古墳終末期)
    推定時期としは(ほぼ妥当)

上ノ入(かみのいり)A遺跡
(平塚市岡崎字上ノ入3379)

台地縁辺に位置し、台地両側には谷が入り半島状を呈す。本来
一つの遺跡として捉えられるが、便宜上二分されている。A遺跡
の弥生は久ヶ原式、弥生町式期を中心に住居跡等があり、古墳
〜歴史時代も五領式期〜国分式期まで幅広く住居跡等が検出
されている。
〔14Cの測定結果( )内はLibbyの半減期値5568に基づく。〕

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
N‐1885(炭化材)・・・2110±115yBP(BC160年)(2050±115yBP)
 共伴遺物は(弥生終末期の土器)   推定時期は(弥生前期)
   
   共伴遺物が弥生終末の土器で推定時期の弥生前期のこの
   ギャップ(460年のズレ)とはなんだろう?。
   あるいは弥生終末の様式と思われてきた土器が実は、弥生
   前期に既に作られていたと考えた方が理屈に合うようです。

N‐1886(炭化材)・・・1970±115yBP(BC20年)(1910±115yBP)
共伴遺物は(弥生後期後半の土器)
                 推定時期は(弥生中期)
   これもN‐1885と同様に、弥生後期後半の様式と思われてき
   た土器が、実は(弥生中期)の様式で古い土器だったような
   気がするが(少なくとも100年の年代差がある)。

仲原上宿(なかはらかみじゅく)遺跡
(平塚市仲原上宿)弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世

相模川と金目川に挟まれた砂丘と自然堤防にまたがって立地す
る。古墳時代後期〜平安時代の集落跡が主体で、住居跡の他
に多数の溝状の遺構、掘立柱建物跡などが見られる。弥生時代
〜歴史時代の住居跡が検出され、一部縄文土器も見られる。近
世では土コ杭墓が多数見つかり、近世葬法の資料として貴重で
ある。

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
N‐3792(国分式期土器)・・・1140±80yBP(AD810)
               推定時期は(平安初期)
N‐3793(国分式期土器)・・・1450±75yBP(AD500)
     推定時期は(古墳後期)
      推定時期としては(ほぼ妥当)
N‐3794(真間式期土器)・・・1290±60yBP(AD660)
             推定時期は(古墳終末)
      推定時期としては(妥当)
N‐3795(国分式期土器)・・・1500±80yBP(AD450)
                推定時期は(古墳中期)
      推定時期としては(妥当)
N‐3796(弥生後期〜古墳前期の土器)・・1400±85yBP(AD550)
                推定時期は(古墳後期)
      推定時期としては(妥当)
N‐3797(国分式期土器)・・・1340±90yBP(AD610)
                推定時期は(古墳後期)
      推定時期としては(妥当)
N‐3798(真間式期土器)・・・1440±95yBP(AD510)
               推定時期は(古墳後期)
      推定時期としては(妥当)
N‐3799(弥生後期土器)・・・1750±80yBP(AD200)
                推定時期は(弥生後期)
      推定時期としては(妥当)
N‐3800(国分式期土器)・・・1320±95yBP(AD630)
               推定時期は(古墳後期)
      推定時期としては(妥当)
N‐3801(国分式期土器)・・・1620±70yBP(AD330)
                推定時期は(古墳後期)
      推定時期としては(170年古い土器)
N‐3802(国分式期土器)・・・1280±75yBP(AD670)
                推定時期は(古墳終末)
      推定時期としては(ほぼ妥当)
N‐3803(国分式期土器)・・・1000±60yBP(AD950)
                推定時期は(平安時代)

(1)慶応義塾湘南藤沢キャンパス内遺跡
(藤沢市遠藤字刈込5355番地 他)
旧石器・縄文・弥生・古墳・なら・平安・中世・近世・現代

相模野台地の南部、高座丘陵のほぼ中央部子出川の流域に位
置する。旧石器時代は立川ローム層中から多数の石器が出土
し、6枚の文化層に分かれる。縄文時代は草創期前半の住居状
遺構が特記され、中期を中心に集落が検出されている。弥生か
ら古墳時代でも住居跡が検出され、奈良時代は火葬墓群が注
目される。他に中世の道状遺構や近世の炭焼遺構などが見られ
る。
(尚、泥炭の14C年代は火山灰分析の絶対年代の補足として取
り上げられている。)

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
bP(炭化材)・・・11350±160yBP(BC9400)
                      推定時期(縄文草創期前半)
(神奈川にも縄文草創期の遺跡があることを表すためにここに
提示しました。)

慶応義塾湘南藤沢キャンパス内遺跡でも縄文と弥生の経過を
示すデータがあります。
(2)弥生時代を中心にそれに近い縄文遺跡の年代をピックアッ
   プします。
Gak-15605・・・2810±100yBP (BC860)
                推定時期は(縄文晩期)
Gak-15606・・・2230±110yBP (BC280)
                推定時期は(弥生前期)
Gak-15607・・・3810±90yBP (BC1860)
                推定時期は(縄文後期)
Gak-15608・・・1960±100yBP (BC10)
                推定時期は(弥生中期)
Gak-15613・・・4100±110yBP(BC2150)
                推定時期は(縄文中期)
Gak-15615・・・1800±100yBP (AD150)
                推定時期は(弥生後期)
Gak-15616・・・2240±80yBP  (BC290)
                推定時期は(縄文晩期〜弥生前期)
Gak-15621・・・5880±140yBP(BC3930)
                推定時期は(縄文前期)   
   
●●代官山遺跡
(藤沢市長後1894番地 他)旧石器・縄文・古墳・中世

引地川中流域右岸の相模野台地の一部をなす、相模野段丘上
に位置する。 旧石器は10枚の文化層があり、第四黒色帯〜
漸移層までと幅広い。縄文時代は草創期〜後期までの、落し穴
や集石等が見られる。古墳時代は古墳(円墳)が1基と、横穴墓
が多数見られ、5号墓は平面長台形で造付石棺を持ち、前壁が
明瞭で奥壁アーチ形を呈す。12号墓は平面撥形で奥壁アーチ
形を呈し、高棺座上には貝床を持つ。
〔14Cは考古学的な年代とかなりの差があり、年代的な補強は
できなかった。また、黒曜石水和層年代測定法は第W文化層を
2万年前に箱根系が使用され、第V・W文化層の約1万1千年
前に箱根系・信州系が使用されたとしている。産地は熱中性子
放射化分析により同定を行っている。〕

(1)黒曜石水和層年代測定法
bP(黒曜石)〔和田峠〕・・・11200±400aBP(旧石器時代)
2(黒曜石)〔八ヶ岳産〕・・・13100±1200aBP(旧石器時代)
3(黒曜石)〔神津島産〕・・・9600±1100aBP(縄文草創期)
4(黒曜石)〔上多賀産〕・・・11600±600aBP(旧石器時代)
         〔鍛冶屋産〕
5(黒曜石)〔畑宿産〕・・・19900±500aBP(旧石器時代)

以上、10枚(縄文を含めると?枚か)の文化層から、〔和田峠〕
・〔八ヶ岳産〕・〔神津島産(伊豆諸島)〕・〔上多賀産(熱海市)〕・
〔鍛冶屋産(神奈川県湯河原)〕・〔畑宿産(箱根系)〕と産地はい
くつもあるので関東一円の黒曜石文化の集積地であったかも。

●(2)放射性炭素年代測定法(14C年代法)
Gak-12428(腐食土壌)・・・6940±210yBP(BC4990)
                       推定年代(縄文早期)
Gak-12429(腐食土壌)・・・26840±1200yBP(BC24890)
推定年代(旧石器時代)
Gak-12430(腐食土壌)・・・18750±420yBP(BC16800)
推定年代(旧石器時代)
Gak-12431(腐食土壌)・・・11240±260yBP(BC9290)
                       推定年代(縄文草創期)
Gak-12432(木炭)・・・3300±260yBP(BC1350)
共伴遺物(6C〜7Cの土師器・須恵器)
                       推定年代(縄文後期)
   (5号横穴墓造付石棺内で見つかっている)
    縄文後期の石棺内で6C〜7Cの土師器・須恵器が見つ
    かるということは、縄文時代後期に既に6C〜7C様式の
    土師器や須恵器が作られていたことになり、土器様式に
    よる年代判定は誤りなのではないか。

尚、(土師器・須恵器)と、この(木炭)年代は1850年の差
    に及びます。この事実は土器様式でその遺跡の年代を
    判定するのは理屈に合わない理論であることをハッキリ
    と立証し得るデータではないか。
Gak-12433(貝殻)・・・2150±90yBP(BC200)
共伴遺物(7C後半代の須恵器) 推定年代(弥生前期)
   (12号横穴墓 高棺座上で見つかる)
    これも(Gak-12432)と同様、弥生前期に既に7C後半代
    の須恵器が作られていたことを示して、土器様式による
    編年の理論は見直しが迫られるデータにみえます。


●●●比々多(ひびた)遺跡
(伊勢原市坪ノ内)縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世

相模川沖積平野の西北端、伊勢原台地を中心に広がる。中坂
東・上坂東・上ノ在家・西前の四遺跡に分かれる。中坂東葉縄
文中期の集石土杭、弥生後期〜古墳初頭の住居跡、古墳周溝
墓跡や、奈良〜平安の住居跡、中世の地下式杭などが検出さ
れている。上坂東遺跡は縄文中期住居跡、集石土杭などがあり、
弥生後期も住居跡、古墳前期の円墳、周溝跡などが検出されて
いる。
〔14Cでは資料名が未記載であり不明である。年代は住居跡や
古墳出土資料の年代が、考古学的な年代とずれをもつ。〕

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
<以下に示す*が赤の場合は、遺跡の時期より新しい共伴遺
  物を指し、青の場合は同時期か逆の、遺跡よりも古い共伴
  遺物ということを意味します>
<また、縄文時代と推定された資料は集石場からのもので、弥
 生時代と推定された資料は(N‐4917の古墳址を除いて)住居
 跡からである>

       ( 採   取   部   位 )
N‐4848・・(中坂東遺跡2号集石1)・・4790±80yBP(BC2840)
         共伴遺物(五領ヶ台式〜勝坂式土器)
              推定時期(縄文中期)
N‐4849・・(中坂東遺跡2号集石2)・・4850±80yBP(BC2840)
         共伴遺物(五領ヶ台式〜勝坂式土器)
              推定時期(縄文中期)
N‐4850・・(中坂東遺跡6号集石3) ・4720±100yBP(BC2770)
         共伴遺物(勝坂式土器)
              推定時期(縄文中期)
N‐4851・・(中坂東遺跡6号集石4)・・4750±70yBP(BC2880)
         共伴遺物(勝坂式土器)
              推定時期(縄文中期)
N‐4852・・(中坂東遺跡9号集石5)・・・1920±65yBP(AD30)
         共伴遺物(弥生後期終末期〜古墳初頭の土器)
              推定時期(弥生中期)
     (弥生後期終末期〜古墳初頭)の共伴遺物の土器が
     (AD30年)の住居跡から出土しているが、この170年の
     時代のズレは何を意味するのだろうか。
N‐4853・・(中坂東遺跡8号集石6)・・・2080±85yBP(BC130)
         共伴遺物(弥生後期終末期〜古墳初頭の土器)
              推定時期(弥生中期)
     共伴遺物の古墳初頭(250年)の様式の土器がBC130
     年の住居跡から出土しているが、この380年の時代のズ
     レは何を意味するのだろうか。         
N‐4854・・(中坂東遺跡26号集石7)・・1770±70yBP(AD180)
         共伴遺物(奈良〜平安時代の土器)
              推定時期(弥生後期)
     (AD180年)と奈良時代(650年)の470年もの年代のズ
     レは、土器の様式が同一だからといって、必ずしも時代
     も一緒である、とは言い切れないデータのような気がす
     る。
N‐4855・・(中坂東遺跡31号集石8)・・1780±70yBP(AD170)
         共伴遺物(奈良〜平安時代の土器)
              推定時期(弥生前期)
     (AD170年)と奈良(650年)とは480年のズレがある。
     奈良〜平安時代の土器と思われてきた様式が、実は
     450年前には既に存在していたことを表すものではな
     いか・・・と。
N‐4856・・(中坂東遺跡35号集石9)・・1490±75yBP(AD460)
         共伴遺物(奈良〜平安時代の土器)
推定時期(弥生前期)
     (AD460年)は、推定時期の(弥生前期)よりは新しい資
     料であるが、共伴遺物の(奈良〜平安時代の土器)より
     は200年も古い資料となっている。これによれば、奈良
     〜平安時代の様式と思われた土器が、実は古墳時代中
     期に存在していた土器であったことを想像させます。
N‐4917・・(上坂東遺跡6号古墳址)・・・・2100±75yBP(BC150)
共伴遺物(古墳時代中期の土器)
              推定時期(弥生前期)
     推定時期としては妥当ですが、(BC150)の遺跡に古墳
     時代中期の様式の土器が共存するのは如何なものな
     のでしょうか。、(BC150年)にはすでにこの遺跡の古墳
     中期時代様式の土器が生産されていたのではないか。

平台(ひらだい)遺跡
(中郡二宮町山西)縄文・弥生

大磯地塊の南端、粘土岩を基盤とした平台と呼ばれる台地上に
立地。縄文中期の五領ヶ台、勝坂、加曾利E期にまたがる時期
が中心。4ヶ所の炉跡、配石遺構などが見られ、炉跡と遺物の
の量・質から集落跡と推定されている。また、配石遺構からは蛇
紋岩製の磨製石斧が出土している。

放射性炭素年代測定法(14C年代法)
bP(土器)・・・2080±95yBP(BC130年に相当)
        共伴遺物(弥生後期土器)  推定時期(弥生後期)
     共伴遺物の弥生後期(AD100年)の土器がBC130年の
     トレンチでの出土は、弥生後期様式とされてきた土器は、
     実はBC130年(230年のズレ)に存在していた土器なの
     では・・・、ということを想像させるに充分な資料です。

からさわ遺跡
(足柄上郡松田町庶子新林1632)古墳・奈良

足柄平野の北縁を東流する酒匂川北岸、山北面と呼ばれる下
位段丘上に位置する。遺跡は大きく横穴墓群と古窯跡群に分か
れる。前者は4支群8基が確認され、ほとんどが逆台形の平面
で7c末〜8c前半の年代が与えられている。後者は瓦の焼成
に使われ、5基の窯があり4基の登窯で1基が平窯である。操
業時期は8c前半で、瓦は小田原市の千代廃寺に供給された
ことが明らかになった。
考古地磁気測定法では関東地方の伏角が5°程度深くなる可
能性があり、それが正しければ3・4号窯は8c初頭の年代が与
えられ、考古学的な年代と概ね一致する。

考古地磁気測定法。
NKN‐1‐12(焼土)〔3号窯〕・・・AD650±20
        共伴遺物(瓦)   推定時期(古墳後期)
NKN‐41‐53(焼土)〔4号窯〕・・・AD640±10
        共伴遺物(瓦)   推定時期(古墳後期)
NKN‐21‐43(焼土)〔5号窯〕・・・AD1190±30
                    推定時期(平安時代)
      上記3例は推定時期が完全に一致している。これまで
       も考古地磁気測定法の例がありますが、大体、考古
       学的年代判定と同じようであった。これには何かの理
       由があるのだろうか。
       聞くこところによると、考古地磁器法で測定してもその
       数値をあてはめる物差しが皆一緒・・・、ということだそ
       うで、地磁気法は地方によってはデータの処理も違って
       いたことも考えられる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【茨城県】

武田遺跡群
(茨城県ひたちなか市武田)

14C年代法。
001(炭化材)・・・2760±60(BC810年に相当)
        推定時期は(弥生時代中期後半)となっているが、
        800年以上古い(炭化材)です。

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【栃木県】

西山田出土独木舟(にしやまだまるきぶね)
(栃木県下都賀郡大平町大字西山田字左明地)

低湿地の小川付近の泥炭層中から出土。材質はニレ属で、
ハルニネまたはアキニレと思われる出土地点の北方には西山
田遺跡(縄文早・前・中・後期の集落跡、発掘調査は未実施)が
ある。独木舟の真上を覆う土層の中には群馬県榛名山のテフ
ラHr−FA(6世紀初)および土師器・須恵器片を含むので、古
墳時代以前のものである。舟の製作法および14C年代測定値
からみて縄文時代の遺物であると報告されている。

14C年代法。
1―(木)・・・2980±110(1030B.C.)
     推定時期は(縄文後〜晩期)・・・これはピッタリ

広表(ひろおもて)窯跡
(栃木県宇都宮市瓦谷町広表)

宇都宮丘陵南部の北裾、田川の右岸付近に立地。宇都宮窯跡
群に属する奈良時代後半の須恵器窯1基で、操業面は4面あ
る。製品は広くは流通せず、官衙や有力集落での出土が多い。
1・3枚目床から各13資料、2枚目目から14資料を採取してして
いる。1枚目床は磁化のばらつきが非常に大きく測定できないが、
2・3枚目は磁化方向のまとまりがよい。1・2・3枚目床は報告書
本文の第4・3・2次操業面に相当すると思われる。考古学的に
は775年の値が近い。

考古地磁気法。
@(SKN21からSKN34まで)・・(焼土・2枚目床)・・・575±15A.D.
      共伴遺物は(須恵器)  推定時期は(奈良時代後半)
A(SKN21からSKN34まで)・・(焼土・2枚目床)・・・775±20A.D.
      共伴遺物は(須恵器)  推定時期は(奈良時代後半)
              ・・・・・・・・・・・・・・
@(SKN21からSKN34まで)・・(焼土・3枚目床)・・・775±10A.D.
      共伴遺物は(須恵器)  推定時期は(奈良時代後半)
A(SKN21からSKN34まで)・・(焼土・3枚目床)・・・570±10A.D.
      共伴遺物は(須恵器)  推定時期は(奈良時代後半)

200年以上古い形式の須恵器と当時の須恵器が同時併行的に
作られたのか、あるいは昔の須恵器を長く使用していたのか?。

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【群馬県】
旧石器、縄文、弥生、古墳を一通り紹介。

(住所・・・前橋市紅雲町)旧石器時代

上部ローム期初期に比定される前橋泥流堆積物中から木片が
採取された。

14C年代法。
Gak‐725(木)・・・24000 ±650

日高遺跡
(高崎市日高町字村西、村前、中堀添、中尾町村東)
弥生・古墳・古代・中世・近世

古墳時代初頭に降下した浅間C軽石によって覆われた新旧の
水田面を検出。他に弥生時代後期の方形周溝墓、壺棺墓、平
安時代の水田等が検出されている。

14C年代法。
Gak‐7825(木)・・・2340±100(BC390年に相当)
                     推定時期は(古墳時代初頭)
 古墳時代は3世紀末ごろからであるから、約690年古い(木)
 が出土したことになる。
Gak‐7826(材)・・・1600±110 (AD350年に相当)
       共伴遺物は(土器)   推定時期は(弥生時代後期)
         推定時期としては(ほぼ妥当) 
Gak‐7827(木)・・・1910±100 (AD40年に相当)
  推定時期は(弥生後〜古墳初)
      推定時期としては(約200年古い〔材〕)ということになる
Gak‐7828(材)・・・2250±100 (BC300年に相当)

Gak‐7829(木)・・・12290±280 (BC10340年に相当)
  推定時期は(10000〜13000)

中棚遺跡
(利根郡昭和村糸井かな棚1941)旧石器・縄文・弥生・古代

弥生時代後期末〜古墳時代初頭の住居5棟を検出。主体は
縄文時代早〜前期の集落。

14C年代法。
N‐4780(炭化材A)・・・11900±150
N‐4781(炭化材B)・・・6550±105
      共伴遺物は(土器) 推定時期は(縄文前期初頭)
N‐4782(炭化材C)・・・5490±90
     共伴遺物は(土器) 推定時期は(縄文前期後半)
N‐4783(炭化材D)・・・1910±75(AD40年に相当)
推定時期は(弥生時代終末)
      弥生終末 はAD300年頃だから 推定時期とは250年
      古い(炭化材D)ということになる

中高瀬観音山(なかたかせかんのんやま)遺跡
(富岡市中高瀬字観音山、庚申山)
縄文・弥生・古墳・古代・中世・近世

鏑川右岸の独立丘上に立地。弥生時代後期の住居96棟を主
とする複合遺跡。平地部との比高差は50mを越え、高地性集落
の可能性あり。

14C年代法。
Gak-18125(炭化材)・・・2550±80(BC600年に相当)
      共伴遺物は(土器) 推定時期は(弥生時代後期)
      推定時期より700年古い(炭化材)ということになる
Gak-18126(炭化材)・・・2270±80(BC320年に相当)
        共伴遺物は(土器) 推定時期は(弥生時代後期)  
  推定時期より420年古い(炭化材)ということになる
Gak-18127(炭化材)・・・2200±80(BC250年に相当)
        共伴遺物は(土器) 推定時期は(弥生時代後期)
        推定時期より350年古い(炭化材)ということになる 
Gak-18128(炭化材)・・・2170±80(BC220年に相当)
        共伴遺物は(土器) 推定時期は(古墳中期)
       古墳時代中期は4世紀末からであるから推定時期
       より約520年古い(炭化材)ということになる
Gak-18129(炭化材)・・・2160±80(BC210年に相当)
        共伴遺物は(土器) 推定時期は(古墳中期)
      推定時期より約510年古い(炭化材)ということになる
Gak-18130(炭化材)・・・1630±80(AD320年に相当)
        共伴遺物は(土器) 推定時期は(古墳中期)
         推定時期としては(ほぼ妥当)
Gak-18131(炭化材)・・・2200±80(BC250年に相当)
        共伴遺物は(土器) 推定時期は(弥生後期)
       推定時期より約350年古い(炭化材)ということになる

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【埼玉県】

大山遺跡
(埼玉県北足立郡伊奈町小室字大山818ほか)

大宮台地東北端に立地する旧石器から中世に至る遺跡。縄文
中期、古墳時代前期〜後期、奈良・平安の住居跡群とともに、
平安時代に推定される製鉄関連遺構が検出されている。

14C年代法。
N‐1972(炭化材)・・・1560±65BP(AD390年に相当)
                  推定時期は(古墳前期)
  推定時期としては(ほぼ妥当)

古凍根岸裏(こごおりねぎしうら)遺跡
(埼玉県東松山市大字古凍字根岸910-2番地ほか)古墳時代

舌状の台地上に位置し、弥生時代終末〜古墳時代初頭にかけ
ての方形周溝墓をはじめ、6世紀代の古墳跡及び住居址、中
近世の井戸跡等が確認されている。

14C年代法。
N‐4611(土壌)・・・1350±70BP(AD600年に相当)
共伴遺物(埴輪・土師器)
        推定時期としては(ほぼ妥当) 

村後(むらうしろ)遺跡
(埼玉県児玉郡美里町大字下児玉字村後)弥生時代

身馴川左岸の自然堤防上に立地し、弥生時代中期〜古墳時
代後期の住居址や、古墳時代初期の方形周溝墓、古墳後期〜
中世と思われる掘立柱建物跡が確認されている。

14C年代法。
A(木材)・・・2900±80BP(BC950年に相当)
       共伴遺物(土器)   推定時期は(弥生中期)
     推定時期より850年古い(木材)ということになる
@(木材)・・・2220±65BP(BC270年に相当)
共伴遺物(土器)   推定時期は(弥生中期)
推定時期より170年古い(木材)ということになる

池上遺跡
(埼玉県熊谷市大字上之字東覚4079ほか)弥生

河川によって形成された微高地端にりっちする弥生時代中期
の環濠集落で、該期の土偶や炭化米が出土している。その他、
平安時代の墨書土器や木製扉が出土している。

14C年代法。
N‐4558(木材)・・・2290±75BP(BC340年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より240年古い(木材)ということになる
N‐4559(木材)・・・2310±70BP(BC360年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より260年古い(木材)ということになる
N‐4560(木材)・・・2160±75BP(BC210年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より110年古い(木材)ということになる
N‐4561(木材)・・・2300±60BP(BC350年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より110年古い(木材)ということになる
N‐4562(木材)・・・2280±75BP(BC330年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より230年古い(木材)ということになる
N‐4563(木材)・・・2340±85BP(BC390年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
      推定時期より230年古い(木材)ということになる
N‐4566(木材)・・・2400±75BP(BC450年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
      推定時期より350年古い(木材)ということになる
N‐4567(木材)・・・2570±75BP(BC620年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より520年古い(木材)ということになる
N‐4568(木材)・・・2210±85BP(BC260年に相当)
        推定時期は(弥生中期)
     推定時期より160年古い(木材)ということになる

●●明花向(みょうばなむかい)遺跡
(埼玉県浦和市大谷口字向2240ほか)弥生

台地上に立地する弥生時代中期が中心の集落址。その他、縄
文時代早期の住居址や中世の墓壙群が確認されている。

14C年代法。
Gak-11191(炭化材)・・・3020±110BP(BC1050年に相当)
         共伴遺物は(土器)  推定時期は(弥生中期末)
     推定時期より1150年古い(炭化材)ということになる
Gak-11192(炭化材)・・・2810±100BP(BC860年に相当)
       共伴遺物(土器)   推定時期は(弥生中期末)
      推定時期より960年古い(炭化材)ということになる
Gak-11193(炭化材)・・・3090±110BP(BC1140年に相当)
         共伴遺物は(土器)  推定時期は(弥生中期末)
      推定時期より1240年古い(炭化材)ということになる
Gak-11194(炭化材)・・・3250±100BP(BC1300年に相当)
          共伴遺物は(土器)  推定時期は(弥生中期末)
      推定時期より1400年古い(炭化材)ということになる
Gak-11195(炭化材)・・・3210±90BP(BC1260年に相当)
         共伴遺物は(土器)  推定時期は(弥生中期末)
      推定時期より1360年古い(炭化材)ということになる
Gak-11196(炭化材)・・・3520±110BP(BC1570年に相当)
         共伴遺物は(土器)  推定時期は(弥生中期末)
      推定時期より1670年古い(炭化材)ということになる

推定時期に対してこんなにも古い年代が与えられてもなんとも
不思議に思わないのだろうか、???です。

上手(うわて)遺跡
(埼玉県北本市大字古市場字上手281〜284)古墳

大宮台地北東部ぼ東縁に立地し、縄文時代中期〜後期の住
居址及び古墳時代前期の住居址が検出されている。

14C年代法。
Gak-7337(炭化材)・・・1650±120BP(AD300年に相当)
        共伴遺物は(土器)  推定時期は(古墳時代前期)
          推定時期としては(妥当)
                       

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