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ハナサンピン
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古田武彦氏の説に立って日本の古代史を再考しよう!!!

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閑話休題ー嘘だらけの「さかのぼり日本史」ーB
閑話休題ー嘘だらけの「さかのぼり日本史」ーB 前ページの続きです。 ...続きを見る

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2012/05/12 07:07
閑話休題ー嘘だらけの「さかのぼり日本史」ーA
閑話休題ー嘘だらけの「さかのぼり日本史」ーA 【推古紀】 〔1〕、(推古十五年=607年に当て月る)小野妹子派遣記事。      (日本書紀本文には、“秋七戊申朔庚戌、大礼小野妹子を       大唐〔もろこし〕に遣わす。鞍作福利を以て通事とす”、と       なっているから、小野妹子を派遣した国は、当然「唐」、と       いうことになります)     〔2〕、(推古十六年=608年に当てる)夏四月、小野臣妹子、大唐     より至る。唐国、妹子臣を号して蘇因高と曰ふ。即ち大唐の     使人裴世清・下客... ...続きを見る

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2012/04/21 06:54
閑話休題ー嘘だらけの「さかのぼり日本史」ー@
(2012・3・27ーPM:10:00)、ただなんとなくNHKテレビを観て いたら、“推古天皇(聖徳太子)が遣隋使を中国に送っていた”。 ...続きを見る

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2012/04/01 18:33
「邪馬台国」は本当になかった!ー13
今回の九州旅行で不思議に感じた一言を書いてみようと思いま す・・・。 ...続きを見る

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2012/03/20 16:39
「邪馬台国」は本当になかった!ー12
「邪馬台国」は本当になかった!ー12 前ページで、北九州、中国四国地方に点在する神籠石と山城と 呼ばれている防塁施設の築造者を、グーグルアースで俯瞰した とき、一目瞭然、九州に存在した王家によるものであった、という ことがハッキリ分かりました。 ...続きを見る

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2012/03/13 06:43
「邪馬台国」は本当になかった!ー11
「邪馬台国」は本当になかった!ー11 今ページでは神武東征に入ろうかと思っていたのですが、前ペー ジまでの10話の総まとめを述べなければならないことに気付き、 その点についてもう少し続きを書きます。 ...続きを見る

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2012/02/27 19:20
「邪馬台国」は本当になかった!ー10
「邪馬台国」は本当になかった!ー10 前ページでは、卑弥呼の居所については確定できなかったが、大宰 府という名の由来から、倭王「武」が大宰府に条坊制を布いた「都」を 築いていたことを突き止めることができました。 ...続きを見る

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2012/02/06 00:59
「邪馬台国」は本当になかった!ー9
これまでは、倭人伝の記述をもとに、大宰府、須玖岡本遺跡、吉武高 木遺跡、平原遺跡、佐賀の唐津、吉野ヶ里等を巡る旅から、卑弥呼の 居城、および墓の在りかは、およそのところではありましたが、北九州 博多湾岸に存在しているであろうことを、私なりにを突き止めることが できた。 ...続きを見る

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2012/01/31 00:04
「邪馬台国」は本当になかった!ー8
「邪馬台国」は本当になかった!ー8 今ページでは、文字の成り立ちや名前の由来から、大宰府に卑弥 呼の後裔の王朝が存在した・・・、ということを探ってみようとか思い ます。 ...続きを見る

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2012/01/27 10:45
「邪馬台国」は本当になかった!ー7
私は、ある大事な箇所の結論を提示することもなく前ページを終え てしまいました。そのため、理解不能のページとなってしまい、ご迷 惑をおかけしましたかも知れません。失礼の段お許しください。 ・・・その大事な箇所とは・・・、 “祭祀土器は連綿として続いているが、八世紀以降は、あの豪華絢 爛たる金銅器の奉納(奉納かどうかについては定かではありませ ん が)が突如として途絶えてしまう”・・・という曰くつきの現象につい てです。 ...続きを見る

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2012/01/21 12:52
「邪馬台国」は本当になかった!ー6
「邪馬台国」は本当になかった!ー6 前ページでは、土器の様式や銅鏡の発見パターンから推測すれば、 これらの沖ノ島に眠る財宝群が近畿天皇家の奉納物ではなく、北 九州に存在したであろう王家に由来する財宝であったであろう・・・、 というところまで書きました。 ...続きを見る

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2012/01/13 18:38
「邪馬台国」は本当になかった!ー5
前ページでは、卑弥呼の居所の範囲は、吉武高木遺跡から須玖岡本遺 跡を越えて大宰府領域まで広がっていた、と書きました。 ...続きを見る

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2012/01/09 00:24
邪馬台国」は本当になかった!ー4
前ページでは、卑弥呼の居所について次のように書きました。 ...続きを見る

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2011/11/26 17:02
「邪馬台国」は本当になかった!ー3
インディジョウーンズの話に入ります前に、これまでの北九州・山口訪 問の旅を終えて、一番印象に残ったことを述べてみたいと思っていま す。 ...続きを見る

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2011/11/13 07:42
「邪馬台国」は本当になかった!ー2
前ページでは、歴史秘話ヒストリアの番組をみていて・・・・、邪馬台国、 邪馬台国と、ありもしない国名を何回もアナウンスするので、腹立たしく なってスイッチを切った、というようなことを書きましたが、その後、ある とき気になったのか、その録画しておいたのを、何に気なしに開いて見 ると、『まぼろしの邪馬台国』の作者、孝宮崎康平氏を紹介、妻の助け を得て、盲目の足で魏使が通った行程を、辿りながら、ついに邪馬台 国に至ってしまった・・・、というようなナレーションがありました。 ...続きを見る

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2011/11/07 08:58
「邪馬台国」は本当になかった!ー1
このブログを書いている時、傍らのテレビは、邪馬台国についての話をし ています。NHK夜10:00から始まる、歴史ヒストリア・・・です。 ...続きを見る

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2011/10/31 10:14
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーZー(キ鳳鏡ー3)
今ページは、梅原論文に対する、杉原荘介氏と岡崎敬氏の梅原論文に対 する反論を紹介します。 ...続きを見る

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2011/10/26 14:57
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーYー(キ鳳鏡ー2)
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーYー(キ鳳鏡ー2) さて、いよいよ「キ(夔)鳳鏡」が、須玖岡本遺跡からの出土品であったか どうかの際どい論議に関して、コテコテの邪馬台国論者を相手に、古田 氏の面目躍如の斬り込み隊長よろしく、次から次へと論破してゆく様をじ っくりとご覧に入れたいと思っています。 ...続きを見る

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2011/10/19 22:48
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーXー(キ鳳鏡−1)
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーXー(キ鳳鏡−1) 前ページまでの、北九州を代表する「井原(いわら)」・「三雲南小路 (みくもみなみしょうじ)」・「平原(ひらばる)」・「須玖岡本(すくおかも と)」・「立岩(たていわ)」の各遺跡が弥生時代後期後半、及び弥生 時代終末期までに営まれた墓地群であったということを、もう一歩押 し進め、確証に近いところまで導いてくれるであろう一枚の銅鏡の存 在があります。 ...続きを見る

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2011/09/27 23:17
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーW
2011・7・25〜7・31北九州・山口の旅ーW 下の図は、北九州における代表的な五個の遺跡と銅鏡との対照表で す。この図の全体を眺めてみると・・・、ある疑問点が浮かんできます。 (キ鳳鏡は夔鳳鏡と書きます。?マークは混入物ではないかとの議論 のあるところ、という意味。三雲南小路の○印は、手元の史料では数 を確認できないが、該当するカガミが出土しているという意味で、尚、 三雲では前漢鏡が合計35面出土しています。ハナサンピンの作図で す。) ...続きを見る

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2011/09/15 23:56

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