テーマ:卑弥呼再考

卑弥呼再考ー23 文字ある仿製鏡ーⅣ

今私は、古田氏著の「ここに古代王朝ありき」の本を傍らにパソコンを 前にして、文章の一文字一文字を確かめながら、馴れない手付きでキ ーボードに恐る恐る触りながら綴っているところです。 この本の最初の発刊年は、昭和54年6月です。少なくとも32年は経 ています。 32年、此の方、この本に対する批判は為されて来たのだろうか?。 氏…
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卑弥呼再考ー22 文字ある仿製鏡ーⅢ

前ページで、富岡氏が「文字ある仿製鏡」を、唯一の例外鏡として他 の一切の「ゴシック文字様式鏡」を「中国鏡」扱いにして押しとどめ、そ れまでの説を正当化しようとしてきた。 ところが、それに反し(富岡以降の後を継いだ学者達にとってではある が)「琴面古」での「仿製鏡」と「疑問符付きの漢鏡」の両l鏡が同遺跡…
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卑弥呼再考ー21 文字ある仿製鏡ーⅡ

富岡氏は、鏡銘文の文字研究史上に、偉大な実績を残していました。氏の研究 の頂点は、ゴシック式文字の発見にありました。 通例の中国の鏡とは違ったゴシック様式の文字です。 これを、このゴシック式文字の寄るべき根拠を、瓦当(がとう)文(瓦当は、軒丸瓦の先端 の部分、そこに刻銘された文字)・磚(せん)文(磚は、土を焼いて方形また…
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卑弥呼再考ー20 鏡ーⅤに対する阿部氏コメントへの答え

うっかりしてました。 中国製の鏡か日本製の鏡かを決めるときの根拠は?。 一応のはなしですが、従来の学者さんは鏡の銘文、鏡の文様様式等を中心 として議論しているようです。 しかし、この方法は安定性がなく、今現在でもこれだ!、という決定打があり ません。 こんな、ド素人の私にでさえ、ウン!、これだ!、という決め手が感じられま…
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卑弥呼再考ー19 文字ある倣製鏡ーⅠ

前ページ「LV鏡」で、付け加えることがあります。 それは、「文字ある仿製鏡」の「文字」についてです。 文字入りの鏡を、富岡氏は「文句整わざるが如し」・・・と、漢鏡のように見えるが、 倣製鏡のようにも見える・・・、いかがしたものだろうか、の迷いの果ての、例外扱 いにした鏡の中の銘文についてです。 (前ページ…
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卑弥呼再考ー18 倣製鏡ーⅣ、Ⅴの阿部氏の追加コメントについて

舶載鏡と倣製鏡のⅣ、Ⅴに対する阿部氏のコメントについてお答えします。 私はコメント欄に記入する事ができないので本文欄にてのお答えになりま すが、お許しください。 両ページ共、鋭いご質問で、内腑を抉られるような感がしました。 まず、Ⅳの・・・、両鏡が同じ遺跡で一緒に伴って発掘されたからといって、 同じ時代につくられたか、…
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卑弥呼再考ー17 異った二つの倣製鏡ーⅤ

すみません、阿部氏のコメント(考古ーⅢ)に対して、私が前ページ(考古ーⅣ)で 掲載した返答コメントは、少し意味を取り違えていたようでした。 阿部氏の「考古-Ⅴ」のコメントを拝見し、始めて(考古-Ⅲ)のコメントの趣旨を 理解する事ができ・・・、少々はずかしい思いをしました。 ・・・、で、言い訳になりますが、(考古―Ⅳ)の返答コメン…
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卑弥呼再考ー16 舶載鏡と仿製鏡-Ⅳ

復々のコメント大変ありがとうございます。 安部氏のように歴史に対して明るく心ある人が、この「無の卑弥呼」状態の時 代とされてしまっている考古学史を根気よく辿ってゆくと、必ず、卑弥呼時代の 大きな岩盤にぶち当たり、迷路に迷い込んでしまうと思います。そこで、私の場 合、その迷路でニッチモサッチもゆかなくなり、やがてやる気を無くして、…
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卑弥呼再考ー15 舶載鏡と仿製鏡ーⅢ

復のご質問ありがとうございます。 私と一緒に悩んでいて下さっているようで、有り難いと思っております。 私も、鏡についての年代設定方法には、不審きわまりなさを強く感じている一 人です。 見いだされた鏡の裏の記銘文や模様による年代を下支え出来る、幾つかの 事例を示しながら論証してくれていればいい。 (例えば、時代背景、あるいは、…
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卑弥呼再考ー14 舶載鏡と倣製鏡ーⅡ

北九州で発見されてきた、前漢・後漢式鏡を伴う遺跡そのものを、富岡謙 蔵氏によって、鏡の文様一辺倒、(私が思うに)付け焼刃的に見える振り 分け方で、それらの年代を、漢の時代、つまり、日本で言う弥生中期(前 100~後100年)近辺へと、設定されてしまっている。 その設定論が、こんにち今現在まで続いています。 富岡氏のこのよう…
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卑弥呼再考ー13 舶載鏡と倣製鏡

久しぶりの阿部氏のご質問ありがとうございます。 ・・・阿部氏ご推察のとおりです。・・古田氏による、「初 発言句」です。 しかし、(錦の女王)という冠言葉は、まことに当を得ている名文句だと・・ ・・・、私にはそう感じられました。 魏使倭人伝中、卑弥呼が(二回目)の朝貢時の奉献物に・・・・・・・・・、 「生口、倭錦、絳青…
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卑弥呼再考ー12 考古学的思考ーⅨ

前ページでは、切れ味の鋭かった「鉄」について書きました。 弥生時代では、「鉄」は青銅器に比べ、メジャーでは無かったものの、その 切れ味は青銅剣を寄せ付けず、戦闘時には莫大な威力を発揮したであろう ことは、容易に想像できます。 中国での「鉄」の使用起源は、BC1300年位まで遡るとされていて、その当 時の鉄具・鉄武器については、…
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卑弥呼再考ー11 考古学的思考 Ⅷ(鉄)

弥生時代では青銅器が主流であった。しかし、「鉄」の場合でも青銅器 の数の上で比較すれば見劣りはするけれども、確実に存在していました。 その中にはもちろん「鉄の武器」も含まれています。 下図はすべて、古田氏の作表・作図によります。 (以下の作図・作表は30年前発刊本によりますので、この図上の数値 については今現在とでは多少の…
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卑弥呼再考ー10 考古学的思考ーⅦ(漢鏡・鉄)

ようやく、「鉄」の問題から入れることになりました。 前ページでは、・・・ 北九州で、多くの漢式鏡を伴った遺跡があります。それを(あの三国志 の記述通りに見える連鎖遺跡を)、漢の時代(前200~後200)の遺跡 として設定してしまった。 そして、その後、北九州には三世紀の遺跡が存在し得る筈、・・・という 見込みで、アチコチ…
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卑弥呼再考ー9 考古学的思考ーⅥ(冢)

今ページも、「鉄」を論ずるところだったのですが、「冢」の問題で、書き 忘れた事がありました。 そこで再度、「冢」から入ります。 卑弥呼の死の時、死体は、諸葛亮孔明の遺言と同じく、割りと小さめの 棺に納められ、その棺を少々ではあるが、コンモリ盛られた封土の下に、 埋葬された。 この卑弥呼の埋納形体を、陳寿は諸葛亮の遺言に準…
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卑弥呼再考ー8 考古学的思考ーⅤ(冢・墳)

「鉄」の問題に入る前に、・・・・・・ 前ページで卑弥呼と「冢」の関連で、重要なキーポイントとなる事実に、 今、このブログ執筆中に気づいたことを、少し・・・ ・・・、それは、卑弥呼と「冢」の関連の中で・・・・、「冢」は「墳」と違って、 小規模な墓・塚を意味していて、大型化した「古墳時代」の「墳」とは完 全に意味を異にしていたとい…
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卑弥呼再考ー7 考古学的思考ーⅣ(冢)

前ページで、銅鏡(漢式鏡、三角縁神獣鏡)の出土地域分布図と、銅矛(銅 矛の鋳型)の分布図とを重ね合わせ、両図の内の漢式鏡と銅矛の重なり合 った出土密集地域、すなわち、筑前中域が、女王国であったのではないか、 というところまで書きました。 結果当然のことですが、重なり合わなかった、三角縁神獣鏡の出土密集地 域、すなわち近畿地…
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卑弥呼再考ー6 考古学的思考ーⅢ(矛・鏡)

魏志倭人伝に、卑弥呼は、『親魏倭王卑弥呼』の詔書を貰った。 この時、一緒に銅鏡100枚も貰った。・・・と書かれている。 また、倭人伝中に、“““兵には矛・楯・木弓を用う。”””とも書かれている。 この他、考弥生時代としての器物等、考古学的史料と為り得るものは数多く あります。 例えば(上記史料の、銅鏡を→№1、…
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卑弥呼再考ー5 考古学的思考ーⅡ(接見)

前ページで、陳寿は三国志を著す中で、卑弥呼の年齢を伝えるに・・・・、 『年已に長大』という表現で示していた。・・・魏の第一代の天子(文帝)が 漢の禅譲を受けて即位した時の年齢を表現したときと同じ用法であった・・ ・・・と、書きました。 そして、『年已に長大』という用法は ““人生における一番盛んな年齢”” を表した言葉で、…
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卑弥呼再考ー4 考古学的思考ーⅠ(鬼道)

さて、卑弥呼はどこに居したのでしょうか?。 近畿の大和?。 九州の山門?。 それとも?。 これについて考えて見ようとおもいます。 私がこのブログを書くに当っての最初の頃、女王国は日本の国の北か ら南、津々浦々、数え切れないくらいの候補地があった。まさにそれは 百花繚乱の如しとも書いたのを覚えている。 長岡の事…
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卑弥呼再考ー3 なぜ『邪馬壹国』?

前ページまで、くど々々と、執拗に『邪馬壹国』の『壹』は『臺』・『台』でなく、 『壹』でなければならない、とうるさい位何べんも繰り返し書いてきました。 それは、私たち国民は、江戸時代よりこの方、今現在まで『邪馬台国』病 に犯され続けてきているという理由からです。 ありもしない『邪馬台国』菌にです。 我々は『邪馬壹国』とい…
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