テーマ:倭の五王

倭の五王ー38 倭の領域

  やっと本題の「倭の領域」に入ることとなりました。  これまで、倭国は九州北岸に存在し、紀元前十世紀から、五  世紀(倭の五王)の時代まで中国王朝に奉献、貢献してきた、  ということを飽きもせずに述べてきました。しかもその倭人は、  同じ王国(王朝)の倭人であった、ということも無い頭(知恵の  無い頭)を掻き毟りながらも、こ…
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倭の五王ー37 私の大失敗

 Aべ氏のコメントにお応えします。   今回は私の大失敗でした。神無月は10月でした。  古田氏は、旧暦の10月と著書には書いてありましたが、  私は、昔から勘違いをして覚えていました。旧暦の10月は  新暦の11月と、基本的なところで大間違いをしてしまいました。  貴重なご指摘、ありがとうございました。   ついで、といっ…
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倭の五王ー36 神無月「カン(ミ)ナズキ」

   本題に入る前にもう一つの神話以前の伝承について・・・   「神無月(旧暦10月)」、今現在でもこの神無月の伝承につ  いては私達の間でも周知のこととして語り継がれています。   私もこの「神無月」については、何気なく、「11月には全国の  神様が、出雲に集まって行くということで、地元の神様が居な  くなってしまう月という…
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倭の五王ー35 阿麻氐留(アマテル)神社 Ⅱ

 《本居宣長のあやまち》    すでに本居宣長は、『古事記伝』でこのことをくりかえし   説いた。天照大神は、太陽の神格化であり、一地域の神   ではない。全地表を照らす最高神だ、というのである。       【 さて又四海万国、此大御神の御光を蒙り、御霊を蒙りな    がら其ノ初メの趣をも知…
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倭の五王ー34 倭の領域「阿麻氐留(アマテル)神社」

  古田氏が見出された神社、アマテル神社、こんな神社が  あったんだ!。   正直、驚木、桃の木、山椒の木!  こんな名前の神社の存在を、しかも対馬にです。対馬は弥  生時代、「国生み神話」に登場する天国(アマコク)です。      他の歴史家はこの「アマテル神社」の存在に気がついて  いないのだろうか?そんな名前の神社な…
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倭の五王ー33 倭の領域(国生み神話より)

 天地創造(ここでは書きませんでしたが)から矛(天の瓊矛)  で(国)生産基地を作り、そこで「諾」「冉」の男女二神で天国  八個を造った。・・・・・・・ここまでは前ページで書きました。   ここで、ちょっと気になるところが生じて、ハタと手が止まっ  てしまいました。   これから書くであろう、「天孫降臨」の中で、天照大神の…
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倭の五王ー32  Aべ氏に応えて(P31のコメントについて)

Aべさん、ありがとうございました。コメントにお応えいたします。  31ページで、   伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)が  磤馭慮嶋(おのごろしま)を原点として「天の瓊矛(あめのぬぼこ)」  で、八個の国を次から次へと生んでいった、と書きました。   この表現は少し簡単になり過ぎました。…
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倭の五王ー31 広開土王碑 倭の領域(天の瓊矛)

   「天の瓊矛」で、次から次へと八個の国(大八州)を生んでいった。  この「天の瓊矛」とは「天国(あまくに)の瓊(ぬ)矛」を意味しています  〔瓊(ぬ、に)は硬玉、勾玉を指す。弥生前期は姫川のヒスイの勾玉で  はないか〕。   『天国とは、一体どこを指すのだろうか。』  記紀の神代巻にその答えが載っています。   神話中、…
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倭の五王ー30 広開土王碑ーⅨ 倭の領域

 記紀の中の国生み神話の中から倭の領域を探ってみます。     まず、   古田氏の「国生み神話」に対するスタンスを述べてみます。  ““戦前の歴史は神話からはじまっていた。戦後の歴史は神話を   排除している。戦前は、天皇の神聖なる権力と権威の淵源を   神話的伝承に求めた。戦後はこれに対し、津田左右吉の「神   話…
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倭の五王ー29 広開土王碑ーⅧ 倭の領域

 広開土王碑に倭という文字が九回出現します。   ①、倭以辛卯年来   ②、百残違誓与倭和通   ③、倭人満其国境   ④、至新羅城倭満其中   ⑤、官兵方至倭賊退   ⑥⑦、倭満倭潰城   ⑧、倭不軌侵入帯方界   ⑨、倭寇潰敗斬殺無数  この中の③に、其国境とあります。倭と新羅の国境を指して、  倭人が新羅と倭の…
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倭の五王ー28 広開土王碑―Ⅶ

 本題に入ります。  前々々ページで書いたことを、また書きます。  【百残(百済)や新羅は、旧(もと)「高句麗」の属民であった。そこで由来、朝貢してきていた。倭が辛卯年(391  あるいは331)に(百済・新羅の地に)やって来た。(そこで王は)海を渡って百残を破り、新羅(と共に)、これを臣  民としたのである。】 …
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倭の五王ー27 広開土王碑 Ⅵ

 安部さん、コメントありがとうございました。  おかげさまで、また元気を取り戻すことができました。  これからもハリキッテ書きますので、よろしくお付き合いの程  お願いいたします。   本題に入って行くところだったのですが、コメントにお付き合  いをさせていただきます。少々書き忘れもありましたので、・・・   安部さんの…
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倭の五王ー26 広開土王碑ーⅤ

  前ページで倭という国名が何回も出ているとかきましたが、  実際調べてみると倭という国名は九回も出てきました。この  倭という名の国は、周の始めから1500年も続いてきたと考  えられている北九州の博多湾岸に存在した九州王朝の国名  であり、これまで何回も書いてきましたが、近畿王朝を指した  国名ではありません。   なぜ…
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倭の五王ー25 広開土王碑-Ⅳ

 好太王碑銘は、文章を三つに区分することができます。   一段目は、卵生神話からはじまる高句麗建国譚。   二段目は、好太王の事跡を称える勳績譚。   三段目は、守墓人の制度について。  いくつかのポイントとなるところを、説明しようと思います。 【一段目】、 (一)~(六)・・・が   いわゆる卵生神話から始まって…
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倭の五王ー24 広開土王碑ーⅢ

 (十六)永楽八年(398)戊戌、太王は将に命じて偏師(一部の軍隊)      を派遣し、帛慎土谷に行かせた。・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・  (十七)永楽九年己亥、百残は太王への誓いに違(たが)い、倭と和通      した。そこで太王は平穣に巡下した。そこへ新羅が使を遣わして      きて太王のもとに訴えていうには…
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倭の五王ー23 高句麗広開土王碑ーⅡ

 ここでは全体の中でポイントのなるところの通訳を書くことに します。  (一)おもえば昔、始祖鄒牟(スゥム・朱蒙)王(在位BC37~     同20)が基(もとい)を創(はじ)めたときのこと、王の出     身は北夫余の地であった。父は天帝、母は河伯女郎で     あった。卵を割いて地上に降り、この世に生まれきたっ   …
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倭の五王ー22 高句麗広開土王碑(好太王碑)

  316年(西晋、建興4年)、新興匈奴の劉曜は西晋の都洛陽、  長安に侵入、西晋第四代の天子、愍帝(在位313~316)を降  服させ、愍帝は劉聡(劉曜の父)に卑賤の従者として使役され、  弑(しい・むごいしうち)に遭い平陽にて殺された。   これにより、中国は華北は五胡十六国、東は東晋と南北朝へ、  東アジアは激動の坩堝(…
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倭の五王ー21 自著名(花押)

 高句麗好太王碑に入る前に、書き忘れを、もう一つ。・・・   私の悪い癖で、すみません。・・・・・   前ページで、  卑弥呼・与・旨・讃・珍・済・興・武、の一文字名称(卑弥呼  を除く)の倭王のことについて書きました。   これは、倭国側の使者か倭王本人か、が何らかの方法で  中国の王朝に伝達して行かなければ、これら王の…
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倭の五王 20 倭王旨

 倭王旨とは、倭国の王であり(その名前は)旨、ということです。   この「旨」なる王は、百済の王とともに「東晋」の諸侯(侯王)で  あり、「東晋」に対して、お互い上下関係の無い肩を並べて仕え  合った家臣国(臣属国)でもあったことを表す名前ということにな  ります。   「倭」(という国)の王「旨」、すなわち「倭旨」という名で…
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倭の五王ー19 倭王旨は近畿の王??

 「倭王旨」は近畿の王であったということを主張している学者  がいます。近畿王朝一元論者はほとんどこの立場にたって  銘文を解読しようとしています。近畿王朝が直接、中国ある  いは百済から贈られたことにしようと、銘文の文字を書き換え  たり、なんとか近畿王朝の事跡にしようと、時代を遡らせたり  前へ進ませたり、と、一定の法則に…
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倭の五王ー18 侯;王と倭王旨

 前ページでは苦労しました。安部さんや、河田さんみたいに  頭脳明晰な人ならまだしも、脳梗塞老人のボケ頭脳にはか  なりの難題だったようです。   しかし今ページは違います。ハッキリ決着を付ける文字が  あります。   それは「倭王旨」です。・・・倭国の王の旨。・・・旨(一字名  称の)という名の倭国の王。そうです、はっきり…
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倭の五王ー17 七枝刀金象嵌の読み

 <読み下し>  〔表〕   泰和四年(369、東晋の年号、廃帝奕〔ヱキ〕)五月十六日、丙午正陽、百練(金□「鋼か?)の七枝刀を造る。   (金□)百兵を辟(しりぞ)く。宜しく矦(候)王に供供すべし。□□□□作る。  〔裏〕   先世以来、いまだ此の刃有らず。百濨(百済のこと)王・世子、聖晋に寄生す…
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倭の五王ー16 七枝刀

 前ページで、「日出ずる処の天子・・・恙なきや。」を書くところ  でしたが、時代が七世紀初頭の事件であり(「隋書」タイ国伝  中に記載されているもの)。未だ五世紀中ごろの「倭の五王」  時代に関連する幾つかの事柄が残っていることに気がつきま  した。ちょっと先を急ぎすぎました。     当ページからそれを紹介して行こうかと、…
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倭の五王ー15 生き残った筑紫君葛子ー2

前ぺ―ジで筑紫の君葛子は生き残ったと書きました。     筑紫の君葛子、父のつみに座(よ)りて誅せられむことを恐(おそ)りて、   糟屋屯倉(かすやのみやけ)を献(たてまつ)りて、死罪贖(あがな)はむ   ことを求(きゅう)す。(日本書紀)   岩井は殺され、皇子の殆んどは殺されたのに「葛子」は生き延びていた。  殺さ…
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倭の五王ー14 生き残った筑紫君葛子

 『百済本紀』の「日本天皇及太子・皇子倶崩薨」、  "一つの王朝が敵国の大挙進入を受け、前面的な敗北   を喫した"ー・・・は、異常事態の書き方なのです。  「岩井の滅亡」をつげ告げていたことは、本当であったの   です。  『百済本紀』には他にも“全面的敗北”記事があります。   「(雄略二十年)百済紀に云はく、蓋鹵王の乙…
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 倭の五王ー13 岩井と筑後国『風土記』-Ⅱ

 筑後国『風土記』中の「岩井の滅亡」時の記録です。    (1) 古老伝えて曰う。A・雄大迹(をほど・継体)天皇     の世に当たりて、筑紫君岩井、豪強暴虐、皇風に     偃(したが)はず。B・生平の時、預(あらかじ)め     此の墓を造る。俄(にわか)にして官軍動発し、襲     はんと欲するの間、勢、勝たざるを知り…
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 倭の五王ー12 岩井と牙頭(Ⅱ)筑後『風土記』

  筑後の『風土記』中に、  岩井の墳墓のありさまがつぎのように記されています。 【筑後国風土記曰、上妻県(かみつやめのあがた)、県の  南二里、筑紫国岩井の墳墓有り。高さ7丈、周60丈、墓  田南北各60丈東西各卌(40)丈。石人石循(ジュン・たて)  各60枚。交陣、行を成し、四面を周匝(シュウソウ・とりま …
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倭の五王ー11 岩井と牙頭(がとう)

 世にいう「岩井の反乱」、実のところ、岩井王朝に継体が   反乱を起こした。という事件については「卑弥呼の10~  15ページ辺りで書きました(どのページかわかりません  が?)。   そうです、岩井と太子と皇子倶(とも)に死んでしまった  ことが、外国(百済本記)の書かれていました。それを継  体の死亡に置き換え、継体の本…
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倭の五王ー10 開府儀同三司

 「武」の上表分中の最後の方に、  ・・・竊(ひそ)かに自ら開府儀同三司を仮し、・・・   「竊かに・・・自分かってに云えば(謙遜の言葉)」   「仮し・・・・・一時借用する」     『竊(ひそ)かに・・・~を、仮(か)し、』は、・・・      『私(倭王)が、このような事を言うとあなた(中国の天      子)に、…
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倭の五王ー9 衆夷66国

 武の上表文中、・・・東は毛人を征すること55国、西は衆夷   を服すること66国、渡りて海北を平ぐること95国、・・・とあ   ります。  ①、「渡りて海北を平ぐること95国」、この95国は、通例    朝鮮半島南半の諸国を指すものと見なされています。     ところが「記紀」の場合、朝鮮半島南半は大体「海西」と    表…
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