14C測定値の公開ー4-近畿

滋賀県、奈良県、和歌山県、大阪府

【滋賀県】

南郷遺跡
(大津市石山内畑町)7世紀中

瀬田川右岸の丘陵地の谷筋平坦部に築かれた7世紀中頃の
製鉄炉及びそれに伴う炭窯遺構である。

14C年代法。
KSU‐1333(木炭№1)〔炭窯跡〕・・・1400±20(AD550年)
                      推定時期(7世紀中)                  
KSU‐1347(木炭№2)〔炭窯跡〕・・・1420±20(AD530年)
                      推定時期(7世紀中)
KSU‐1349(木炭№3)〔炭窯跡〕・・・1400±20(AD500年)  
                      推定時期(7世紀中)
KSU‐1341(木炭 )〔製鉄炉跡〕・・・1410±20(AD540年)
    共伴遺物(長胴甕)      推定時期(7世紀中)

上記4点の遺物は推定時期より約100年古い資料となって
いる。

志那湖底遺跡
(草津市志那地先)弥生~平安

琵琶湖の湖底遺跡で湖岸から沖合い200mにかけて縄文
晩期の甕棺墓や弥生の土杭、古墳時代の溝などがある。

14C年代法。
KSU‐1536(木)・・・・・・・・・2940±25(BC990年)
KSU‐1453(植物遺体)・・・2780±25(BC830年)
                   推定時期(弥生前期)
弥生前期はBC300年頃だからKSU‐1536(木)推定時期より
   530年古い。

烏丸崎遺跡
(草津市下物町)縄文~平安

琵琶湖に鈎状に突き出た砂州に弥生時代前期の土杭、中期
から後期の方形周溝墓が100期近くあり、また半島の先端に
は中期の玉造工房が2基見つかっている。周溝墓からは3基
の木棺が見つかっている。さらに弥生中期の墳砂や、中期以
降の断層もある。

(1)14C年代法。
KSU‐1540(土)〔第2層 黒褐色腐植土 周溝墓下層〕
・・・2500±25(BC550年) 推定時期(弥生中期)
      推定時期より400年古い層
KSU‐1541(土)〔第10層 黒褐色粘土 最下層〕・・・3840±30
KSU‐1530(土)〔81.6m〕・・・3890±30

(2)14C年代法。
GaK‐17429(木)〔溝下層〕・・・2800±100
GaK‐17430(木)〔溝上層〕・・・1560±80

(3)年輪年代法。
№1(木棺)〔採取部位・SX11(1988年度)〕・・・AD103年
                   推定時期(弥生後期)
        推定時期からは(ほぼ妥当)

小津浜遺跡
(守山市山賀町地先)弥生~平安

琵琶湖の湖畔からやや陸地に入った低湿地で、弥生前期の
溝、中期の住居跡、方形周溝墓群、水田跡のほか、大量の土
器や木製農具が出土している。

(1)14C年代法。
KSU‐1633(木)・・・2220±40(BC270年) 
                   推定時期(弥生前期)
         推定時期としては(妥当)
KSU‐1634(木)・・・2020±30(BC70年)
                   推定時期(弥生中期前半)
         推定時期としては(妥当)  
KSU‐1635(木)・・・1920±30(AD30年)
                   推定時期(弥生中期後半)
         推定時期としては(妥当)
KSU‐1636(木)・・・4110±35(BC2160年)
KSU‐1637(木)・・・3590±50(BC1640年)

(2)14C年代法。
GaK‐17431(炭化米)・・・3020±80(BC1070年) 
                推定時期(弥生前期)
         推定時期としては(770年古い炭化米)となる

小比江遺跡
(野州郡中主町小比江)

旧野州川の沖積地帯にあり、弥生次第中期から古墳時代はじ
めの方形周周溝墓や木棺墓、飛鳥時代の建物などが出土して
いる。

14C年代法。
GaK‐16347(木棺SX1109W10)・・・3500±110(BC1550年)
                    推定時期(弥生後期)
       推定時期より1650年古い木棺ということになる
GaK‐16348(杭SA2101W44)・・・・・1790±110(AD160年)
                    推定時期(7世紀後半)
       推定時期より490年古い杭ということになる

湯ノ部遺跡
(野州郡中主町西川原)弥生~奈良

旧野川の沖積地にあり弥生時代前期の住居跡、中期~古墳
時代初等の方形周溝墓、飛鳥時代の鍛冶工房や住居跡が見
つかっている。また、弥生時代中期の周溝から4体の木偶が、
飛鳥時代の溝から文書木簡が出土している。

14C年代法。
GaK‐16349(材)・・・・・・・2320±80(BC370年)
                   推定時期(7世紀後半)
   推定時期より1020年古い(材)ということになる 
GaK‐16350(炭化材)・・・2380±80(BC430年)
                   推定時期(弥生前期末)
   弥生前期末は約BC100年だから指定時期より230年古い
   (炭化材)ということになる    
GaK‐16351(材)・・・・・・・2750±80(BC800年)
                   推定時期(弥生中期後半)
   弥生中期後半は約(0年)だから推定時期より800年古い
   (材)ということになる

十禅寺遺跡
(長浜市今川町)平安

柿川の扇状地に位置し平安時代の井戸などが見つかっている。

14C年代法。
GaK‐16905(曲物)〔採取部位・井戸〕・・・1710±80(AD240年)

井戸のある一部の(曲物)が平安時代のものとされている
    が、その測定データが(AD240年)ということになれば、この
    井戸も約560年(AD240年)の作成ではないだろうか

今川東遺跡
(長浜市今川町)弥生後期~古墳初

柿川の扇状地に位置する、弥生後期~古墳時代初頭期の溝や
住居跡が見つかっている。

14C年代法。
①GaK‐16906(焼け棒)・・・1210±80(AD740年)
②GaK‐16907(板   )・・・2610±70(BC660年)
③GaK‐16908(棒   )・・・2580±90(BC630年)
④GaK‐16909(自然枝)・・・2590±90(BC640年)
⑤GaK‐16910(自然木)・・・2770±100(BC820年)
⑥GaK‐16911(板   )・・・2320±90(BC370年)
⑦GaK‐16912(焼け枝)・・・2010±70(BC60年)
⑧GaK‐16913(自然木)・・・2360±80(BC410年)
⑨GaK‐16914(自然枝)・・・2050±80(BC100年)
⑩GaK‐17023(H0301溝)・・1630±90(AD320年)

①⑩を除いて他はすべてBC年代、この遺構はBC820年~ADま
で続いてきた遺跡のようです。したがって推定時期より820年古
い遺跡となるかも知れません。

二ノ畦・横枕遺跡
(守山市下之郷町字向八代 他)弥生・古墳

野州川左岸の沖積平野扇状地帯に営まれた環濠集落。成立
は弥生中期末で、環濠の埋没は後期初頭。集落の外縁には一
重の環濠が掘られている。集落内部の調査では、竪穴住居が
70棟以上、掘立柱建物が3棟以上検出されている。

年輪年代法。
MYN27‐1(木・檜)〔井戸下層〕・・・BC97年
 共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生中期末)
MYN27‐2(木・杉)〔井戸下層〕・・・BC97年
    共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生中期末) 
MYN27‐3(木・杉)〔井戸下層〕・・・BC60年
共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生中期末)

弥生中期末(0年)だから3点とも推定時期より200年前後
   古い資料となる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【奈良県】

菅原東遺跡257-2次
(奈良県奈良市菅原東町)縄文時代中期

平城京右京三条三坊七坪の東南偶下層に位置する。自然流
路が南北に伸び、その中から大量の石器・サヌカイト片が面的
な広がりをもって発見された。発見された石器には縄文時代中
期の石鏃・楔形石器・石錘・石錐・スクレーパーなどがある。

14C年代法。
GAK‐17401(木炭)・・・4540±120BP(BC2590年)
     共伴遺物(石器)  推定時期(縄文中期)

菅原東遺跡293次
(奈良県奈良市菅原東町)縄文時代~中世

平城京右京三条三坊四坪の下層に位置する。奈良時代の下層
に面的な広がりをもって石器や・サヌカイト片が発見されている。

14C年代法。
資料‐№1(木炭)・・・4290±105BP(BC2340年)
共伴遺物(石器)  推定時期(縄文中期)

箸尾遺跡第6次
(奈良県北葛城郡広陵町)古墳時代中期(5C)~中世

奈良盆地の中央に位置する集落遺跡。大和川の支流曽我川の
自然堤防上、島の山古墳と河合大塚山古墳の中間に位置する。
つくりつけの竃を備えた竪穴住居や水田跡が発見されている。

考古地磁気法。
資料‐№1(焼土)〔SB2007(竃)〕・・・AD445~480
   共伴遺物(土師器)  推定時期(5世紀)
資料‐№2(焼土)〔SB2007(竃)〕・・・AD445~480
        共伴遺物(土師器)  推定時期(5世紀)

小泉遺跡
(奈良県郡山市小泉町)弥生後期・古墳中期

奈良盆地の中央、矢田丘陵斜面に位置する集落遺跡。弥生時
代後期の竪穴住居、古墳時代中期の円墳、埴輪円筒棺などが
見つかっている。

考古地磁気法。
KI 1~12(焼土)〔竪穴住居〕・・・AD260頃
     共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生時代後期)

長谷遺跡
(奈良市佐紀町・歌姫町)古墳時代中期

奈良盆地の北、佐紀丘陵の南斜面に位置する集落跡。古墳時
代中期の竪穴住居が1棟、みつかったことにより、付近に数等
(棟?)の住居が広がっていたと推定されている。

熱ルミネッセンス測定法。
№1 (焼土)〔炭窯の上部〕・・・1080±150(AD770年)
№2 (焼土)〔SB02竃〕・・・・・1560±140(AD770年)
                推定時期(古墳時代中期)

小墓(こばか)古墳
(奈良県天理市杣之内町)古墳後期

奈良盆地を西に臨む丘陵地位置する古墳時代後期の全長約
80mを測る前方後円墳。幅約10mの周濠が確認されており、
その中から笠形木製品・埴輪などが発見されている。

年輪年代測定法
№1(笠形木製品)・・・AD454 共伴遺物(埴輪)
                   推定時期(古墳後期)
№2(笠形木製品)・・・AD482 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳後期)
№3(笠形木製品)・・・AD426 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳後期)

四条古墳
(奈良県橿原市)古墳後期

奈良盆地の南の低地部に位置する古墳時代後期の大型前方
後円墳。墳丘は藤原京造営時に削られる。二重の周濠内には
削られた墳丘盛り土と共に埴輪・土器と大量の木製品が確認
されている。

年輪年代測定法。
№1(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD448 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
№2(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD439 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
№3(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD437 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
№4(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD436 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
№5(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD436 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
№6(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD431 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
№7(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD416 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)

以上、奈良県の場合は、推定時期と測定年代がほぼ一致してい
ることがわかる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【和歌山県】

吉礼・砂羅(喜連さらだに)谷古窯跡群のみ、考古地磁気法によ
るデータなので省略することにします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【大阪府】

城山(じょうやま)遺跡
(大阪市平野区長吉出戸・長吉長原)弥生・古墳・古代

弥生時代中・後期の方形周溝墓群や弥生時代後期の焼失住居
が、古墳時代では、中期の方墳群や後期の小区画水田などが
検出されている。

14C年代測定法。
OR‐18 (木)・・・2190±60BP(BC240年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期中葉)
  弥生後期中葉は約200年だから440年古い (木)ということ
  になる
OR‐19 (木)・・・2215±77BP(BC265年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから365年古い (木)ということ
  になる
OR‐19 (木)・・・2083±58BP(BC133年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから233年古い (木)ということ
  になる
OR‐20 (木)・・・1969±52BP(BC 19年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
弥生後期前葉は約100年だから69年古い (木)ということ
  になる
OR‐21 (木)・・・2148±66BP(BC198年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから248年古い (木)ということ
になる
OR‐22 (木)・・・2087±75BP(BC137年) 共伴遺物(弥生土器)
                      推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから237年古い (木)ということ
  になる
KSU‐1(木)・・・1970±20BP(BC20年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから70年古い (木)ということ
  になる

佐堂遺跡
(東大阪市金岡町・八尾市佐堂)縄文・弥生・古墳・古代・中世

縄文から近世にいたる複合遺跡。竪穴住居群の検出や、長瀬川
の旧流路の確認やそこに施された護岸施設の構造が明らかにな
った。

14C年代測定法。
KSU‐521(木№1)〔長瀬川右岸杭列〕・・1390±15yBP(AD560年)
共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)
KSU‐521(木№2)〔長瀬川右岸杭列〕・・1500±15yBP(AD400年)
  共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)
KSU‐521(木№3)〔長瀬川右岸杭列〕・・1360±20yBP(AD590年)
共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)
KSU‐521(木№4)〔長瀬川右岸杭列〕・・1410±20yBP(AD540年)
共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)

以上四点の推定時期に対しては、推定時期に順ずる多少古い
年代が与えられていますが、飛鳥・奈良時代は(593年~694年)
となるのでほぼ妥当の線が出ているような気がします。

瓜生堂(うりうどう)遺跡
(東大阪市瓜生堂)弥生~古墳

河内平野の中央部に位置する弥生時代の拠点集落と方形周溝
墓群。

14C年代法。
(採取部位)
№ 1(東西自然溝・青灰色砂層)・・・2020±80BP(BC70年)
№ 2(河中・灰色粗砂層)・・・・・・・・・3140±50BP(BC1190年)
№ 3 (A埋没層)・・・・・・・・・・・・・・・・1690±50BP(AD260年)
№ 4(青灰色細砂層)・・・・・・・・・・・・1910±70BP(AD40年)
№ 5(黒色砂質土層)・・・・・・・・・・・・2070±70BP(BC120年)
№ 6(青灰色粘土層上面)・・・・・・・・1590±40BP(AD360年)
№ 7(青灰色砂質層)・・・・・・・・・・・・1730±30BP(AD220年)
№ 8(黒色砂質粘土層)・・・・・・・・・・1850±30BP(AD100年)
№ 9(茶褐色砂層)・・・・・・・・・・・・・・3180±30BP(BC1230年)
№10(UU3PY24Z)・・・・・・・・・・・・・・2070±30BP(BC120年)
№11(黒色砂質粘土層)・・・・・・・・・・2010±30BP(BC60年)

以上データのみ

美園遺跡
(八尾市美園町1丁目~7丁目)縄文~近世

縄文から近世にいたる複合遺跡。河内平野中央部の最古の集
落の一つ。山賀遺跡と同様に弥生時代前期の竪穴住居・掘立
柱建物と多数の溝を検出され、初期農耕における水田と居住域
の関係を判明した。また、美園古墳から家型埴輪と壺型埴輪が
出土している。家型埴輪は高床式の住居と倉庫を模したと思わ
れるもので、高床式の住居は内部に「ベッド状施設」がみられ、
屋根の構造など、当時の建物についての貴重な資料となった。


(1)14C年代測定法。
KSU‐714(焼土)・・・2690±30BP(BC740年)
        共伴遺物(弥生前期)
   弥生前期の共伴遺物が(BC740年)とは、あまりにも違い
   過ぎるのでは(約440年古い)。
KSU‐529(木  )・・・2120±50BP(BC170年)
        共伴遺物(庄内式土器)  推定時期(古墳初頭)
   推定時期が古墳初頭としてはデータが古すぎる(約470年
   古い)。

(2)考古地磁気年代測定法。
YOS 1‐12(焼土)・・・前2~3世紀   共伴遺物(第1様式)
                       推定時期(弥生前期)
YOS21‐34(焼土)・・・誤差大
YOS41‐58(焼土)・・・前1世紀後半  共伴遺物(第1様式)
                       推定時期(弥生前期)

上記2点はほぼ妥当なデータです。

久宝寺(きゅうほうじ)遺跡
(八尾市北久宝寺・神武町)縄文・弥生・古墳・古代

河内平野西南部に位置する。縄文時代から平安時代にいたる
複合遺跡である。弥生時代後期から古墳時代前期を中心とす
る。南地区の調査では、庄内期の水路から水利施設に転用さ
れた準構造船が出土した。

14C年代法。                    (備考・年輪年代)
KSU‐1004(ピート)・・1760±30BP(AD190年) (AD170~250)
共伴遺物(布留式土器) 推定時期(小若江北並行)
KSU‐1005(ピート)・・1700±35BP(AD200年) (AD220~320)
 共伴遺物(布留式土器) 推定時期(小若江北並行)
KSU‐1006(ピート)・・1680±30BP(AD270年) (AD260~320)
 共伴遺物(布留式土器) 推定時期(小若江北並行)
KSU‐1007( 木 )・・2330±30BP(BC380年) (BC480~420)
 共伴遺物(弥生土器) 推定時期(弥生中期中葉)
KSU‐1008( 木 )・・2250±50BP(BC300年) (BC430~400)
 共伴遺物(弥生土器) 推定時期(弥生中期中葉)
KSU‐1009( 木 )・・2140±25BP(BC190年) (BC380~170)
 共伴遺物(弥生土器) 推定時期(弥生中期中葉)

恩智(おんじ)遺跡
(八尾市恩智)弥生~古墳

河内平野の東、生駒山西麓に位置する弥生時代の拠点集落。
河川改修に伴う南北200mのトレンチの東岸側。集落の北縁と考
えられ、遺物包含層は薄くなる。調査区からは大型土杭・井戸・
溝21条などが発見されている。
溝SD16は8層に分けられ、コンテナ2箱の土器が出土。土器は
弥生土器(Ⅲ~Ⅳ)と土師器(布留式)が大半で小量の弥生後期
(ⅴ)、庄内式土器を含む。

14C年代法。BC
N‐3551(  木  片  )・・・2240±90BP(BC290年)
   共伴遺物(弥生土器・Ⅲ~Ⅳ他) 推定時期(弥生時代中期)
      推定時期より約300年古い(木片)である
N‐3552(泥炭質粘土)・・・1950±80BP(AD1年)
   共伴遺物(土師器・布留式他)   推定時期(古墳中期)  

      土師器が(AD1年)の泥炭質粘土の層から発見された
      ことは、弥生中期(AD1年)にはすでに土師器が作られ
      ていたことを意味するようです

大場寺(おおばでら)遺跡
(堺市大場寺・小城地内)

和泉山脈から派生する中位段丘と沖積段丘状に位置する古墳
時代中期の生産集落跡で、須恵器生産の初段階において全国
的な拠点となったと考えられている「陶邑(すえむら)」集落に比
定される
須恵器窯遺構に伴う灰原からはわが国最古段階とさ
れる初期須恵器が出土した。
また谷を隔ててその生産者の住居
域が検出され、須恵器生産集落の構造が明らかになった。

14C年代法。  
1‐17458(炭)〔TG231号窯灰原2層〕・・・1750±80BP(AD200年) 
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17459(炭)〔TG231号窯灰原2層〕・・・1420±80BP(AD530年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17460(炭)〔TG231号窯灰原4層〕・・・1630±80BP(AD320年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17461(炭)〔TG231号窯灰原4層〕・・・1660±80BP(AD290年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17442(炭)〔TG232号窯〕・・・1620±80BP(AD330年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17443(炭)〔TG232号窯〕・・・1540±80BP(AD410年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17440(炭)〔ON231号窯〕・・1540±80BP(AD410年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17441(炭)〔ON231号窯〕・・・1560±80BP(AD390年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)

この遺跡の大半の資料は推定時期の年代を示しているが、中
には弥生時代に使用されたと思われる(炭)が(須恵器)と共に
出土しているが、(須恵器)が弥生時代後期後半にすでに作ら
れていたことを証拠付ける重要な資料なのではないか〔例えば
17458の(AD200年)のデータのごとく〕

また、定説では、先述の赤文字のように、「朝鮮半島で三世紀
末から四世紀にかけての須恵器生産の開始が五世紀になっ
てわが国日本の伝わり、生産開始となった」とされてきたが、
逆のケースで、“日本から朝鮮半島に伝わったという説”に覆
されるかも知れないデータの出現、一考を要するべきなのでは
ないか。

下田遺跡
(堺市下田町)縄文・弥生・古墳

石津川の下流域左岸に位置し、弥生から古墳にかけての集落
跡と石津川旧河道と推定される自然河川が確認されている。こ
の旧河道の川岸からは銅鐸埋納遺構が検出され、また、旧河
道が自然埋没して形成された溝からは古墳時代前半の古式土
師器に伴って多量の木製品が出土した。

(1)14C年代法。測定資料はすべて(焼土)
資料№SS‐1~SS‐8まで、
・・・測定結果(300±50)    共伴遺物(弥生土器・後期後半)

資料№SS‐14~SS‐20まで、
・・・測定結果(250±100)    共伴遺物(庄内式土器)

資料№SS‐21~SS‐30まで、
・・・測定結果(190±10)     共伴遺物(庄内式土器)

資料№SS‐31~SS‐38まで、
測定結果(150±10)または(350±50) 共伴遺物(庄内式土器)

・・・と、ほぼ妥当な年代となっている。

(2)年輪年代法。
W134(木器・腰掛け)・・AD240 共伴遺物(布留式土器・木製品)

野々井西遺跡
(堺市菱木)弥生・古墳・古代

泉北丘陵を開沂する和田川左岸の中位段丘上に位置し、「陶
邑」でいう大野池地区に属する。弥生時代中期から後期にかけ
ての集落跡、古墳時代の須恵器窯、奈良時代の火葬骨壷が確
認されている。弥生時代の遺物としては、弥生土器・石器・銅鐸
型土製品
・鉄器等がある。また、大野池231号(ON231号窯)
と命名された須恵器窯から多量の初期須恵器が出土した。

14C年代法。
KI‐1(炭)〔灰原〕・・・1540±80(AD410年) 共伴遺物(須恵器)
KI‐2(炭)〔灰原〕・・・1560±80(AD390年) 共伴遺物(須恵器)

AD400年~の遺跡から共伴遺物として須恵器は妥当な出土品
である。

上フジ遺跡
(岸和田市三田町)弥生・古墳

弥生から中世にいたる複合遺跡。山直谷を流れる牛滝川河岸
段丘上に位置し、弥生時代後期から古墳時代にかけての集落
跡、中世の耕作溝等が確認されている。5軒の竪穴住居のうち
4軒に火災の痕跡が残り、その内多角形を呈する竪穴住居から
銅鐸型銅製品が出土している。なお、14C年代測定法に示され
た各遺跡の時期の平均は200±75年である。

KF‐1(炭化材)〔竪穴住居1‐OD〕・・1733±124(AD217年)
                共伴遺物(弥生土器・砥石)
KF‐2(炭化材)〔竪穴住居2‐OD〕・・1620±90 (AD330年)
                共伴遺物(弥生土器・銅鐸型銅製品
KF‐3(炭化材)〔竪穴住居3‐OD〕・・1725±197(AD225年)
                共伴遺物(弥生土器)
KF‐4(炭化材)〔竪穴住居4‐OD〕・・1700±150(AD250年)
                共伴遺物(弥生土器)

南天平塚(みなみてんぴょうづか)古墳
(大阪市豊中市南桜塚)古墳時代中期

大石塚、大塚古墳など桜塚古墳群内に位置した古墳時代中
期の全長20mを測る円墳。主体部は粘土槨内にコウヤマキ
をくり抜いてつくった二基の割り竹形木棺が納められていた。
1号木棺からは鏡・刀・剣・鏃・甲などが、2号木棺からは鏡・刀・
剣・鏃・馬具などが発見された。

年輪年代法。
(割竹形木棺)・・(棺材)・・AD367+α
    共伴遺物(剣・甲・盾・鏡・鉄刀・弓・鉄鏃・馬具など)           
         推定時期(古墳時代中期・5世紀後半)

陶邑窯跡群TK- 59号窯
(堺市高倉台(垣外谷池の北斜面)奈良時代前期(8C)

百舌鳥古墳群・古市古墳群の後方に広がる丘陵に営まれたわ
が国最大級の登り窯群。窯跡群から発見された須恵器を分析し
須恵器編年(中村編年・田辺編年)が試みられている。窯は高蔵
寺(TK)地区の平窯で床面は一つ、窯体の一部と灰原が調査さ
れた。遺物は蓋杯・皿・壺・甕などコンテナに4箱分が出土してい
る。

14C年代法。
KSU‐185(木炭)・・・1190±20BP(AD760年)
    共伴遺物(須恵器 Ⅳ‐2・3) 推定時期(奈良時代前期)
KSU‐189(木炭)・・・1200±15BP(AD750年)
    共伴遺物(須恵器 Ⅳ‐2・3) 推定時期(奈良時代前期)
KSU‐193(木炭)・・・1220±30BP(AD730年)
    共伴遺物(須恵器 Ⅳ‐2・3) 推定時期(奈良時代前期)

奈良時代は(710年から784年)であるから推定時期とほぼ一致し
ている。
  
狭山池
(大阪狭山市)古墳時代後期

狭山池は飛鳥時代以降に谷地形の開口部を堤によって堰き止
め、造営された大阪府最大級のため池。東樋下層遺構の調査に
よって、ため池造営時のコウヤマキ製の丸太7本をくり抜いてつ
くられた樋管が発見された。これらの樋管は奈良時代の堤の増
設によって更に長く延長され、総延長70mを測る。東樋上層遺構
の調査では、慶長十三年の改修の時につくられたと推定されるヒ
ノキ製の木樋が発見されている。

年輪年代測定法。
木樋コウヤマキ・・・AD616年  
  共伴遺物・・池下層(造営前)の窯の須恵器(TK209)
          池北堤(造営後)の窯出土須恵器(TK217)
  推定時期・・古墳時代後期 
    (TK209)、(TK217)の須恵器は推定時期にピッタリ。

池上曽根(いけがみそね)遺跡
(和泉市池上町・泉大津市曽根町)弥生時代

大阪湾を望む低位段丘上に位置する弥生時代中期の拠点集落
を中心とした集落遺跡。大型建物は集落中枢部に企画的に配置
され、東西19.6m、南北6.9mを測る。柱穴からヒスイ製勾玉や
朱塗り土器などが出土。柱は最大級0.7mもあるヒノキ(樹齢300
年以上)17本出土した。

年輪年代測定法。
資料№8(柱根・ヒノキ)〔大型掘立柱建物柱穴12〕・・・BC52年
   共伴遺物(弥生土器Iⅴ‐3)  推定時期(弥生中期)
    BC52年は(弥生中期)にピッタリ。

応神陵古墳
(羽曳野市誉田5丁目)古墳時代

応神陵古墳外堤に沿って流れる一級河川大水川の改修工事に
伴う調査で外堤を画する溝や外堤上からの転落埴輪が多く見つ
かっている。

年輪年代測定法。
(資料名・笠形木製品)〔採取部位・第4層SD01〕・・・302年
   共伴遺物(埴輪・土器)  推定時期(古墳中期)
  302年は古墳初期であるが、凡そのところ推定時期としては
  妥当と考えてもいいのではないか。

新池遺跡
(高月氏葉室)旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥

旧石器から中世に至る複合遺跡。特に、古墳時代中期から後
期にかけて3期、3群の半地下式埴輪窯、工房、および工人集
落から成る埴輪製造所が検出されている。

考古地磁気測定法。
KOS1―12(焼土)〔1号窯跡焼成部床面〕・・・AD450±10年
    共伴遺物(埴輪)    推定時期(古墳中期)
KOS21‐33(焼土)〔2号窯跡焼成部床面〕・・・AD440±30年
    共伴遺物(埴輪)    推定時期(古墳中期)
KOS41‐55(焼土)〔3号窯跡焼成部床面〕・・・AD430±30年
    共伴遺物(埴輪)    推定時期(古墳中期)
 3資料とも古墳中期の遺物にピッタリ。

陶邑窯跡群
(堺市泉北丘陵一体~大阪狭山市狭山池周辺)
古墳時代後期(5C)~奈良時代後期(8C)

百舌鳥古墳群・古市古墳群の後方に広がる丘陵に営まれたわ
が国最大級の登り窯跡群。窯跡群から発見された須恵器を分
析し須恵器編年(中村編年・田辺編年)が試みられている。
丘陵ごとに西から陶器山(MT)地区・高蔵寺(TK)地区・栂(TG)
地区・富蔵(TM)地区・光明池(KM)地区・大野池(ON)地区・谷
山池(TN)地区に分かれる。

考古地磁気測定法。
移動平均の計算結果
(Age・年代)440・460・480・500・520・540・560・580・600・620・640
    ・680・660・680・700・720・740・760・780

陶邑における5~8世紀の考古地磁気測定結果(1)
site番号ON22(3) TG22(4) ON53.57.58.151.155.152.222 MT
70.206(2) TG19.37.39.43(2).201 TK33.50.67(2).103(2).305.(4).
306.27(2) .KM2 MT5(7).84 →(430・450・470・480・490年の間に)

陶邑における5~8世紀の考古地磁気測定結果(2)
site番号TK2..4(2).15.33.41.43(8) 232(7).305.312 KM3.28.115.
126 MT5(4).200 TG30.38(2).39.40.43.51(2).65.211 ON3(3).52
(3)→(490・510・530・550・570・590・610年の間に) 

陶邑における5~8世紀の考古地磁気測定結果(3)
 site番号MT22(2) TG10(7).11.17.40.(2).41(3).55.57(2).62.63(2)
64.68.70.200(2).202.205.206.216 TK20.44(2).45.46.48.68.316.317.
321 KM11(2).28.60.101.102.125→(610・630・650・670・675・690・
720・750年の間に)

陶邑における5~8世紀の考古地磁気測定結果(4)
 site番号TK33.36.53(2).57(2).237.238 KM22.28.31.33.38.51 M
T71.209→(750・760・770・780・790年の間に年代が与えられて
いる)
上記〔1)、(2)、(3)、(4)のデータは、須恵器発生から須恵器
作り全盛ゾーンまで網羅するかのように古墳期から奈良時代初
期までの年代に収まっている。


●●日置荘(ひおきのしょう)遺跡
(堺市日置荘原寺町、日置荘西町、日置荘西田中町)
古墳・奈良~平安・中世

開析谷の斜面から、6世紀中葉の須恵器窯とそれ以降の埴輪
窯が検出された。中世を中心とする区画溝を有する集落跡・城
郭跡がみられた他、鋳造関係遺構・遺物の検出より、「河内鋳
物師」との関連が注目される。また瓦質製品が多量出土してお
り、寺院の性格を有した施設の存在も想定される。

14C年代法。
ksu‐1717〔Ⅲ‐L地区須恵器窯L‐1(溝L‐12黒褐色炭化物層)〕
    1490±20(年輪年代・AD580±20年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1718〔Ⅲ‐L地区須恵器窯L‐1(土杭L‐34炭化物層)〕
    1530±70(年輪年代・AD540±15年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1719〔Ⅳ‐P地区河道P‐2B 灰色砂質土出土木片〕
    1670±70(年輪年代・AD390±20年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1720〔Ⅳ‐P地区河道P‐2B 灰色砂質土出土木片〕
    1620±70(年輪年代・AD420±10年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1721〔Ⅳ‐P地区須恵器窯P‐1 灰原炭化物〕
    1490±15(年輪年代・AD580±20年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1722〔Ⅳ‐P地区V層(青灰色粘土)木根〕
    1690±10(年輪年代・AD360±100年) 共伴遺物(――‐)
             推定時期(不明)
ksu‐1723〔Ⅳ‐P地区埴輪窯P‐1 床面1炭荘〕
    3520±25(年輪年代・BC1880±20年) 共伴遺物(――‐)
             推定時期(不明)
ksu‐2283〔Ⅳ‐P地区埴輪窯P‐1 床面1炭荘〕
  1480±20(年輪年代・AD600±20年) 共伴遺物(川西編年V以降)
             推定時期(6C前半)
野々上埴輪窯跡群
(羽曳野市野々上三丁目)古墳時代

仁賢天皇陵古墳の堤外側傾斜面に、仁賢天皇古墳に供給したと
考えられる埴輪を焼いた窯が2基見つかっている。

考古地磁気法。
NNW1~16(焼土)〔1号床面〕・・・AD540±80年
AD850±150年
        共伴遺物(埴輪)  推定時期(古墳後期)
  この窯のデータは、AD540~ AD850まで約300年間も使用され
  たことを示している。



            

  

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック