卑弥呼ー37 踊る、卑弥呼の墓

 最近、奈良県(纏向遺跡)で古代の大規模な居住区
 のようなものが発掘され始めている、というニュ―スを
 テレビで見ました。
 卑弥呼が居た都だったのではないか?、という記事が
 新聞紙上で 踊って いました。
  最近、幾度かこのような記事を新聞紙上で見たような
 気がします。そのたびに《卑弥呼の国ではないか?》の
 ・・・見出し・・・が、踊って居ます。
  奈良は、「大物主命」(関 祐二氏は大国主命の別名
 とも云っています)が司っていた国です。広大な出雲王
 朝の朝廷があったであろう所です。多分、九州王朝より
 も早くに存在していた王朝だとおもいます(ニギハヤヒ)。
 それゆえ、大規模な家並の発見があっても、おかしくは
 ないと思いますが。
  それを、鼻っから、卑弥呼の都か?、卑弥呼の城か?
 卑弥呼の大きな墓があるかもしれない?、と騒ぎ立て
 ています(マスコミが騒いでいるのかもしれませんが)。
  その都度に九州にいる(であろう)卑弥呼が、箸墓だ、
 巻向だ、と奈良盆地で巫女の姿で踊らされているよう
 な気がします。しかし未だ、はっきりした 物 が見つ
 かっていません。卑弥呼に由来するような、土器の破片
 が出土した!、とか、それらしき木管(卑弥呼の時代には
 未だ使われてはいないか?)、竹管(レッドクリュフ の中
 では使われていましたよね?)の破片が出現した?とか
 卑弥呼の墓らしき遺構がみつかった、とか、ということなら、
 どんどん発表してもらわなければなりません、私も、その
 現地説明会に参加させてもらいたい、と思っています。
 新聞紙上に大きな見出しが躍っていてもかまいません。
 しかし
  まだ、海のものとも、山のものとも、わかっていません。
 もうすこし静かに見守っていようではありませんか?
 
 大阪府茨木市には銅鐸の鋳型がみつかっています。
  この鋳型で銅鐸を作り、その銅鐸を祭祀としていた
 強大な銅鐸王国があったのです。出雲、鳥取、京都、
 大阪、奈良、と広大な銅鐸王国があったのです。
  福井、石川、富山、新潟(佐渡、本州新潟は鈴文明
 領域だったようです〔六日町飯綱山古墳で青銅製三環鈴
 あり〕。)は(国引き神話の中で)収めた途端、国譲りを宣告
 されたのでしょう、・・・・・ここまでを加えれば、それこそ
 広大な、広大な銅鐸王国があったのです。

 そして、その広大な王朝が、もろくも崩れ去るのです。
 誰によって?神武を祖とする崇神から垂仁です。

 また、次ページで、・・・・・
  
  


  

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