卑弥呼ー40 短里の曲がり物差

 レッドクリュフの次に卑弥呼の まとめ を忘れて
  しまいました。
 卑弥呼は、やっぱり、博多湾岸に居たのだ、・・・と、
 いうことを。
  
 三国志(魏志倭人伝)
  ・・・郡より女王国に至る万二千余里。・・・
   この一文が最大にして、最小の「帰結」です。
 いろいろ書いてきましたけれども、卑弥呼は
  帯方郡(今のソウル)から、海岸に循ってその郡の
 西南端(韓国西北端)まで海を行き、そこから韓国の
 対角線(韓国を四辺形とみなして)をジグザグ行進して
 釜山まで行き、海を渡り対馬、壱岐の島、唐津へと、そ
 こから陸路で海岸線に沿いながら博多湾岸の女王国に
 到達したというのです。
  三国志の時代は短里(一里≒75m)ですから、この
 物差(曲がり物差)で、実際世界地図上で測ってみると、
 ソウルから博多湾岸まで、およそ12000里となることが
 わかりました。
  単純に素直に、三国志に書いてある通りに読み進めば
 必ず女王国に辿り着くことができます。
  誇張もなにもありません、唯、正確に読んで行けば良
 いのです。三国志は正確無比だったことがわかります。
  皇国史観にとらわれずに純粋に三国志を信用しきる、
 これが大切とおもいます。女王国や卑弥呼は『三国志』
 が無ければ産まれてこなかったのですから。
  范曄の『後漢書』をお手本にしてはだめです。後代史
 料をお手本にしてはだめです。
  
 ・・・・・そうです、卑弥呼は三国志倭人伝を
                 母としているのですから、・・・・・
 そして卑弥呼は、漢式銅鏡の多数出土している、三種の
 神器が多数出土の古墳の領域に、住んでいたのでした。

 卑弥呼はこのへんで、・・・

 次ページからは「倭の五王」です。
 

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