卑弥呼ー29 女王の城

 魏使の見たもの
  「宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人有り、兵を持して
  守衛す。」
   そして、魏使は壮大な城郭へと、楼観を見上げながら
  柵門(城柵)をくぐり抜け、宮室へと導かれ、女王と面接し、
  詔書・印綬・下賜品を与えたのである。

   魏使は実際に卑弥呼の城を見、国を見、女王にもあった
  のです。

・・・・・・・・・、ここまでは、考古学的分野には一切省みず、
 ただひたすら 三国志 を中心とする文献による論証を進め
 てきました。必然的に卑弥呼の宮室、宮殿、城郭、都、都域
 は、博多湾岸領域に帰結することになりました。・・・・・・・・・

 “卑弥呼の遺跡について”  
 唐津より糸島を経て博多の平野と周辺丘陵地帯にいたる
  地帯、言い換えれば肥前北部より筑前に至る地帯に、広く
  弥生期の遺跡が分布しています。
   たとへば、糸島半島の「三雲」「平原」、博多平野の丘陵
  地帯に接した地点「須玖」は代表的な一・二世紀の遺跡と
  されてきました。これらの遺跡は三世紀の国々とは、時期
  がはるかにへだたっているかにみえますが、唐津ー糸島
  半島ー博多平野と周辺丘陵地帯の諸遺跡が、巨視的に
  見て、「同時代性(等質性)」の部分をもっていることから考
  がえれば。「博多湾にのぞむ平野と周辺丘陵地帯」に三世
  紀の邪馬壹国の遺跡が存在した、と考えるということは、
  きわめて“妥当性”があると思われます。

 “物証論”
  古田氏は「古代は輝いていた(1)の中で述べています。

 「邪馬台国論者」も「邪馬壹国論者」にもそれぞれに相当する
 物証を示す責務がある。・・・・・といっています。

 a,宮室、楼観、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。
 b,兵には矛,盾,木弓を用う。
 
  女王の宮殿は「矛(銅矛)」で囲まれている。
 この矛の中心は博多湾岸にあります。たとえば、春日市の
 須玖岡本の甕棺、細矛5個出土しています。また福岡市の
 板付遺跡、3個の矛を出土しています。他に2個の細矛出土
 の弥生墓は、春日市(1)、糸島郡(1)、唐津市(2)、島原市
 (1)、となっています。この地域一帯を古田氏は、・・・・・・・・
 ・・・・弥生のゴールデンベルト・・・・・と呼んでいます。・・・・・
  さらにその鋳型の出土分布をみると、やはり博多湾岸に集
 中しています。
  この矛および鋳型の出土状況からすると、卑弥呼の女王国
 の都はゴールデンベルトに囲まれているようです。
 
 ここで、特記しておかなければならないことがあります。
  矛の出土状況から、対馬が87個と異常に多いのです。この
 ことから察すると、“博多湾岸の王者は対馬を聖地としていた”
 と、考えられます。あの「国産み神話」の中で、矛(天の沼矛)
 によって国々を拡大していった弥生人(卑弥呼の祖先達)、の
 根拠であり、聖地でもあったのです。(尚、壱岐の島は生活領
 域と考えているようです。)

  次ページも物証についてかきます。・・・・・・おやすみ。 

  
  
  
 
 

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