卑弥呼ー28 玄関口

 魏の遣使は大量の下賜品を持って、参勤交代ならず、
 行列をなして卑弥呼の所まできました。
  そうです、卑弥呼が都していたところの玄関口、不弥
 国へ到着したのです。
  そこは博多湾岸、港湾都市 不弥国 だったのです。 
 
 魏の遣使は現在のソウルから、釜山、対馬、壱岐の島、
 唐津、糸島半島を横切り、ついに博多湾岸、女王国の
 玄関、不弥国に到着したのです。
  そうです古田氏によって到着させてもらったのです。

 前ページで書き残しのあることに気付きました。
  一、(方法の定理)の説明
  二、①‐②‐③‐④‐⑤‐⑦と不弥国までしか行ってい
    ないのに、邪馬壹国まで到着したかのように、述
    べていること。
  三、卑弥呼の居した城はどこか?
 
 一、について。
   四辺形の一辺を 方 とし、方(一辺)と方(もう一つの
   一辺)のなかに、目的とする地域、島を収め、その境の
    周旋距離(おおよその面積)を求める方法をのべてい
   るのです。これを(方方の定理)といっているようです。
 二、について。
   ①‐②‐③‐④‐⑤‐⑦‐⑨、これが主線行路、最終目
   的地⑨「邪馬壹国」に至るための、主線行路なので
   す。
   なのに、魏の遣使は不弥国で記述はとまっている。
   不弥国は現在で云う門前町(門前寺も?)、門前国
   であり、遣使は邪馬壹国の門前(玄関)に降り立った
   のです。すなわち、邪馬壹国との国間 0、の不弥国
   で、遣使の旅は終えたのです。
 三、について。
   古田氏は、朝鮮半島の南辺の距離の測定によって、
   百里を約「7・5キロメートル~9キロ」とみなし、さらに
   一大国(壱岐の島)、対海国(対馬)の北西端より
   北東端を結ぶ北辺と、北東端より南端までの東辺と
   の測定によって、里単位最小値(7・5キロメートル)を
   もとめられたのです。
   この測定値をもとに遣使の辿った行路を実際に測り、
   不弥国は現在の姪浜(めいのはま)付近、室見川
   (現在よりも当時は海岸線も入り込んでいたと思われ
   るので)流域となり、邪馬壹国は今の、福岡市を中心
   とし、博多湾を前にした平野部とその周辺丘陵部の一
   帯にあるということを、突き止められたのです。

   古田氏は徹底的に三国志を信じて、卑弥呼の国を
   見つけ出されたのです!

   北九州の博多湾岸地域にあったということを!
  
 他の邪馬台国論者は未だ道に迷い続けています。
 

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