卑弥呼ー18 道草

 前ページでは古田氏によって陳寿の歴史観の
  深奥なる真髄を目の当たりに見させて
 いただきました。
未熟な私ででしたが、「会稽東治」の一文に、長い
壮大な歴史を有する古代中国そのものが、ずっしり
と込められていようとは。・・・・
  古田氏のこのメッセージにより、
 感嘆、感激の、無類の一瞬を頂いたような気分
 でした。

  ここでもうひとつの寄り道をさせてください。

 実は私は古田氏著本に最初に出会ったのは
  「古代史の十字路(万葉批判)」です。
 この本の第八章 雷山の絶唱 の歌です。
 ①「天雲」の歌
   天皇、雷岳(いかずちおか)に御遊(いでま)しし時、
   柿本朝臣人麿の作る歌一首

 ・・≪大君は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の
      雷(いかずち)の上に廬(いほ)らせるかも≫・・
   原文は
    皇者 神二四座者 天雲之 雷之上二
                        廬為流鴨
   これは、ただに万葉集の名歌というより、「日本
   精神を代表する名歌」として、敗戦前にはくりかえし
   『喧伝』されていた著名な歌だったけれど、今、当の
   「雷岳」とされる、奈良県高市郡、明日香村の雷(い
   かずち)にある丘にきてみると、いかにも“奇妙”とい
   うより、むしろ“珍妙”な感さえ禁じえないのである。
  なぜなら、その丘はなんの変てつもない、高さわずか
   十メートル前後、まことに低い小丘だからだ。
   だから、散歩がてらにこの小丘に上がり、若干の
   眺望を楽しむ飛鳥の人々がいたとしても、何の不思
   議もない・・・・・・・・・・、雷神を祀る小詞に、〝手を合
   わせ〟たこともあったのではあるまいか。
  問題は、人麻呂の歌だ!
   そんな小丘における、天皇の“小休止”を「廬らせる」
   と表現するのも妙。大げさである。
    そして冒頭のフレーズ。そのくらいの“小休止”や 
   “小亭”にたたずむ天皇に対して
          「大君は神にしませば」 、とは、なんとも
   言いようのない“大げさ”ぶりだ。
   万葉歌を代表する人麻呂の感覚は「馬鹿げた感覚」
   の持ち主だったんだろうか?
    このような歌を献上された当の「天皇」は
 「こんな小丘で、小休止を楽しんでいる自分に対して、『そ
  れこそ、貴方様が生き神様(あらひと神)であらせられる
  証拠ですから』などとは。・・おい、おべんちゃらもたいが
  いにしてくれ。・・・と」、“人間らしく、喜び悩む”人々(天
  皇)であったなら、このようにいうでしょう!。
 人麻呂は、天皇その人に対して“ごますり”するだけでは
  あきたりず、この小丘にたいしてまでも、“ごますり”に
  はげんでいたのだろうか。あまりといえば、あんまりだ。
   このような人麻呂であったならば、
    「空前絶後の名歌人」どころか、
     「空前絶後の阿諛歌人」との名を奉らねばならぬ
      のではなかろうか?
 しかし、本当に、そうか。
  「“前書き”や“後書き”は第二次史料であり、編集者の
  付加した解釈である」。この部分は保留として、
 原文表記のあり方について。
  ①、原文の(皇者)の「皇」については、従来の万葉読解
   では、「王」も「大王」も「皇」も、すべて「おほきみ」と訓
   んできた。しかし、わたしはやはり漢字表記を重んじ、
  “訓みわけ”をすべきであり、すなわち「きみ」「おほきみ」
  「すめろぎ」と別字には別訓を与えるべきと思うのである。
  ②、「神」は生神様(あらひとがみ)ではなく、
    通例、万葉集において一般に用いられている「慣例」
    としての、用法、村々や町々の小詞で用いられている
    「神」。
    それは、かってこの世に生きていた人々。
    今は死者となっている人達が祖先神となっているの
    である。
     この自然な「使用慣例」に立ってみると、・・・・・・・
    「皇」(すめろぎ)とは “死せる王者” であり、それ故、
    今「神」として祀られているのである。
  ③、この歌の内容にふさわしい「雷」は、奈良の「雷」では
    なく、福岡県前原市(筑前)の「雷山」である。
   「雷山」には「雷社」があり、本来は、上宮・中宮・下宮、
    とあり、そしてその「上宮」は「天の宮」と呼ばれ、
    「中宮」は「雲の宮」と呼ばれていたといわれている。

    さらに、この上宮には、三社が配祀されている。
    
    中央が『二ニギノミコト』、左右が、『天神七社』と
    『地神五社』である、とされている。
    
    そして当山の山高は、955メートル。玄界灘を北方に、
    唐津湾を東側に擁しているから、連日「雨雲」におおわれ
    ている。一日中、「雨雲」なき晴天の日はむしろすくないよ
    うだ。
    先の「雨の宮」「雲の宮」といった称呼は、このような自然
    風土上まことにふさわしいといえよう。
  
  ④、からは次ページです。

このページは
    古田武彦氏著の「古代史の十字路」の中から
    私なりの取捨選択をさせていただきました。
         あしからず・・・・・・
    
    

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