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zoom RSS 「歴博」による14C測定値の発表(2003年)−3

<<   作成日時 : 2013/11/23 23:51   >>

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前ページ(「歴博」による14C測定値の発表〔2003年〕−2)からの  
つづきです。

前ページでは、(「歴博」による14C測定値)とそれを批判する鷲
崎氏による“法隆寺五重塔の心柱の伐採年が「日本書記」の記
述より百年古く出ている”ということを法則がごときに扱い、その
古く出る矛盾を卑弥呼の時代にまで遡らせて適用し、“卑弥呼の
墓を箸墓古墳に比定するという非”に対する批判の切り札として
論証してきたようですが、トンダところで米田良三氏著の『法隆寺
は移築された』の横槍が入りいとも簡単に尻ぬけ状態とされ、双
方のバトルは「歴博」の14C測定法の正当性に軍配を上げざるを
得なかった・・・ということを書いてきました。
これはまさに、考古学的年代判定法に化学的年代測定法が勝っ
た、ことを意味しています。

前ページの「歴博」による14C測定値の正当性の根拠は、弥生時
代の始まりが彼らが意図していなかったにもかかわらず、紀元前
10世紀頃まで遡り得るところにあるのです。このところに重要な
ポイントがあったのでは・・・と。

これまでの歴史書は弥生時代のはじまりが、BC300年頃からと
されてきたことを定説を“良し”としてきた人々にとって、その始ま
りがいきなりBC1000年まで遡るという事実、それは驚天動地そ
のものでありおそらくこの事実を非常識な憶測に過ぎないという
人も多いでしょう。が、しかしこの事実は科学的測定法によって
得られたものであり確かな論証無しには否定することができない
でしょう。
私的推論に陥りやすい考古学的判定法を参考程度か確認程度
に収め、科学的測定法がこれからの道しるべになり、万人共有
の測定法となるためにこれから述べる記述が警笛を鳴らしてくれ
ていることを知ることになるのです。

・・・その記述は、
前漢の人・王充(おうじゅう・AD27〜97?)が著わした『論衡(ろ
んこう)』にあります。その中には、四篇にわたって倭人が登場す
る場面があります。
(前1100年頃、「周」が「殷」に取って代わった時代の話です)。
@周の時、天下泰平にして、越裳(えっしょう)は白雉を献じ、倭
  人は暢艸(ちょうそう)を貢ず。    ・・・<第八 儒僧篇>・・・

A暢艸(ちょうそう)は、倭人より献ぜられる。
                       ・・・<第十三 超奇篇>・・・

B周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草(ちょうそう)を献
  ず。                  ・・・ <第十八 異虚篇>・・・

C成王(前1115〜1079)の時、越常(えつじょう)、雉を献じ、倭
  人、暢を貢ず。          ・・・ <第五十八 恢国篇>・・・


・・と、『論衡』の4篇では、倭人が暢艸を献じたと記されている。
また、この四篇を集約するとCとなると考えていいでしょう。

従来、(私を含めて)この記述は縄文時代の夢物語か、あるいは
想像の世界の作り話なのではないかと、ソッポを向かれてきた。

中でも特に、Cに注目してみると、“成王(前1115〜1079)の時”
に暢艸を献じたと記されている。この記述がまさに「歴博」の測定
値の(弥生時代の始まりが10世紀に遡る)の14Cデータと一致し
ているではないか。

「歴博」が卑弥呼の墓を箸墓古墳に比定しようと必死になって測
定した14Cデータの結末が『論衡』の記述を史実として証明してく
れたことになるとは。アッパレアッパレですよ!。

ここに出てくる倭人は、ヤマトにあったか、北九州に存在したかの
論議はさておき、我等の日本国における倭国の住民を指した民
族名であることは確かです。
その倭人が九州のどこかの海岸から(朝鮮半島には殷から亡命
した箕子朝鮮王朝が存在していただろうから・私の推測)黄海を
直接舟で渡り「周の朝廷」に朝貢していていたことになります。

14C測定法によって「歴博」が主目的とした卑弥呼の墓を見つけ
ることができなかったようですが、こんなにもトンだ史実存在の副
産物を伴った14Cの測定の旅であっとは。
「歴博」はもとより・・、お釈迦様でもご存知なかったのでは・・・。

再度上記文章の検証に戻って・・・・、@とCの記述を照し合わせ
ると・・・、
天下泰平の時代と成王の時代の二重の証言が史実の実存在を
滲ませていて、しかも同一文献に四回も倭人が登場していること
でもあるし、おまけに、前十世紀の14C測定値も出てきたことです
から、この記述を荒唐無稽な作り話ではなく、現実に存在した史
実として教科書に蘇らせてもいいのではないか。

想像です・・が、当時は現実に、“成王の時代は周成立時の動乱
期を乗り越えた天下泰平”、の世が実在していて、そこへ倭人が
朝貢していた。
この成王と倭人の結びつきを、「歴博」による14C測定値が史実
として現実に炙り出し、まさにこの時代に生きた倭人の生活の実
態(文化的交渉)を史実として成立させてくれた・・・ということにな
るのでしょうか。 

色々申し上げましたが、要は、これからは考古学は14C法と年輪
年代法の時代に入って行くのでは・・・と、意を強くしたところです。

次ページも、もうすこしこの問題に触れてゆきたいと思っていま    
す。
       次ペジもよろしく・・・では。

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