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zoom RSS 閑話休題ー20 釈迦三尊像後背銘

<<   作成日時 : 2013/09/18 05:29   >>

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<「歴博」による14C測定値の発表(2003年)−2>を書いている
途中、米田良三氏著の『法隆寺は移築された(大宰府から斑鳩
へ)』を読み進む中で、「釈迦三尊後背銘」についての解説に出
会いました。
何時かのページで書きましたが、その復習をもう一度。
『法隆寺は移築された』の中で掲載されたページを下に示してお
きます。
画像



















621年に「鬼前太后」が崩じた。622年の二月二十一日に「干食王
后」が、その翌日の二十二日に「上宮法皇」も崩じ、二年間に三
人も立て続けに「王」夫婦とその親の太后が死んだことになって
いる。

(尊い王族の三人死んだことによって「釈迦三尊像」が造られた
のであろう、と、容易に推察されます)。

ところで、「鬼前太后」というの皇太后名、「干食王后」という名の
皇后の名が日本書紀の何所に書かれているだろうか。何所にも
そんな名前見たことがありませんね。

上宮法皇は聖徳太子の名前ではありません。「法皇」は仏の世
界に旅立った「王」に送リ名(諡号)した名前です。いわゆる「法
名」といわれるものです。

今現在でも福岡のある地方では、「鬼の前踊り」を二昼夜奉納し
ているところがあるそうです。

よって、大宰府の観世音寺にあった「釈迦三尊像」が法隆寺に
移納されたのが分かる・・・、と結論付けています。

私もその通り・・・、と断言できます。

この米田良三氏の証言が次のページのキーポイントとなります。

もうじき<「歴博」による14C測定値の発表(2003年)−2>が出
来上がる予定です。

次ページをお楽しみに・・・、では。

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