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zoom RSS 14C測定値の公開ー6−(鳥取、島根)、(香川、愛媛)

<<   作成日時 : 2013/06/24 21:20   >>

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【鳥取県】

大路川遺跡
(鳥取市古郡家)縄文・弥生・古墳・奈良

千代川右岸、鳥取平野南端の標高約12mに立地する。上層は、
弥生時代から奈良時代の包含層で、直下から土壙2、ピット7、
炭化物堆積面などを検出、下層は縄文時代の包含層で、直下か
ら貯蔵穴と考えられる土壙7を検出した。 

14C年代測定法。
Gak‐5926(埋れ木)・・大路川河床・・・2670±110(BC720)
             (共伴遺物・土器)    (縄文晩期に推定)
Gak‐5927(埋れ木)・・大路川河床・・・2690±110(BC720)
             (共伴遺物・土器)    (縄文晩期に推定)

桂見遺跡
(鳥取市桂見)縄文・弥生・古墳・奈良

湖山池南東岸の扇状地に立地。縄文時代中期から後期の土器
を中心に、石錘、打製石斧ほかの石器、石斧柄ほかの木製品な
ど、奈良時代までの遺物が出土した。また、シイ、オニぐるみ、な
どの堅果類も出土した。

14C年代測定法。
N‐2981(オニグルミ)・・縄文土器包含層・・・4250±90
          (共伴遺物・土器)    (縄文中期後葉に推定)

秋里遺跡
(鳥取市秋里字西皆竹)弥生〜室町

鳥取平野の北部、千代川下流域に立地する弥生時代後期から
室町時代にわたる複合遺跡。弥生時代後期の掘立柱建物跡、
土壙、溝、古墳時代末から中世の溝などが検出された。弥生時
代の遺構からは、柱根、内行下花文鏡の他、弥生土器が大量
に出土した。

14C年代測定法。
KSU‐1993(木)・・掘立柱建物柱根・・・1800±25(AD150年)
             (共伴遺物・土器)    (弥生後期に推定)

東桂見遺跡
(鳥取市桂見字五反田498‐1ほか)縄文・弥生・古墳〜平安

湖山池南東岸の小規模な谷合に立地。山裾(T1)で縄文時代末
から後期の土器片が多量に出土したほか、谷合(T2〜9)で弥
生時代から平安時代にかけてと推定される水田を複数面確認し、
田下駄、建築部材などの木製品、土師器、須恵器が出土した。ト
レンチによる試掘調査。

14C年代測定法。
Gak‐15811(木)・・T4ガマ層・・・1670±80(AD280年)
          (共伴遺物・横鍬)    (古墳前期初頭に推定)
Gak‐15812(木)・・T1腐植土混層・・・3720±90(BC1770年)
          (共伴遺物・土器)    (縄文後期後葉に推定)
Gak‐15813(貝)・・T1細粒砂層・・・5150±90(BC3200年)
          (共伴遺物・なし)    (縄文前期後葉に推定)

桂見遺跡
(鳥取市桂見字山ノ鼻ほか)縄文弥生・古墳・奈良・平安・中世

湖山池南東岸に形成された砂州の後背低湿地に立地。縄文時
代後期中葉の包含層(泥炭層)からは丸木舟2、晩期後葉の包
含層(泥炭層)からは桧製ネット状編物、櫂などの木製品が出土
した。また、弥生時代前〜中期、弥生時代中期〜古墳時代前期、
中世の水田層を確認し、杭列を検出。遺物では、土器のほか田
下駄、弓、建築部材など大量の木製品が出土している。

(1)14C年代測定法。
KSU‐2301(不明材)・・1A区黒灰色粘質土層・・・1480±15
KSU‐2302(田下駄)・・1A区灰色シルト下層・・・2010±15
   (共伴遺物・土器)    (弥生中期後葉に推定)
            推定時期より(−110年)
KSU‐2303(田下駄)・・1A区灰色シルト下層・・・1910±20
   (共伴遺物・土器)    (弥生中期後葉に推定)
                推定は (ほぼ妥当)
KSU‐2304( 杭 )・・・ 1A区第1杭列・・・・・2130±20         
KSU‐2305( 杭 )・・・ 1A区第2杭列・・・・・2300±20 
KSU‐2306( 杭 )・・・ 1A区第3杭列・・・・・2160±20
KSU‐2307(自然木杭)・・ 1A区第4杭列・・・・・2030±20
KSU‐2308(自然木杭)・・ 1A区砂州下層・・・・・3530±40
KSU‐2421(棒状材)・・ 1D区灰色シルト層・・・・・1560±40
KSU‐2422(田下駄)・・ 1D区灰色シルト層・・・・・1770±20
KSU‐2423(棒状材)・・ 1D区茶褐色分解質粘質泥炭層
  ・・・3200±30 (共伴遺物・土器)  (縄文後期中葉に推定)
KSU‐2424(田下駄)・・ 1D区暗褐灰色未分解質泥炭層上層
  ・・・1870±25 (共伴遺物・土器)  (縄文後期中葉に推定)
KSU‐2425( 杭 )・・・ 第7杭列・・・・・2300±20
KSU‐2431(サルノコシカケ)・・1D区縄文シルト・・・3460±20
KSU‐2521(田下駄)・・ 1C区木器溜02・・・・・1290±60
KSU‐2522(編み物)・・1C区縄文シルト・・・1340±400
KSU‐2523( 板材 )・・1C区縄文シルト・・・2850±40
KSU‐2524(自然木杭 )・・1C区第8杭列・・・1560±35
KSU‐2525(板状杭 )・・1C区木器溜02・・・1860±50
KSU‐2526(垂木 )・・2区SI03・・・1850±40(AD100年)
    (共伴遺物・土器)    (弥生後期中葉に推定)
            推定時期より(−100年)
KSU‐2527(垂木 )・・2区SI03・・・1780±60(AD170年)
    (共伴遺物・土器)    (弥生後期中葉に推定)
                    (−50年)
KSU‐2528(垂木 )・・2区SI03・・・1920±60(AD30年)
    (共伴遺物・土器)    (弥生後期中葉に推定)
                    (−170年)
KSU‐2529(垂木 )・・2区SI03・・・1810±40(AD140年)
    (共伴遺物・土器)    (弥生後期中葉に推定)
                    (−60年)
KSU‐2530(垂木 )・・2区SI03・・・1830±40(AD120年)
    (共伴遺物・土器)    (弥生後期中葉に推定)
                    (−80年)

(2)年輪年代法。
W226(田下駄)・・1A区11CGシルト層・・・AD84+a
         (共伴遺物・土器)    (弥生中期後葉に推定)
                推定は(ほぼ妥当)
W226( 槽 )・・1A区10DGシルト層・・・BC162以降
         (共伴遺物・土器)    (弥生中期後葉に推定)
                    (−212年)
W18 (杭〔転用材〕)・・1A区第2杭列・・・BC116冬
        
秋里遺跡
(鳥取市秋里)

旧千代川左岸の標高3.5mの微高地上に立地。雇い時代中
期から中世までの複合遺跡。掘立柱建物跡12、溝遺構61、井
戸跡28、道路状遺構4、土杭208などの遺構を検出した。この
うち、中世の遺構としては、土坑、井戸跡、溝状遺構などのほか、
敷石の道路状遺構を検出。土坑内からは鍛冶関連遺物、井戸
内からは大型の曲物などが出土した。また、弥生時代中期及び
後期、古墳時代の土坑、遺物包含層などを検出し、特に古墳時
代中期の土器が多量に出土している。

14C年代測定法。
GaK‐18025(木材)・・AV区最下層・・・1950±90

南谷ヒジリ遺跡
(東伯郡羽合町南谷字ヒジリ)弥生

東郷湖の北西、羽合平野に延びる標高約22m低丘陵上に立
地。弥生時代後期後半から終末期の竪穴住居跡5、土坑4など
を検出。竪穴住居跡のうち1棟が焼失住居。

14C年代測定法。
GaK‐15157・・S105焼失部材・・6110±120(BC4170年に相当)
(共伴遺物・土器)    (弥生終末期に推定)
GaK‐15158・・S105焼失部材・・5710±170(BC3750年に相当)
(共伴遺物・土器)    (弥生終末期に推定)
GaK‐15159・・S105焼失部材・・7810±260(BC5860年に相当)
(共伴遺物・土器)    (弥生終末期に推定)

以上、三つのデータは土器による編年がデタラメであることを示
しているようです。

南谷大山遺跡
(東伯郡羽合町南谷字大山113,114)弥生・古墳

東郷湖の北東、標高60〜90mの丘陵上に立地する弥生時代
後期から古墳時代中期にかけての集落跡。竪穴住居跡96、掘
立柱建物跡5、袋状土坑26などの遺構を検出した。
このうち、AS101、BS101、BS109、BS120は焼失住居で、
垂木、桁または梁などの建築部材が倒壊し炭化した状態で出土
している。また、袋状土坑BSK04は貯蔵穴をごみ穴に転用した
施設と考えられ、多量の土器片とともにヤマトシジミ、マガキ、イ
シマキガイなど総量13kgの貝層を刑制していた。

14C年代測定法。
(資料はksu-2237を除いて他は全て木炭)、(共伴遺物は土器)
KSU- 2144・・AS101建築部材・・・1700±20 
                     (弥生後期後半に推定)                          
KSU- 2145・・AS101建築部材・・・1720± 0 
                     (弥生後期後半に推定)
KSU- 2146・・AS101建築部材・・・1510±10 
                     (弥生後期後半に推定)
KSU- 2236・・AS101 ・・・1940±20 
                     (弥生後期後半に推定)
KSU- 2237(貝)・・BSK04(ヤマトシジミ)・・・1760±20 
                     (弥生後期後半に推定)
KSU- 2238・・・BS101垂木   ・・・1950±20 
                     (弥生後期後葉に推定)
KSU- 2239・・・BS101垂木   ・・・1930±20 
                     (弥生後期後葉に推定)
KSU- 2240・・・BS101垂木   ・・・2020±25 
                     (弥生後期後葉に推定)
KSU- 2241・・・BS109垂木   ・・・1520±25 
                  (古墳中期後半に推定)〔TK208〕
KSU- 2242・・・BS109垂木   ・・・1630±25 
                     (古墳中期後半に推定)
KSU- 2243・・・BS120桁または梁・・・1860±25 
                     (古墳前期後葉に推定)
KSU- 2244・・・BS120垂木   ・・・1840±25 
                     (古墳前期後葉に推定)
KSU- 2245・・・BS120桁または梁・・・1910±25 
                     (古墳前期後葉に推定)

青木第2遺跡
(東伯郡大栄町大字大谷字白水橋東峯)弥生

大山山麓の北東端に近い平坦な丘陵上に立地。弥生時代中期
の竪穴住居跡1を検出した。

14C年代測定法。
(木炭)・・竪穴住居跡床面・・・2060±100(BC110年)
                      (弥生中期後葉に推定)
             推定時期と(−210)のズレあり。

長砂第T遺跡
(米子市長砂町462番地ほか)弥生

日野川左岸、米子平野南端の標高5mに立地する。微高地から
低地部への緩斜面に弥生時代前期後半から中期初頭の土器溜
まりが形成されていたほか、低地部で同時期のものと考えられる
水田遺構(畦畔)を一部検出した。このうち、土器溜りSK01からは、
多量の土器片とともに炭化米、獣骨、石鏃、木質炭化物などが出
土している。

14C年代測定法。
KSU‐1953(杭No787)・・A3区黄褐色粘質土層・・・1780±30
KSU‐1954(炭化物)・・・SK01 ・・・2000±20(BC50年に相当)
     (共伴遺物は土器)   (弥生中期初頭に推定)
                 推定時期は(ほぼ妥当)
KSU‐1955(流木)・・B2区流木堆積層・・・2240±30

吉谷トコ遺跡
(米子市吉谷字トコ364)弥生・古墳・中世
法勝寺左岸の丘陵西側斜面に立地する。古墳前期及び中期の
竪穴住居跡4、弥生時代の掘立柱建物跡3、弥生前期と考えら
れる貯蔵穴9、縄文時代と推定される陥し穴10などが検出され
た。

14C年代測定法。
GaK-17461・・竪穴住居内床面・・・2280±80(BC330に相当)
           (共伴遺物は土器)   (古墳前期後半に推定)
             推定時期に(−480年)
GaK-15158・・竪穴住居内柱穴・・・2590±80(BC640に相当)
           (共伴遺物は土器)   (古墳前期後半に推定)
             推定時期に(−790年)
GaK-15159・・竪穴住居内・・・・・・・1960±120(BC10に相当)
           (共伴遺物は土器)   (古墳前期後半に推定)
             推定時期に(−160年)

口朝金遺跡
(西伯郡会見町朝金)縄文・弥生・古墳・中世

北西方向に開けた標高29mの谷出口に立地。自然流路中から
縄文時代後期及び晩期の土器が多量に出土した他、弥生時代
後期及び古墳時代後期以降の水田遺構を検出した。

14C年代測定法。
KSU‐1548(板No.4350)・・5G、水田層・・・1380±30(AD570)
(共伴遺物は土器)   (古墳後期以降に推定)
             推定時期に(ほぼ妥当)

天王原遺跡
(西伯郡会見町朝金、市山、金田)

標高29〜58m台地上に立地。竪穴住居跡36、掘立柱建物跡
30、土坑69、古墳2、近世墓群などを検出した。竪穴住居は弥
生時代中期から古墳時代後期まで継続する。また、掘立柱建物
跡はほとんどが中世のものと考えられている。

考古地磁気年代測定。
@(資料名)焼土・・A3区S101床面・・・AD1440±10
(共伴遺物は土器)   (弥生中期中葉に推定)
A(資料名)焼土・・A3区S101床面・・・AD1550±30
(共伴遺物は土器)   (弥生中期中葉に推定)
B(資料名)焼土・・C区S101床面・・・AD320±30
(共伴遺物は土器)   (弥生中期中葉に推定)
C(資料名)焼土・・C区S101床面・・・AD290±30
(共伴遺物は土器)   (弥生後期後葉に推定)

@Aは中世の床面から弥生中期中葉の土器が出たということを
表しているもので、紀元ゼロ年の土器を1400〜1500年間も使
い続けてきたのであろうか、不思議です。

Bは320年も新しく出てきている。

Cに至って、ようやくそれらしき妥当の線が出てきたような気がし
ますが、考古地磁気法は新しく年代を示すのであろう。やはり、
14C年代測定法の方がより正確な実年代が出てくるような気がし
ますが。

井手胯遺跡
(西伯郡淀江町淀江)縄文弥生・古墳・中世

淀江平野のほぼ中央、標高約1.5mに立地。縄文時代の自然
河川跡から後〜晩期を中心とする時期の多量の土器、朱漆塗
櫛、朱漆塗木製耳栓など、弥生時代後期〜古墳時代初頭の溝
状遺構から多量の土器、木製農耕具などが出土した。

14C年代測定法。
(1区)
KSU‐2147(広鍬?)・・YSK03暗褐色粘質土・・・1830±25
(共伴遺物は土器)   (弥生後期中葉に推定)
KSU‐2150(木製品)・・YSD02灰茶褐色粘質土・・・1370±50
(共伴遺物は土器)   (弥生後期中葉に推定)
(2区)
KSU‐2227( 鍬 )・・KSD05・・・1360±90
(共伴遺物は土器) (弥生後期後葉〜古墳前期に推定)
KSU‐2228( 鍬 )・・KSD03・・・1570±80
(共伴遺物は土器) (弥生後期〜古墳前期に推定)
KSU‐2229(木製品)・・KSD03・・・1960±40
(共伴遺物は土器) (弥生後期〜古墳前期に推定)
KSU‐2230( 杭 )・・YSD03・・・1980±40
KSU‐2231(木製品)・・SA01・・・1920±40
KSU‐2232(木製品)・・KSD03・・・2090±60
KSU‐2233(自然木)・・JSD02・・・3390±40(BC1440年)
(共伴遺物は土器)    (縄文後期〜晩期に推定)
          推定年代は縄文時代としては(ほぼ妥当)
KSU‐2234(自然木)・・JSD03・・・2390±40(BC440年)
(共伴遺物は土器)    (縄文後期〜晩期に推定)
(14C測定法を知った現在は推定年代は、弥生時代の年代に入
 るので縄文時代としては不当?)

KSU‐2235(自然木)・・JSD03・・・2520±40(BC570年)
(共伴遺物は土器)    (縄文後期〜晩期に推定)
(14C測定法を知った現在は推定年代は、弥生時代の年代に入
 るので縄文時代としては不当)

福岡遺跡
( 西伯郡淀江町福岡)縄文・弥生・古墳・中世

淀江平野南東縁辺の標高約5mに立地する。弥生時代前期及
び中期の粘土採掘杭とすいていされる土坑312基、中世の掘
立柱建物跡2棟などを検出した。

14C年代測定法。
(1)
KSU‐2224(木製品)・・D12・・・・・1390±100
KSU‐2225(木製品)・・SK620・・・2280± 40 (BC330年に相当)
(共伴遺物は土器)  (弥生前期に推定)
           推定時期としては(ほぼ妥当)
KSU‐2226(木製品)・・SK627・・・1970± 70

(2)
GaK‐15379(木製品)・・SK212・・・2380±80(BC330年に相当)
(共伴遺物は土器)  (弥生中期後葉に推定)
             推定時期としては(−430年)
GaK‐15380(流木)・・2区無遺物層・・・・・3550以上
GaK‐15381(木製品)・・SK50・・・・2610±90(BC660年に相当)
(共伴遺物は土器)  (弥生中期後葉に推定)
             推定時期としては(−760年)
GaK‐15577(柱材)・・SB01、Pit 1・・・・・・1510±10
GaK‐15579(柱材)・・SB02、Pit 1・・・・・・1480±10

百塚第5遺跡
(西伯郡淀江町大字小波字松戸谷)縄文・古墳

大仙から延びる標高約20mの低丘陵上に立地する。縄文時
代と推定される陥し穴66、古墳時代中期から後期にかけての
竪穴住居跡62、古墳時代と考えられる掘立柱建物跡5、地下
式横穴墓1などを検出した。このうち、古墳中期後葉のS108に
は、床面の1/6の範囲に一部に穂が付いた状態の炭化米が
最大15cmの厚さで堆積していた。

14C年代測定法。
GaK‐18250(炭化米)・S108床面・・1750±200(AD200年に相当)
(共伴遺物は土器)  (弥生中期後葉に推定)
    推定時期としては(+100年)で新しい年代の土器へ。

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【島根県】

門(かど)遺跡
(島根県飯石郡頓原町志津見)縄文・弥生・古墳・古代・中世

神戸川の河岸段丘上にけいせいされた複合遺跡。主として、
縄文後・晩期の円形周溝墓・土壙群、弥生中・後期の集落跡、
古墳終末期の石室、中世の製鉄炉、鍛冶炉などが検出され
ている。

14C年代測定法。
(資料名)三瓶山起源火砕流層・・・3600±100・・(縄文後期に
推定)

陽徳(ようとく)遺跡
(島根県空来市)弥生・古墳・飛鳥・平安

中海南側の比高約80mの丘陵上に位置する。弥生時代の竪
穴住居跡 、平安時代の建物跡、壺棺2基をもつ前期の」古墳
などが検出されている。

考古地磁気法。
焼土(焼土杭SK06)・・AD660±30・・SK06が弥生住居跡をきる。

池ノ奥(いけのおく)窯跡群
(松江市大井町池ノ奥)古墳・飛鳥・奈良・平安

中海北西側の丘陵斜面に位置する。出雲地域における須恵器
生産の中核をなし、『出雲風土記』にも記載がある大井古窯跡
群中の一支群。

考古地磁気法。
焼土(4号窯跡上段床面)・・・AD620 ±15
    (共伴遺物は須恵器「山本V期」)  (古墳後期に推定)
焼土(4号窯跡下段床面)・・・AD615±25
    (共伴遺物は須恵器「山本V期」)  (古墳後期に推定)
焼土(5号窯跡焼成部床面)・・・AD615±10
    (共伴遺物は須恵器「山本V期」)  (古墳後期に推定)

大角山(おおすみやま)遺跡
(松江市乃木福富町字二名留)縄文・古墳

宍道湖南東沿岸の低丘陵上に位置する遺跡。主な成果として、
古墳時代中期の竪穴住居跡が5棟検出されており、このうち3
棟が玉作り工房跡と推定される。

考古地磁気法。
焼土(S 1-01住居跡焼土面)・・・・・ (共伴遺物は土師器・玉類)
              (古墳中期に推定)
焼土(S 1-04居跡焼土面〔焼土北端部分〕)・・・・・AD300±50
    (共伴遺物は土師器・玉類)   (古墳中期に推定)
焼土(S 1-04居跡焼土面〔焼土他の部分〕)・・・・・AD390±50
    (共伴遺物は土師器・玉類)   (古墳中期に推定)
焼土(S 1-05住居跡焼土面)・・・・・AD380±30
        (共伴遺物は土師器) (古墳中期に推定)
   4点とも推定時期にピッタリ

荒神谷遺跡
(島根県簸川郡斐川町大字神庭)弥生

弥生青銅器埋納遺跡。埋納場所は小丘の南斜面中腹。検出さ
れた青銅器は、中細形c類銅剣358本、菱環鈕式銅鐸1、外縁付
鈕式銅鐸5、中細形b類銅矛2本、中広形銅矛14本。

考古地磁気法。
焼土(テラス上段東側)・・資料の量24個・・・AD590±30
焼土(テラス上段)・・資料の量18個・・・AD950±100 
*焼土(S1‐E0区)・・資料量16個・・AD250±80 0r AD1250±80
焼土(N4‐E4区)・・資料の量11個
焼土(N0‐E52)・・資料の量15個
焼土(N1‐E13区)・・資料の量19個
焼土(テラス上段西側)・・資料の量18個
焼土(第13試掘杭)・・資料の量9個
焼土(W1‐N1区)・・資料の量20個 
*焼土(NO‐E5bP)・・資料量37個・・AD250±80 0r AD1250±80
焼土(N2‐E6区)・・資料の量11個

*焼土(S1‐E0区)と*焼土(NO‐E5bP)の(AD250±80)は理解で
きますが、(0r AD1250±80 )の資料の年代はどういう事実を示
しているのだろうか。(AD590±30)や(AD950±100)の資料もあ
るので、おそらく、後代になって何処かの焼土が紛れ込んだの
であろう、あるいは人為的か?。(AD250±80)の年代に、これ
等の青銅器類が埋納され、このとき、出雲の国譲りがあったの
が実のところか。

郷上(ごうかみ)遺跡
(島根県邑智郡大和村大字都賀行)縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈
良・平安・中世・近世

江の川中流域に位置する縄文早期から中近世までの複合遺跡
で、主として、弥生後期、古墳時代の竪穴住居跡が検出されて
いる。

考古地磁気法。
@焼土(3号竪穴住居跡)(A群)・・・AD1160±30
(共伴遺物は土師器・須恵器〔山本V期〜W前半〕)
                          (古墳終末期に推定)
A焼土(3号竪穴住居跡)(B群)・・・AD640±30
(共伴遺物は土師器・須恵器〔山本V期〜W前半〕)
                          (古墳終末期に推定)
B焼土(T-T区 焼土)・・・・・・・・・・AD670±20
(共伴遺物は土師器・須恵器〔山本V期〜W前半〕)
                          (古墳終末期に推定)
この遺跡も、A群(3号竪穴住居跡)の(AD1160±30)年代はどの
ように考えたらいいのでしょうか。ABのデータを考え合わせれ
ば、考古地磁気法は新しい年代が出てくるようです。

稗田(ひえた)遺跡
(島根県八束郡鹿島町大字差陀本郷1758ほか)縄文・弥生・古
墳・奈良9

差陀川流域の低湿地遺跡跡で、弥生時代から古墳時代にかけ
ての膨大な量の木製品が出土している。出土した木製品は、準
構造船の一部、田下駄、鍬、建築部材など多岐にわたり、該期
の木工文化を解明するうえで、重要な位置を占める。

年輪年代法。
w-753(扉材)・・下層(拡張2区)・・・AD127
      (共伴遺物は弥生土器〔松本V〜X期〕)
               これまでの推定時期は(弥生中〜後期)
        (弥生中〜後期)はAD100年だから(ほぼ妥当)
w-885( 板 )・・下層(拡張2区)・・・AD132
      (共伴遺物は弥生土器〔松本V〜X期〕)
               これまでの推定時期は(弥生中〜後期)
        (弥生中〜後期)はAD100年だから(ほぼ妥当)
w-1326(田下駄)・・下層(拡張2区)・・・BC98
      (共伴遺物は弥生土器〔松本V〜X期〕)
               これまでの推定時期は(弥生中〜後期)
       (弥生中〜後期)はAD100年だから(−200年)となる
w-1413( 板 )・・下層(拡張2区)・・・BC87
      (共伴遺物は弥生土器〔松本V〜X期〕)
               これまでの推定時期は(弥生中〜後期)
       (弥生中〜後期)はAD100年だから(−190年)となる
w-1471( 板 )・・下層(拡張2区)・・・BC65
      (共伴遺物は弥生土器〔松本V〜X期〕)
               これまでの推定時期は(弥生中〜後期)
(弥生中〜後期)はAD100年だから(−165年)となる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【香川県】

旧石器時代や縄文時代のデータのみ、弥生・古墳がないので
一応(なし)としておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【愛媛県】

赤岸鼻(あかぎしばな)遺跡
(愛媛県越智郡吉海町大字名字賀居)弥生・古墳・奈良・中世・
近世

大島の津倉湾に面する舌状の低丘陵に営まれた集落。弥生
後期後半の方形の住居1棟のほか、居住痕跡と思われる焼土
や土器溜まり4箇所を検出。4号土器溜まりではD焼土塊の付
近に煮沸形態を示す甕・蓋(高杯転用)とともに馬の歯が出土。

考古地磁気法。
@YEH1‐9(B焼土)(2号土器溜まり)・・・AD80±20
(共伴遺物は弥生土器)     推定時期は(弥生後期)
      この年代測定が正しければ、 推定時期は(ほぼ妥当)
AYEH 21‐32(D焼土)(4号土器溜まり)・・・AD120±50
(共伴遺物は弥生土器・馬の歯)  推定時期は(弥生後期)
この年代測定が正しければ、 推定時期は(ほぼ妥当)
   
但し、@Aとも、資料とり上げに問題あり・・・とされているが。

大小谷谷(おおこやだに)窯跡
(愛媛県川之江市金生町大小谷谷乙58-1番地ほか)飛鳥

金見山(596m)から派生し、中央構造線と芝生断層によって区
切られた丘陵斜面に立地。窯跡は本体、灰原・物原(1・2次堆
積層)からなる。出土遺物は蓋杯をはじめ各種容器類や陶錘
当て具のほか、円面硯・陶棺・せんが出土し官的要素も認めら
れる。

(1)考古地磁気法。
@SEH1-13(焼土)・・窯跡床面・・・AD570±70
または・AD780+330 - 90
(共伴遺物は須恵器)・推定時期は(古墳時代終末期・飛鳥)
ASEH5-13(焼土)・・窯跡床面・・・AD1080±90
(共伴遺物は須恵器)・推定時期は(古墳時代終末期・飛鳥)

但し、ここも@Aとも、資料とり上げに問題あり・・とされている。

(2)14C年代法。
Gak‐13238(柱根・柱穴)・・・2020±100BP(BC70年に相当)
  (共伴遺物は須恵器)・推定時期は(古墳時代終末期・飛鳥)
   古墳時代終末期はAD650年頃だから、推定時期より75
0年も古い須恵器であることが分かります。

●●宮前川北斎院(みやまえがわきたさや)遺跡
(愛媛県松山市北斎院町472・769・937番地ほか)弥生・古墳・
近世

遺跡は松山平野北西部の谷底状沖積低地に立地。遺跡は宮
前川の河川改修で発見され、方形竪穴住居や巨木(クスノキ)
とともに土器類多数が出土。土器は弥生後期終末の在地形土
器に混じって、外来系(山陰・畿内・吉備系)の古式土器多数が
出土。

(A)14C年代法。
@Gak‐11963(柱痕)・・方形竪穴住居(西山地区)
・・・2020±110BP(BC70年に相当)
          推定時期は(弥生後期末〜古墳前期初頭)
   弥生後期末はAD300年とされているから、推定時期より
   370年古い(柱痕)となる。
AGak‐11964(部材片)包含層
              ・・・2160±120BP(BC210年に相当)
            推定時期は(弥生後期末〜古墳前期初頭)
   弥生後期末はAD300年とされているから、推定時期より
   510年古い(部材片)となる。
BGak‐12364( 根株 )遺構面
              ・・・2580±110BP(BC630年に相当)
                     推定時期は(弥生後期以前)
   弥生後期はAD100年とされているから、推定時期より
   730年古い( 根株 )となる。
(B)14C年代法。
@KSU‐1135(根株)・・遺構面・・・1800±20(AD150年に相当)
推定時期は(弥生後期以前)
  推定時期としては、弥生後期はAD100年だから(ほぼ妥当)
A@KSU‐1136(部材片)・・包含層・・・1840±30(AD110年)
推定時期は(弥生後期末〜古墳前期初頭)
推定時期としては、弥生後期末はAD300年だから(-190年)
  190年古い(部材片)ということになります。

新池(しんいけ)窯跡
(愛媛県伊予市三秋)古墳・朝か・奈良

窯は6世紀中頃〜7世紀初頭と7世紀末〜8世紀初頭の2時
期に操業。後半期は瓦陶兼業。

考古地磁気法。
SIK1‐7(焼土)・・窯跡床面・・・AD625±50
     推定時期は(奈良時代)

多々羅(たたら)古墳
(越智群上浦町)古墳時代

多々羅岬基部の丘陵上に位置。1基の箱式石棺と2基の木棺
を主体部とする径約9mの円墳である。木棺の墓壙から鉄器が
多量に出土。

14C年代法。
Gak‐17212(資料名・不明)・・・2000 ±90BP(BC50年)
                 推定時期は(古墳時代)
    古墳時代の始まりはAD300年だから、不明資料の年代
    は、推定年代よりも350年古いものであったことが分か
    ります。

古照(こでら)遺跡
(愛媛県松山市南江戸4丁目1−1)縄文・弥生・古墳

松山平野の主要河川である石手川によって形成された扇状地
の扇端付近に遺跡は位置する。洪水等で埋没した古墳時代
前期の合掌型堰が検出され、その部材の一部に高床倉庫に使
用されていた材が再利用されていたことが確認されている。古
墳前期の灌漑施設の構造等を知り得る生産遺跡。

14C年代法。
@堰材・・・1790 ±90BP(AD160年に相当)
         (共伴遺物・土師器)・・・推定時期(4世紀後半)
     堰材の推定時期(4世紀後半)とは(−190年)のズレが
     ある。 
 

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