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zoom RSS 14C測定値の公開ー4−近畿

<<   作成日時 : 2013/06/24 21:15   >>

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滋賀県、奈良県、和歌山県、大阪府

【滋賀県】

南郷遺跡
(大津市石山内畑町)7世紀中

瀬田川右岸の丘陵地の谷筋平坦部に築かれた7世紀中頃の
製鉄炉及びそれに伴う炭窯遺構である。

14C年代法。
KSU‐1333(木炭1)〔炭窯跡〕・・・1400±20(AD550年)
                      推定時期(7世紀中)                  
KSU‐1347(木炭2)〔炭窯跡〕・・・1420±20(AD530年)
                      推定時期(7世紀中)
KSU‐1349(木炭3)〔炭窯跡〕・・・1400±20(AD500年)  
                      推定時期(7世紀中)
KSU‐1341(木炭 )〔製鉄炉跡〕・・・1410±20(AD540年)
    共伴遺物(長胴甕)      推定時期(7世紀中)

上記4点の遺物は推定時期より約100年古い資料となって
いる。

志那湖底遺跡
(草津市志那地先)弥生〜平安

琵琶湖の湖底遺跡で湖岸から沖合い200mにかけて縄文
晩期の甕棺墓や弥生の土杭、古墳時代の溝などがある。

14C年代法。
KSU‐1536(木)・・・・・・・・・2940±25(BC990年)
KSU‐1453(植物遺体)・・・2780±25(BC830年)
                   推定時期(弥生前期)
弥生前期はBC300年頃だからKSU‐1536(木)推定時期より
   530年古い。

烏丸崎遺跡
(草津市下物町)縄文〜平安

琵琶湖に鈎状に突き出た砂州に弥生時代前期の土杭、中期
から後期の方形周溝墓が100期近くあり、また半島の先端に
は中期の玉造工房が2基見つかっている。周溝墓からは3基
の木棺が見つかっている。さらに弥生中期の墳砂や、中期以
降の断層もある。

(1)14C年代法。
KSU‐1540(土)〔第2層 黒褐色腐植土 周溝墓下層〕
・・・2500±25(BC550年) 推定時期(弥生中期)
      推定時期より400年古い層
KSU‐1541(土)〔第10層 黒褐色粘土 最下層〕・・・3840±30
KSU‐1530(土)〔81.6m〕・・・3890±30

(2)14C年代法。
GaK‐17429(木)〔溝下層〕・・・2800±100
GaK‐17430(木)〔溝上層〕・・・1560±80

(3)年輪年代法。
bP(木棺)〔採取部位・SX11(1988年度)〕・・・AD103年
                   推定時期(弥生後期)
        推定時期からは(ほぼ妥当)

小津浜遺跡
(守山市山賀町地先)弥生〜平安

琵琶湖の湖畔からやや陸地に入った低湿地で、弥生前期の
溝、中期の住居跡、方形周溝墓群、水田跡のほか、大量の土
器や木製農具が出土している。

(1)14C年代法。
KSU‐1633(木)・・・2220±40(BC270年) 
                   推定時期(弥生前期)
         推定時期としては(妥当)
KSU‐1634(木)・・・2020±30(BC70年)
                   推定時期(弥生中期前半)
         推定時期としては(妥当)  
KSU‐1635(木)・・・1920±30(AD30年)
                   推定時期(弥生中期後半)
         推定時期としては(妥当)
KSU‐1636(木)・・・4110±35(BC2160年)
KSU‐1637(木)・・・3590±50(BC1640年)

(2)14C年代法。
GaK‐17431(炭化米)・・・3020±80(BC1070年) 
                推定時期(弥生前期)
         推定時期としては(770年古い炭化米)となる

小比江遺跡
(野州郡中主町小比江)

旧野州川の沖積地帯にあり、弥生次第中期から古墳時代はじ
めの方形周周溝墓や木棺墓、飛鳥時代の建物などが出土して
いる。

14C年代法。
GaK‐16347(木棺SX1109W10)・・・3500±110(BC1550年)
                    推定時期(弥生後期)
       推定時期より1650年古い木棺ということになる
GaK‐16348(杭SA2101W44)・・・・・1790±110(AD160年)
                    推定時期(7世紀後半)
       推定時期より490年古い杭ということになる

湯ノ部遺跡
(野州郡中主町西川原)弥生〜奈良

旧野川の沖積地にあり弥生時代前期の住居跡、中期〜古墳
時代初等の方形周溝墓、飛鳥時代の鍛冶工房や住居跡が見
つかっている。また、弥生時代中期の周溝から4体の木偶が、
飛鳥時代の溝から文書木簡が出土している。

14C年代法。
GaK‐16349(材)・・・・・・・2320±80(BC370年)
                   推定時期(7世紀後半)
   推定時期より1020年古い(材)ということになる 
GaK‐16350(炭化材)・・・2380±80(BC430年)
                   推定時期(弥生前期末)
   弥生前期末は約BC100年だから指定時期より230年古い
   (炭化材)ということになる    
GaK‐16351(材)・・・・・・・2750±80(BC800年)
                   推定時期(弥生中期後半)
   弥生中期後半は約(0年)だから推定時期より800年古い
   (材)ということになる

十禅寺遺跡
(長浜市今川町)平安

柿川の扇状地に位置し平安時代の井戸などが見つかっている。

14C年代法。
GaK‐16905(曲物)〔採取部位・井戸〕・・・1710±80(AD240年)

井戸のある一部の(曲物)が平安時代のものとされている
    が、その測定データが(AD240年)ということになれば、この
    井戸も約560年(AD240年)の作成ではないだろうか

今川東遺跡
(長浜市今川町)弥生後期〜古墳初

柿川の扇状地に位置する、弥生後期〜古墳時代初頭期の溝や
住居跡が見つかっている。

14C年代法。
@GaK‐16906(焼け棒)・・・1210±80(AD740年)
AGaK‐16907(板   )・・・2610±70(BC660年)
BGaK‐16908(棒   )・・・2580±90(BC630年)
CGaK‐16909(自然枝)・・・2590±90(BC640年)
DGaK‐16910(自然木)・・・2770±100(BC820年)
EGaK‐16911(板   )・・・2320±90(BC370年)
FGaK‐16912(焼け枝)・・・2010±70(BC60年)
GGaK‐16913(自然木)・・・2360±80(BC410年)
HGaK‐16914(自然枝)・・・2050±80(BC100年)
IGaK‐17023(H0301溝)・・1630±90(AD320年)

@Iを除いて他はすべてBC年代、この遺構はBC820年〜ADま
で続いてきた遺跡のようです。したがって推定時期より820年古
い遺跡となるかも知れません。

二ノ畦・横枕遺跡
(守山市下之郷町字向八代 他)弥生・古墳

野州川左岸の沖積平野扇状地帯に営まれた環濠集落。成立
は弥生中期末で、環濠の埋没は後期初頭。集落の外縁には一
重の環濠が掘られている。集落内部の調査では、竪穴住居が
70棟以上、掘立柱建物が3棟以上検出されている。

年輪年代法。
MYN27‐1(木・檜)〔井戸下層〕・・・BC97年
 共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生中期末)
MYN27‐2(木・杉)〔井戸下層〕・・・BC97年
    共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生中期末) 
MYN27‐3(木・杉)〔井戸下層〕・・・BC60年
共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生中期末)

弥生中期末(0年)だから3点とも推定時期より200年前後
   古い資料となる

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【奈良県】

菅原東遺跡257−2次
(奈良県奈良市菅原東町)縄文時代中期

平城京右京三条三坊七坪の東南偶下層に位置する。自然流
路が南北に伸び、その中から大量の石器・サヌカイト片が面的
な広がりをもって発見された。発見された石器には縄文時代中
期の石鏃・楔形石器・石錘・石錐・スクレーパーなどがある。

14C年代法。
GAK‐17401(木炭)・・・4540±120BP(BC2590年)
     共伴遺物(石器)  推定時期(縄文中期)

菅原東遺跡293次
(奈良県奈良市菅原東町)縄文時代〜中世

平城京右京三条三坊四坪の下層に位置する。奈良時代の下層
に面的な広がりをもって石器や・サヌカイト片が発見されている。

14C年代法。
資料‐bP(木炭)・・・4290±105BP(BC2340年)
共伴遺物(石器)  推定時期(縄文中期)

箸尾遺跡第6次
(奈良県北葛城郡広陵町)古墳時代中期(5C)〜中世

奈良盆地の中央に位置する集落遺跡。大和川の支流曽我川の
自然堤防上、島の山古墳と河合大塚山古墳の中間に位置する。
つくりつけの竃を備えた竪穴住居や水田跡が発見されている。

考古地磁気法。
資料‐1(焼土)〔SB2007(竃)〕・・・AD445~480
   共伴遺物(土師器)  推定時期(5世紀)
資料‐2(焼土)〔SB2007(竃)〕・・・AD445~480
        共伴遺物(土師器)  推定時期(5世紀)

小泉遺跡
(奈良県郡山市小泉町)弥生後期・古墳中期

奈良盆地の中央、矢田丘陵斜面に位置する集落遺跡。弥生時
代後期の竪穴住居、古墳時代中期の円墳、埴輪円筒棺などが
見つかっている。

考古地磁気法。
KI 1〜12(焼土)〔竪穴住居〕・・・AD260頃
     共伴遺物(弥生土器)  推定時期(弥生時代後期)

長谷遺跡
(奈良市佐紀町・歌姫町)古墳時代中期

奈良盆地の北、佐紀丘陵の南斜面に位置する集落跡。古墳時
代中期の竪穴住居が1棟、みつかったことにより、付近に数等
(棟?)の住居が広がっていたと推定されている。

熱ルミネッセンス測定法。
1 (焼土)〔炭窯の上部〕・・・1080±150(AD770年)
2 (焼土)〔SB02竃〕・・・・・1560±140(AD770年)
                推定時期(古墳時代中期)

小墓(こばか)古墳
(奈良県天理市杣之内町)古墳後期

奈良盆地を西に臨む丘陵地位置する古墳時代後期の全長約
80mを測る前方後円墳。幅約10mの周濠が確認されており、
その中から笠形木製品・埴輪などが発見されている。

年輪年代測定法
1(笠形木製品)・・・AD454 共伴遺物(埴輪)
                   推定時期(古墳後期)
2(笠形木製品)・・・AD482 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳後期)
3(笠形木製品)・・・AD426 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳後期)

四条古墳
(奈良県橿原市)古墳後期

奈良盆地の南の低地部に位置する古墳時代後期の大型前方
後円墳。墳丘は藤原京造営時に削られる。二重の周濠内には
削られた墳丘盛り土と共に埴輪・土器と大量の木製品が確認
されている。

年輪年代測定法。
1(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD448 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
2(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD439 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
3(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD437 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
4(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD436 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
5(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD436 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
6(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD431 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)
7(笠形木製品)〔コウヤマキ〕・・・AD416 共伴遺物(埴輪)
                      推定時期(古墳時代後期)

以上、奈良県の場合は、推定時期と測定年代がほぼ一致してい
ることがわかる。

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【和歌山県】

吉礼・砂羅(喜連さらだに)谷古窯跡群のみ、考古地磁気法によ
るデータなので省略することにします。

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【大阪府】

城山(じょうやま)遺跡
(大阪市平野区長吉出戸・長吉長原)弥生・古墳・古代

弥生時代中・後期の方形周溝墓群や弥生時代後期の焼失住居
が、古墳時代では、中期の方墳群や後期の小区画水田などが
検出されている。

14C年代測定法。
OR‐18 (木)・・・2190±60BP(BC240年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期中葉)
  弥生後期中葉は約200年だから440年古い (木)ということ
  になる
OR‐19 (木)・・・2215±77BP(BC265年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから365年古い (木)ということ
  になる
OR‐19 (木)・・・2083±58BP(BC133年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから233年古い (木)ということ
  になる
OR‐20 (木)・・・1969±52BP(BC 19年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
弥生後期前葉は約100年だから69年古い (木)ということ
  になる
OR‐21 (木)・・・2148±66BP(BC198年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから248年古い (木)ということ
になる
OR‐22 (木)・・・2087±75BP(BC137年) 共伴遺物(弥生土器)
                      推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから237年古い (木)ということ
  になる
KSU‐1(木)・・・1970±20BP(BC20年) 共伴遺物(弥生土器)
                    推定時期(弥生後期前葉)
  弥生後期前葉は約100年だから70年古い (木)ということ
  になる

佐堂遺跡
(東大阪市金岡町・八尾市佐堂)縄文・弥生・古墳・古代・中世

縄文から近世にいたる複合遺跡。竪穴住居群の検出や、長瀬川
の旧流路の確認やそこに施された護岸施設の構造が明らかにな
った。

14C年代測定法。
KSU‐521(木1)〔長瀬川右岸杭列〕・・1390±15yBP(AD560年)
共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)
KSU‐521(木2)〔長瀬川右岸杭列〕・・1500±15yBP(AD400年)
  共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)
KSU‐521(木3)〔長瀬川右岸杭列〕・・1360±20yBP(AD590年)
共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)
KSU‐521(木4)〔長瀬川右岸杭列〕・・1410±20yBP(AD540年)
共伴遺物(瓦器椀13C.)    推定時期(飛鳥・奈良時代)

以上四点の推定時期に対しては、推定時期に順ずる多少古い
年代が与えられていますが、飛鳥・奈良時代は(593年〜694年)
となるのでほぼ妥当の線が出ているような気がします。

瓜生堂(うりうどう)遺跡
(東大阪市瓜生堂)弥生〜古墳

河内平野の中央部に位置する弥生時代の拠点集落と方形周溝
墓群。

14C年代法。
(採取部位)
1(東西自然溝・青灰色砂層)・・・2020±80BP(BC70年)
2(河中・灰色粗砂層)・・・・・・・・・3140±50BP(BC1190年)
3 (A埋没層)・・・・・・・・・・・・・・・・1690±50BP(AD260年)
4(青灰色細砂層)・・・・・・・・・・・・1910±70BP(AD40年)
5(黒色砂質土層)・・・・・・・・・・・・2070±70BP(BC120年)
6(青灰色粘土層上面)・・・・・・・・1590±40BP(AD360年)
7(青灰色砂質層)・・・・・・・・・・・・1730±30BP(AD220年)
8(黒色砂質粘土層)・・・・・・・・・・1850±30BP(AD100年)
9(茶褐色砂層)・・・・・・・・・・・・・・3180±30BP(BC1230年)
10(UU3PY24Z)・・・・・・・・・・・・・・2070±30BP(BC120年)
11(黒色砂質粘土層)・・・・・・・・・・2010±30BP(BC60年)

以上データのみ

美園遺跡
(八尾市美園町1丁目〜7丁目)縄文〜近世

縄文から近世にいたる複合遺跡。河内平野中央部の最古の集
落の一つ。山賀遺跡と同様に弥生時代前期の竪穴住居・掘立
柱建物と多数の溝を検出され、初期農耕における水田と居住域
の関係を判明した。また、美園古墳から家型埴輪と壺型埴輪が
出土している。家型埴輪は高床式の住居と倉庫を模したと思わ
れるもので、高床式の住居は内部に「ベッド状施設」がみられ、
屋根の構造など、当時の建物についての貴重な資料となった。


(1)14C年代測定法。
KSU‐714(焼土)・・・2690±30BP(BC740年)
        共伴遺物(弥生前期)
   弥生前期の共伴遺物が(BC740年)とは、あまりにも違い
   過ぎるのでは(約440年古い)。
KSU‐529(木  )・・・2120±50BP(BC170年)
        共伴遺物(庄内式土器)  推定時期(古墳初頭)
   推定時期が古墳初頭としてはデータが古すぎる(約470年
   古い)。

(2)考古地磁気年代測定法。
YOS 1‐12(焼土)・・・前2〜3世紀   共伴遺物(第1様式)
                       推定時期(弥生前期)
YOS21‐34(焼土)・・・誤差大
YOS41‐58(焼土)・・・前1世紀後半  共伴遺物(第1様式)
                       推定時期(弥生前期)

上記2点はほぼ妥当なデータです。

久宝寺(きゅうほうじ)遺跡
(八尾市北久宝寺・神武町)縄文・弥生・古墳・古代

河内平野西南部に位置する。縄文時代から平安時代にいたる
複合遺跡である。弥生時代後期から古墳時代前期を中心とす
る。南地区の調査では、庄内期の水路から水利施設に転用さ
れた準構造船が出土した。

14C年代法。                    (備考・年輪年代)
KSU‐1004(ピート)・・1760±30BP(AD190年) (AD170〜250)
共伴遺物(布留式土器) 推定時期(小若江北並行)
KSU‐1005(ピート)・・1700±35BP(AD200年) (AD220〜320)
 共伴遺物(布留式土器) 推定時期(小若江北並行)
KSU‐1006(ピート)・・1680±30BP(AD270年) (AD260〜320)
 共伴遺物(布留式土器) 推定時期(小若江北並行)
KSU‐1007( 木 )・・2330±30BP(BC380年) (BC480〜420)
 共伴遺物(弥生土器) 推定時期(弥生中期中葉)
KSU‐1008( 木 )・・2250±50BP(BC300年) (BC430〜400)
 共伴遺物(弥生土器) 推定時期(弥生中期中葉)
KSU‐1009( 木 )・・2140±25BP(BC190年) (BC380〜170)
 共伴遺物(弥生土器) 推定時期(弥生中期中葉)

恩智(おんじ)遺跡
(八尾市恩智)弥生〜古墳

河内平野の東、生駒山西麓に位置する弥生時代の拠点集落。
河川改修に伴う南北200mのトレンチの東岸側。集落の北縁と考
えられ、遺物包含層は薄くなる。調査区からは大型土杭・井戸・
溝21条などが発見されている。
溝SD16は8層に分けられ、コンテナ2箱の土器が出土。土器は
弥生土器(V〜W)と土師器(布留式)が大半で小量の弥生後期
(D)、庄内式土器を含む。

14C年代法。BC
N‐3551(  木  片  )・・・2240±90BP(BC290年)
   共伴遺物(弥生土器・V〜W他) 推定時期(弥生時代中期)
      推定時期より約300年古い(木片)である
N‐3552(泥炭質粘土)・・・1950±80BP(AD1年)
   共伴遺物(土師器・布留式他)   推定時期(古墳中期)  

      土師器が(AD1年)の泥炭質粘土の層から発見された
      ことは、弥生中期(AD1年)にはすでに土師器が作られ
      ていたことを意味するようです

大場寺(おおばでら)遺跡
(堺市大場寺・小城地内)

和泉山脈から派生する中位段丘と沖積段丘状に位置する古墳
時代中期の生産集落跡で、須恵器生産の初段階において全国
的な拠点となったと考えられている「陶邑(すえむら)」集落に比
定される
須恵器窯遺構に伴う灰原からはわが国最古段階とさ
れる初期須恵器が出土した。
また谷を隔ててその生産者の住居
域が検出され、須恵器生産集落の構造が明らかになった。

14C年代法。  
1‐17458(炭)〔TG231号窯灰原2層〕・・・1750±80BP(AD200年) 
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17459(炭)〔TG231号窯灰原2層〕・・・1420±80BP(AD530年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17460(炭)〔TG231号窯灰原4層〕・・・1630±80BP(AD320年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17461(炭)〔TG231号窯灰原4層〕・・・1660±80BP(AD290年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17442(炭)〔TG232号窯〕・・・1620±80BP(AD330年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17443(炭)〔TG232号窯〕・・・1540±80BP(AD410年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17440(炭)〔ON231号窯〕・・1540±80BP(AD410年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)
1‐17441(炭)〔ON231号窯〕・・・1560±80BP(AD390年)
          共伴遺物(須恵器)   推定時期(5C前半)

この遺跡の大半の資料は推定時期の年代を示しているが、中
には弥生時代に使用されたと思われる(炭)が(須恵器)と共に
出土しているが、(須恵器)が弥生時代後期後半にすでに作ら
れていたことを証拠付ける重要な資料なのではないか〔例えば
17458の(AD200年)のデータのごとく〕

また、定説では、先述の赤文字のように、「朝鮮半島で三世紀
末から四世紀にかけての須恵器生産の開始が五世紀になっ
てわが国日本の伝わり、生産開始となった」とされてきたが、
逆のケースで、“日本から朝鮮半島に伝わったという説”に覆
されるかも知れないデータの出現、一考を要するべきなのでは
ないか。

下田遺跡
(堺市下田町)縄文・弥生・古墳

石津川の下流域左岸に位置し、弥生から古墳にかけての集落
跡と石津川旧河道と推定される自然河川が確認されている。こ
の旧河道の川岸からは銅鐸埋納遺構が検出され、また、旧河
道が自然埋没して形成された溝からは古墳時代前半の古式土
師器に伴って多量の木製品が出土した。

(1)14C年代法。測定資料はすべて(焼土)
資料4S‐1〜SS‐8まで、
・・・測定結果(300±50)    共伴遺物(弥生土器・後期後半)

資料4S‐14〜SS‐20まで、
・・・測定結果(250±100)    共伴遺物(庄内式土器)

資料4S‐21〜SS‐30まで、
・・・測定結果(190±10)     共伴遺物(庄内式土器)

資料4S‐31〜SS‐38まで、
測定結果(150±10)または(350±50) 共伴遺物(庄内式土器)

・・・と、ほぼ妥当な年代となっている。

(2)年輪年代法。
W134(木器・腰掛け)・・AD240 共伴遺物(布留式土器・木製品)

野々井西遺跡
(堺市菱木)弥生・古墳・古代

泉北丘陵を開沂する和田川左岸の中位段丘上に位置し、「陶
邑」でいう大野池地区に属する。弥生時代中期から後期にかけ
ての集落跡、古墳時代の須恵器窯、奈良時代の火葬骨壷が確
認されている。弥生時代の遺物としては、弥生土器・石器・銅鐸
型土製品
・鉄器等がある。また、大野池231号(ON231号窯)
と命名された須恵器窯から多量の初期須恵器が出土した。

14C年代法。
KI‐1(炭)〔灰原〕・・・1540±80(AD410年) 共伴遺物(須恵器)
KI‐2(炭)〔灰原〕・・・1560±80(AD390年) 共伴遺物(須恵器)

AD400年〜の遺跡から共伴遺物として須恵器は妥当な出土品
である。

上フジ遺跡
(岸和田市三田町)弥生・古墳

弥生から中世にいたる複合遺跡。山直谷を流れる牛滝川河岸
段丘上に位置し、弥生時代後期から古墳時代にかけての集落
跡、中世の耕作溝等が確認されている。5軒の竪穴住居のうち
4軒に火災の痕跡が残り、その内多角形を呈する竪穴住居から
銅鐸型銅製品が出土している。なお、14C年代測定法に示され
た各遺跡の時期の平均は200±75年である。

KF‐1(炭化材)〔竪穴住居1‐OD〕・・1733±124(AD217年)
                共伴遺物(弥生土器・砥石)
KF‐2(炭化材)〔竪穴住居2‐OD〕・・1620±90 (AD330年)
                共伴遺物(弥生土器・銅鐸型銅製品
KF‐3(炭化材)〔竪穴住居3‐OD〕・・1725±197(AD225年)
                共伴遺物(弥生土器)
KF‐4(炭化材)〔竪穴住居4‐OD〕・・1700±150(AD250年)
                共伴遺物(弥生土器)

南天平塚(みなみてんぴょうづか)古墳
(大阪市豊中市南桜塚)古墳時代中期

大石塚、大塚古墳など桜塚古墳群内に位置した古墳時代中
期の全長20mを測る円墳。主体部は粘土槨内にコウヤマキ
をくり抜いてつくった二基の割り竹形木棺が納められていた。
1号木棺からは鏡・刀・剣・鏃・甲などが、2号木棺からは鏡・刀・
剣・鏃・馬具などが発見された。

年輪年代法。
(割竹形木棺)・・(棺材)・・AD367+α
    共伴遺物(剣・甲・盾・鏡・鉄刀・弓・鉄鏃・馬具など)           
         推定時期(古墳時代中期・5世紀後半)

陶邑窯跡群TK- 59号窯
(堺市高倉台(垣外谷池の北斜面)奈良時代前期(8C)

百舌鳥古墳群・古市古墳群の後方に広がる丘陵に営まれたわ
が国最大級の登り窯群。窯跡群から発見された須恵器を分析し
須恵器編年(中村編年・田辺編年)が試みられている。窯は高蔵
寺(TK)地区の平窯で床面は一つ、窯体の一部と灰原が調査さ
れた。遺物は蓋杯・皿・壺・甕などコンテナに4箱分が出土してい
る。

14C年代法。
KSU‐185(木炭)・・・1190±20BP(AD760年)
    共伴遺物(須恵器 W‐2・3) 推定時期(奈良時代前期)
KSU‐189(木炭)・・・1200±15BP(AD750年)
    共伴遺物(須恵器 W‐2・3) 推定時期(奈良時代前期)
KSU‐193(木炭)・・・1220±30BP(AD730年)
    共伴遺物(須恵器 W‐2・3) 推定時期(奈良時代前期)

奈良時代は(710年から784年)であるから推定時期とほぼ一致し
ている。
  
狭山池
(大阪狭山市)古墳時代後期

狭山池は飛鳥時代以降に谷地形の開口部を堤によって堰き止
め、造営された大阪府最大級のため池。東樋下層遺構の調査に
よって、ため池造営時のコウヤマキ製の丸太7本をくり抜いてつ
くられた樋管が発見された。これらの樋管は奈良時代の堤の増
設によって更に長く延長され、総延長70mを測る。東樋上層遺構
の調査では、慶長十三年の改修の時につくられたと推定されるヒ
ノキ製の木樋が発見されている。

年輪年代測定法。
木樋コウヤマキ・・・AD616年  
  共伴遺物・・池下層(造営前)の窯の須恵器(TK209)
          池北堤(造営後)の窯出土須恵器(TK217)
  推定時期・・古墳時代後期 
    (TK209)、(TK217)の須恵器は推定時期にピッタリ。

池上曽根(いけがみそね)遺跡
(和泉市池上町・泉大津市曽根町)弥生時代

大阪湾を望む低位段丘上に位置する弥生時代中期の拠点集落
を中心とした集落遺跡。大型建物は集落中枢部に企画的に配置
され、東西19.6m、南北6.9mを測る。柱穴からヒスイ製勾玉や
朱塗り土器などが出土。柱は最大級0.7mもあるヒノキ(樹齢300
年以上)17本出土した。

年輪年代測定法。
資料bW(柱根・ヒノキ)〔大型掘立柱建物柱穴12〕・・・BC52年
   共伴遺物(弥生土器ID‐3)  推定時期(弥生中期)
    BC52年は(弥生中期)にピッタリ。

応神陵古墳
(羽曳野市誉田5丁目)古墳時代

応神陵古墳外堤に沿って流れる一級河川大水川の改修工事に
伴う調査で外堤を画する溝や外堤上からの転落埴輪が多く見つ
かっている。

年輪年代測定法。
(資料名・笠形木製品)〔採取部位・第4層SD01〕・・・302年
   共伴遺物(埴輪・土器)  推定時期(古墳中期)
  302年は古墳初期であるが、凡そのところ推定時期としては
  妥当と考えてもいいのではないか。

新池遺跡
(高月氏葉室)旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥

旧石器から中世に至る複合遺跡。特に、古墳時代中期から後
期にかけて3期、3群の半地下式埴輪窯、工房、および工人集
落から成る埴輪製造所が検出されている。

考古地磁気測定法。
KOS1―12(焼土)〔1号窯跡焼成部床面〕・・・AD450±10年
    共伴遺物(埴輪)    推定時期(古墳中期)
KOS21‐33(焼土)〔2号窯跡焼成部床面〕・・・AD440±30年
    共伴遺物(埴輪)    推定時期(古墳中期)
KOS41‐55(焼土)〔3号窯跡焼成部床面〕・・・AD430±30年
    共伴遺物(埴輪)    推定時期(古墳中期)
 3資料とも古墳中期の遺物にピッタリ。

陶邑窯跡群
(堺市泉北丘陵一体〜大阪狭山市狭山池周辺)
古墳時代後期(5C)〜奈良時代後期(8C)

百舌鳥古墳群・古市古墳群の後方に広がる丘陵に営まれたわ
が国最大級の登り窯跡群。窯跡群から発見された須恵器を分
析し須恵器編年(中村編年・田辺編年)が試みられている。
丘陵ごとに西から陶器山(MT)地区・高蔵寺(TK)地区・栂(TG)
地区・富蔵(TM)地区・光明池(KM)地区・大野池(ON)地区・谷
山池(TN)地区に分かれる。

考古地磁気測定法。
移動平均の計算結果
(Age・年代)440・460・480・500・520・540・560・580・600・620・640
    ・680・660・680・700・720・740・760・780

陶邑における5〜8世紀の考古地磁気測定結果(1)
site番号ON22(3) TG22(4) ON53.57.58.151.155.152.222 MT
70.206(2) TG19.37.39.43(2).201 TK33.50.67(2).103(2).305.(4).
306.27(2) .KM2 MT5(7).84 →(430・450・470・480・490年の間に)

陶邑における5〜8世紀の考古地磁気測定結果(2)
site番号TK2..4(2).15.33.41.43(8) 232(7).305.312 KM3.28.115.
126 MT5(4).200 TG30.38(2).39.40.43.51(2).65.211 ON3(3).52
(3)→(490・510・530・550・570・590・610年の間に) 

陶邑における5〜8世紀の考古地磁気測定結果(3)
 site番号MT22(2) TG10(7).11.17.40.(2).41(3).55.57(2).62.63(2)
64.68.70.200(2).202.205.206.216 TK20.44(2).45.46.48.68.316.317.
321 KM11(2).28.60.101.102.125→(610・630・650・670・675・690・
720・750年の間に)

陶邑における5〜8世紀の考古地磁気測定結果(4)
 site番号TK33.36.53(2).57(2).237.238 KM22.28.31.33.38.51 M
T71.209→(750・760・770・780・790年の間に年代が与えられて
いる)
上記〔1)、(2)、(3)、(4)のデータは、須恵器発生から須恵器
作り全盛ゾーンまで網羅するかのように古墳期から奈良時代初
期までの年代に収まっている。


●●日置荘(ひおきのしょう)遺跡
(堺市日置荘原寺町、日置荘西町、日置荘西田中町)
古墳・奈良〜平安・中世

開析谷の斜面から、6世紀中葉の須恵器窯とそれ以降の埴輪
窯が検出された。中世を中心とする区画溝を有する集落跡・城
郭跡がみられた他、鋳造関係遺構・遺物の検出より、「河内鋳
物師」との関連が注目される。また瓦質製品が多量出土してお
り、寺院の性格を有した施設の存在も想定される。

14C年代法。
ksu‐1717〔V‐L地区須恵器窯L‐1(溝L‐12黒褐色炭化物層)〕
    1490±20(年輪年代・AD580±20年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1718〔V‐L地区須恵器窯L‐1(土杭L‐34炭化物層)〕
    1530±70(年輪年代・AD540±15年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1719〔W‐P地区河道P‐2B 灰色砂質土出土木片〕
    1670±70(年輪年代・AD390±20年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1720〔W‐P地区河道P‐2B 灰色砂質土出土木片〕
    1620±70(年輪年代・AD420±10年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1721〔W‐P地区須恵器窯P‐1 灰原炭化物〕
    1490±15(年輪年代・AD580±20年) 共伴遺物(TK‐10)
             推定時期(6C前半)
ksu‐1722〔W‐P地区V層(青灰色粘土)木根〕
    1690±10(年輪年代・AD360±100年) 共伴遺物(――‐)
             推定時期(不明)
ksu‐1723〔W‐P地区埴輪窯P‐1 床面1炭荘〕
    3520±25(年輪年代・BC1880±20年) 共伴遺物(――‐)
             推定時期(不明)
ksu‐2283〔W‐P地区埴輪窯P‐1 床面1炭荘〕
  1480±20(年輪年代・AD600±20年) 共伴遺物(川西編年V以降)
             推定時期(6C前半)
野々上埴輪窯跡群
(羽曳野市野々上三丁目)古墳時代

仁賢天皇陵古墳の堤外側傾斜面に、仁賢天皇古墳に供給したと
考えられる埴輪を焼いた窯が2基見つかっている。

考古地磁気法。
NNW1〜16(焼土)〔1号床面〕・・・AD540±80年
AD850±150年
        共伴遺物(埴輪)  推定時期(古墳後期)
  この窯のデータは、AD540〜 AD850まで約300年間も使用され
  たことを示している。



            

  

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