ハナサンピン

アクセスカウンタ

zoom RSS 14C測定値の公開ー3−北陸・中部

<<   作成日時 : 2013/06/24 21:13   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

新潟県、石川県、福井県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三
重県

【新潟県】

六地山(ろくちやま)遺跡
(新潟市曾和字沢田372−2ほか)弥生時代後期前半〜中頃

低湿地に囲まれた残丘状の砂丘列(砂丘列T)に立地する。北
陸系、東北系の土器が出土しており、籾痕の付いた土器も確認
され、周辺で稲作が行われた可能性も指摘される。

14C年代法。
『1989年度埋蔵文化財発掘調査報告書』新潟市教育委員会

測量結果
Gak‐12675(木)・(採取部位・黒色砂質土「Eトレンチ」)
        ・・・1720±100(AD230年)  推定時期(弥生後期)
    推定時期としては(妥当)

笹山遺跡
(長岡市親沢町)縄文・平安

信濃川左岸の河岸段丘のうち、洪積世後期に形成された上豊
岡面上に立地する。縄文時代の遺構はピットが数基あるのみで、
住居跡は検出されていない。遺物は石器と中期前葉の土器が
出土した。
平安時代の遺構は須恵器の窯が1基検出されたのみである。
窯体内から出土した須恵器は8世紀前半の古い段階のものと
見られ、窯の築造年代も同時期であったと推定されている。
(1)考古地磁気法。

(2)14C年代法。
『埋蔵文化財発掘調査報告書‐笹山遺跡‐』長岡市教育委員会

測定結果(採取部位はすべて須恵器窯跡)
Gak‐9568 (炭)・・・1700± 70(AD250年)
          推定時期(8世紀前半)
           450年古い資料ということになる、すなわち
           須恵器窯も弥生後期築造かも知れない。
Gak‐9568a(炭)・・・2560±100(BC610年)
          推定時期(8世紀前半)
           1310年古い資料、すなわち14C法で遡っても
           弥生前期の窯跡ということになる。
Gak‐9569 (炭)・・・1000±100(AD950年)
          推定時期(8世紀前半)
            逆に推定時期より新しい (炭)といえる
Gak‐9569a(炭)・・・2480±110(BC530年)
          推定時期(8世紀前半)
            1230年古い(炭)といえる
Gak‐9570 (炭)・・・1140±110(AD810年)
          推定時期(8世紀前半)
            逆に推定時期より新しい (炭)といえる
Gak‐9570a(炭)・・・2480±110(BC590年)
          推定時期(8世紀前半)
            1290年古い資料ということになる

分析者(土橋由理子氏)の発言
*Gak‐9568a、Gak‐9569a、Gak‐9570aはIM塩酸による前処理
のみを行った。Gak‐9568 、Gak‐9569、Gak‐9570 はIM塩酸に
よる処理を行った後、1%NaOH溶液と加熱し、アルカリ可溶の
部分を除去した残りを測定した。
*Gak‐9568 はアルカリ可溶のものが残っていたため、古い年
代を与えた可能性が強い、と分析者は指摘している。

小丸山(こまるやま)遺跡
(新潟県柏崎市青山町小丸山2−27ほか)
縄文・弥生・古墳・奈良・平安

北は夜英彦山塊に連続する海岸砂丘の南端、荒浜砂丘の日本
海に面した砂丘西側斜面に存在し、嶽ノ尻沢左岸に位置する。
遺跡の周辺では平坦で、現在の波打ち際から約200mしか離
れていない。砂丘から流れ出る嶽ノ尻沢は弥生時代中期後半に
は中華鍋形の小湖を形成し、遺跡はこの湖を中心に営まれた。
湖の下位に埋没した、後期中葉を中心とする縄文時代には、住
居・石鏃製作跡が形成された。単純な水平堆積により、土器群
の層位的・編年的把握がなされた。

14C年代法。 (推定時期)↓
Gak‐11931(材)・・・1180± 90(AD 770) (古 墳 時 代 中 期)
      少なくとも、270新しい(材)ということになる
Gak‐11932(材)・・・1800±100(AD 150) (古墳前期・弥生後期)
      推定時期としては(ほぼ妥当)
Gak‐11933(材)・・・2770±120(BC 860) (古墳前期・弥生後期)
      960年古い(材)ということになる 
Gak‐11934(材)・・・2630±100(BC 680) (古墳前期・弥生後期)
      780年古い(材)ということになる
Gak‐11935(材)・・・1700±120(AD 250) (古墳前期・弥生後期)
      推定時期としては(ほぼ妥当)
Gak‐11936(材)・・・1940±110(AD 10) (弥 生 時 代 中 期)
      90年古い(材)ということになる
Gak‐11937(材)・・・1910±110(AD 40) (弥 生 時 代 中 期)
      60年古い(材)ということになる
Gak‐11938(材)・・・2460± 90(BC 510) (弥 生 時 代 前 期)
    少なくとも、210年新しい(材)ということになる   
Gak‐11939(材)・・・2080±120(BC 130) (弥生前期・縄文晩期)
      推定時期としては(ほぼ妥当)
Gak‐11940(材)・・・1580±100(AD 370) (縄 文 時 代 後 期)
      与えられた年代と推定時期が新しい方に大きく
      違い過ぎるが
Gak‐11941(材)・・・3060±120(BC1110) (縄 文 時 代 後 期)
      この資料はほぼ妥当の年代が与えられている
Gak‐11942(材)・・・1470±100(AD 480) (弥生中期・古墳前期)
      この資料も新しい年代が与えられている

Gak‐11931(Ua層)、Gak‐11938(Ud層)、Gak‐11940(Wa層)
の資料は、層の違いからくる推定年代とのズレなのだろうか。特
にGak‐11940については何かの手違いがあったのだろうか。

御館(おたて)遺跡
(南魚沼郡大和町大字九日町字石原1220番地他)中世・近世

魚野川左岸には魚沼丘陵から流れ出る小河川によって形成さ
れた複合扇状地形が発達している。御館遺跡にあった居館は、
扇端部段丘崖下の魚野川氾濫源の微高地を利用して営まれて
いたとみられる。遺構は水路跡、柱穴、掘立柱建物跡、井戸跡
等が検出された。遺物は中世陶器や曲物・下駄などの木製品、
水路跡・井戸跡から魚骨、炭化米が出土した。陶器には15世紀
後半〜16世紀前半の年代が与えられている。

14C年代法。
Gak‐16076(焼籾)・・・2310±460(BC360年)・・推定時期(中世)

*「中世とされる御館に検出された(大形井戸)の下層資料の年
代は2310±460yBPを示した。時代との対比においてはかなり
の差のある年代といえる。これは測定に必要な炭素量が3mg
と少なかったためと考えられる。したがって、有効な年代値とし
て扱うことができない。」という考察がつけられている。
                              (土橋由理子)

干溝(ひみぞ)遺跡
(中魚沼郡中里村大字田沢ひ191番地ほか)縄文・弥生

東頸城丘陵有倉山の東南麗、信濃川右岸の正面面と呼ばれる
河岸段丘上に立地する。11軒の竪穴住居跡をはじめ埋没谷、集
石土杭、陥穴状遺構等が検出されている。縄文時代草創期前か
ら弥生時代後期までの土器が出土しており、撚糸文期の集落跡
として貴重な遺跡である。

14C年代法。
Gak‐17254(炭化物)〔第1地点〕・・・1610± 70(AD340年)
推定時期(弥生後期〜古墳中期)
         推定時期としては(妥当)

Gak‐17252(炭化物)〔第2地点〕・・・6360±100(BC4410年)
       推定時期(縄文早期)
Gak‐17253(炭化物)〔第4地点〕・・・7140±120(BC5190年)
       推定時期(縄文早期)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【石川県】

国分高井山遺跡
(石川県七尾市国分町)弥生・古墳

鷹合川と徳田段丘の入り口を望む丘陵の斜面に営まれた
弥生終末期(柳田うわの期〜月影期)〜古墳前期(宮地期)
の集落遺跡。竪穴住居跡26棟、土壙が9基検出されている。

14C年代法。
KL437(木炭片)〔第2号住居址中央部〕・・1640±120(AD340年)
    推定時期(弥生末〜古墳初期)   推定時期は(妥当)
KL438(木炭片)〔第8号土壙下層〕・・・・・・1620± 60(AD360年)
    推定時期(弥生末〜古墳初期) 推定時期は(妥当)
KL439(木炭片)〔第5号土壙下層〕・・・・・・1280± 60(AD770年)
    推定時期(弥生末〜古墳初期) 推定時期(470年新しい)
KL440(木炭片)〔第5号土壙上・中層〕・・・1600± 70(AD350年)
    推定時期(弥生末〜古墳初期)   推定時期は(妥当)
KL441(木炭片) 〔第10号住居跡床面〕・・・1650± 70((AD300年)
    推定時期(弥生末〜古墳初期)   推定時期は(ピッタリ)

二口かみあれた遺跡
(石川県羽咋郡潮町志雄町二口・杉野屋地内)

羽咋市街地の東側に位置する平野に所在する、弥生・古墳時代
及び奈良・平安時代の集落跡。

年輪年代法。
1・・(杉)・・・(AD) 94年
2・・(杉)・・・(AD)196年
3・・(杉)・・・(AD)127年
4・・(杉)・・・(AD) 80年
 共伴遺物(土器)  推定時期(古墳前期)   
        推定時期としては、(220年古い土器)
5・・(杉)・・・(AD) 59年
    共伴遺物(土器)  推定時期(古墳前期)
        推定時期としては、(241年古い土器)  
6・・(杉)・・・(AD)116年
    共伴遺物(土器)  推定時期(古墳前期)
         推定時期としては、(184年古い土器)
7・・(杉)・・・(AD)222年
    共伴遺物(土器)  推定時期(古墳前期)
         推定時期としては、(78年古い土器)  
8・・(杉)・・・(AD)211年
    共伴遺物(土器)  推定時期(古墳前期)
         推定時期としては、(89年古い土器)
(ただし、古墳前期をAD300年とした場合の計算です。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【福井県】

太田山古墳群
(福井県福井市太田町)弥生・古墳

弥生時代中期中葉〜古墳時代後期にかけて砂丘上に営まれた
弥生墳丘墓と古墳が検出されている。

考古地磁気法。
F01‐10・・・(焼土)〔1号墳炉床〕・・・AD70 共伴遺物(弥生土器)
          推定時期(弥生中期中葉)
             推定時期としては(ほぼ妥当)
F071‐78・・(焼土)〔2号墓炉床〕・・・AD700  共伴遺物(土師器)
          推定時期(古墳前期)
             推定時期と較べて300年新しい(焼土)
F0721‐28・(焼土)〔3号墓炉床〕・・・AD30  共伴遺物(土師器)
          推定時期(古墳前期)
推定時期と較べて約200年古い(焼土)
F0721‐28・(焼土)〔4号墓炉床〕

安保山(あぼやま)古墳群
(福井県福井市安保町)弥生・古墳

丘陵上に営まれた弥生時代後期後葉の墳丘墓(方形墓1・円形
墓2)古墳時代前期の前方後円墳2基が検出されている。

考古地磁気法。
FA1‐20・(焼土)〔1号炉床〕・・・AD400±50 共伴遺物(土師器)
推定時期(古墳前期)
               推定時期としては(ほぼ妥当) 
FA21‐38(焼土)〔2号炉床〕・・・AD650±40共伴遺物(弥生土器)
            推定時期(弥生後期後葉)
               推定時期として2号炉床の焼土は350年
               新しい年代の資料である

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【長野県】

中島(なかじま)A遺跡
(岡谷市1386〜87、1402番地)縄文・弥生・古墳・古代

塚間川の形成した扇状地の扇央に位置する。縄文層期末から
晩期の土器などの遺物が出土しているが、特に縄文晩期(浮線
網状文)と弥生中期初頭の土器・石器の集中が見られる。また、
弥生、古墳、古代の遺物も検出される複合遺跡である。

14C年代法。
7.I‐14113(泥炭)・・・2050±80(BC100年)・・共伴遺物(土器)
             推定時期(弥生中期初頭)
       推定時期としては(妥当)(弥生中期はBC100年頃)
8.I‐13759( 材 )・・・2840±90(BC890年)・・共伴遺物(土器)
             推定時期(弥生中期初頭)
       推定時期よりは790年古い(材)ということになる。
9.I‐14458( 材 )・・・3050±90(BC1100年)・・共伴遺物(土器)
             推定時期(弥生中期初頭)
       推定時期よりは1000年古い(材)ということになる。
10.I‐13838(粘土)・・・11800±180(BC9850年)
推定時期は縄文早期で(妥当)

中島(なかじま)B遺跡
(岡谷市1511番地)旧石器・縄文・弥生・古墳・中世

塚間川の形成した扇状地の扇央に位置する。旧石器時代の槍
先形尖頭器やその未成品が出土し、縄文時代草創期の隆起線
文土器も出土している。その他縄文時代前期から晩期の土器な
どの遺物が出土している。また縄文時代以降の遺物は少ない。

14C年代法。
I‐13767・・・12460±310(BC10510年)・・共伴遺物(土器)
   推定時期は縄文草創期とされているが縄文早期が(妥当)

石子原(いしこはら)遺跡・石子原古墳
(長野県飯田市山本字南平3067〜4092番地)
旧石器・縄文・弥生古墳

古い扇状地がその後の侵食でほぼ東西に走る馬の瀬状の台
地となり、その台地上に位置する。旧石器時代から古墳時代の
複合遺跡。とくに旧石器時代の礫群、チョッパー、チョッピングト
ゥールなどのほか、縄文時代早期の押型文や石器、弥生時代
の方形周溝墓が発屈されている。

14C年代法。
Gak‐4210(木炭)・・・7830±190(BC5880年)・共伴遺物(土器)
            推定時期(縄文早期)立野式
Gak‐4722(木炭)・・・2180±125(BC230年)・・共伴遺物(土器)
            推定時期(弥生後期)
     推定時期が弥生後期とされているが、それより330年古
     い、弥生前期の(木炭)となっている。
Gak‐4212(木炭)・・・1750±85 (AD200年)・・共伴遺物(土器)
            推定時期(古墳時代)
     推定時期が古墳時代となっているが、それより100年古
     い弥生後期の(木炭)となるところ。
Gak‐4208(木炭)・・・1210±500 (AD740年)

上の金谷(かみのかなや)遺跡
(長野県飯田市伊賀良地方1274〜1282番地)
縄文・弥生・古墳・古代

南沢川の扇状地の北東端に位置し、小さな流れによって形成
された台地扇端部が遺跡で、標高538〜539mである。縄文
時代前期の土器が出土しているほか、弥生・古墳・古代・中世
にかけての集落の複合遺跡。

14C年代法。
Gak‐4209(木炭)・・・1550±80 (AD400年)・・共伴遺物(土器)
           推定時期(古墳時代中期)
      推定時期としては(ほぼ妥当)

栗林遺跡
(長野県中野市大字栗林字清水林)旧石器・縄文・弥生

千曲川の右岸、高丘・長丘丘陵の西側の沖積段丘面の栗林
面から高丘面にかけて位置している。ナイフ形石器をはじめと
する旧石器のほか縄文時代中期末、から後期初頭の住居址と
貯蔵穴群、弥生時代中後葉から後期の集落が発掘されている。

14C年代法
(他にも旧石器から縄文のデータが多くありますが、弥生に関す
るデータを一個のみピックアップして示します。)

Gak‐16932(木材)・・・1860±80 (AD90年)・・共伴遺物(土器)
 推定時期(弥生中期末)(栗林式)
         推定時期としては(ほぼ妥当)

以上、長野県の14C測定データは数多くありますが、旧石器・縄
文時代のみということで、ここでは取り上げないことにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【岐阜県】

岐阜県美濃市西南部窯跡群
(岐阜県美濃市西南部)古墳後期(5c後半)・中近世

窯帯の一部が過去に確認され、焚き口部は削平されていた。
燃焼部付近が現存する。灰原は調査されていない。出土遺物
は須恵器24個と窯道具2個である。

考古地磁気法。
SG21〜35(焼土)〔窯帯〕・・・AD650±20 ・共伴遺物(須恵器)
          推定時期(5世紀後半)
     ここの(焼土)は(5世紀後半)より150年新しい時代の
     遺物となっている。

岐阜県については、このデータの他にもう一つの考古地磁気
法による測定のデータのみ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【静岡県】

三沢西原(みさわにしはら)遺跡
(静岡県菊川町三沢)縄文・弥生・古墳

牧ノ原台地西端に展開する低位河岸段丘上に立地する。縄文
時代は早期の押型文土器の時期では集石遺構、中期中葉の竪
穴住居跡、弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴住居が発見さ
れている。

14C年代法。
N‐4907(木炭)〔集石土壙1〕・・・2310±85yBP
        共伴遺物(押型文土器)  推定時期(縄文早期)

     縄文早期は(約7,000〜1万年前)であるから、縄文時代
     においても考古学的年代判定は疑問が多い

安久川崎原(やすひさかわはら)遺跡
(静岡県三島市安久)古墳・古代・中世

三島・沼津平野を形成した河川のひとつである大場川の微高地
上に立地する。古墳時代は前期〜後期の竪穴住居、平安時代
では竪穴住居、中世では井戸、掘立柱建物を構成すると思われ
る柱穴群が発見されている。

14C年代法。
KSU‐1455(木炭)〔第1号河川7層〕・・・1240±30yBP(AD710年)
  共伴遺物(古墳前期土器)  推定時期(古墳前期)
    この資料(木炭)は古墳前期としては新しい年代である。  
KSU‐1455(木炭)〔第2号住居覆土〕・・・1480±35yBP(AD470年)
  共伴遺物(古墳中期土器)  推定時期(古墳中期)
    推定時期としては(ほぼ妥当)。
KSU‐1455(木炭)〔第11号住居直上〕・・1270±20yBP(AD680年)
  共伴遺物(古墳後期土器)  推定時期(古墳後期)
    推定時期としては(ピッタリ)。
KSU‐1455(木炭)〔第10号住居直上〕・・1020±30yBP(AD930年)
  共伴遺物(古墳後期土器)  推定時期(古墳後期)
    推定時期と(AD930年)は大きな差。
KSU‐1455(木炭)〔第2号河川14層〕・・・1370±25yBP(AD580年)
  共伴遺物(古墳中期土器)  推定時期(古墳中期)
KSU‐1455(木炭)〔第2号住居覆土〕・・・ 1320±20yBP(AD630年)
  共伴遺物(古墳中期土器)  推定時期(古墳中期)
    古墳中期は約400年。KSU‐1455(木炭)は230年も新しい。

御殿・二ノ宮遺跡(縄文中期の遺物の中に弥生期と思われる資
資料がただ一つ)
(静岡県磐田市二ノ宮)縄文・弥生・古墳・古代

磐田原台地東側の扇状地と小河川の谷口部に立地する。弥生
時代では中期〜後期の土器、古墳時代前期の粘土採掘杭、奈
良〜平安時代の河川のなかから祭祀遺物が出土している。尚、
本遺跡は遠江国府と推定されている。

14C年代法。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
・この辺は縄文時代の資料測定データがズラリと並んでいます。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・・・
GaK17846(ピート)〔C地区1号溝16層〕・・・2540±70BP
共伴遺物(弥生中期〜古代?) 推定時期(弥生中期後葉?)

(2540±70BP)は(BC590年)に相当する。推定時期の(弥生中
期後葉?)は(AD300年頃)になるので、推定時期とは古いほうに
890年のさかのぼるピート(泥炭)ということになります。
こんなにもさかのぼるピート(泥炭)となったので、(?マーク)を
添えておいたのでしょうか。

金沢遺跡
(静岡県三島市中259-9)古墳・古代

三島扇状地の等辺を緩やかに流れる御殿川左岸の微高地上に
立地する。古墳時代中期〜後期の竪穴住居、方形周溝墓、奈良
〜平安時代では竪穴住居、掘立柱建物が発見されている。

14C年代法。
N‐6507(炭化材)〔12号住居址〕・・・1360±120BP(AD590年)
共伴遺物(7C前半土器)   推定時期(古墳後期)
     推定時期としては(妥当)  
N‐6508(炭化材)〔 6号住居址〕・・・1790± 85BP(AD150年)
  共伴遺物(5C後半土器)   推定時期(古墳中期後半)
     推定時期としては(250年古い炭化材)ということになる。
N‐6509(炭化材)〔13号住居址〕・・・1530± 75BP(AD420年)
  共伴遺物(7C前半土器)   推定時期(古墳後期)
     推定時期としては(80年古いが、ほぼ妥当)
N‐6510(炭化材)〔21号住居址〕・・・1470± 75BP(AD480年)
  共伴遺物(7C末土器)     推定時期(古墳末期)
     推定時期としては(約100年古いが、ほぼ妥当)
N‐6511(炭化材)〔20号住居址〕・・・1780± 160BP(AD170年)
  共伴遺物(7C末土器)     推定時期(古墳末期)
     推定時期としては(430年古い炭化材)ということになる。
N‐6512(炭化材)〔25号住居址〕・・・1660± 115BP(AD290年)
    共伴遺物(8C前半)     推定時期(奈良前半)
     推定時期としては(510年古い炭化材)ということになる。 
N‐6513(炭化材)〔17号住居址〕・・・1500± 75BP(AD450年)
  共伴遺物(7C末土器)     推定時期(古墳末期)
     推定時期としては(200年古い炭化材)ということになる。

池ヶ谷(いけがや)遺跡
(静岡県静岡市北安東4丁目)弥生・古代

静岡平野の北西部に展開する賤機丘陵東方の麻機低地西端に
立地する。弥生時代中期後葉・後期末〜古墳時代初頭と平安時
代前期の水田が発見されている。

(1)14C年代法。

NUTA2489(植物細片)・・・1150±170BP(AD800年)
        共伴遺物(平安中期遺物)  推定時期(平安中期)  
NUTA2480(炭化杭)・・・・・1330±150BP(AD620年)
        共伴遺物(平安中期遺物)  推定時期(平安中期)
                           ・・・・・・・・・・・・・・・・・
NUTA2364(炭化杭)・・・・・2330±140BP(BC380年)
        共伴遺物(弥生後期〜古墳初期遺物)
              推定時期(弥生後期〜古墳初期)
     測定結果は推定時期より約500年古い
NUTA2365(炭化木片)・・・2180±150BP(BC230年)
        共伴遺物(弥生後期〜古墳初期遺物)
              推定時期(弥生後期〜古墳初期)
     測定結果は推定時期より約450年古い
・・・・・・・・・・・・・
Gak16211(土壌)〔GT層〕・・・1200±60BP(AD750年)
                  推定時期(縄文後期〜晩期?)
Gak16212(土壌)〔GT層〕・・・2940±80BP(BC990年)
                  推定時期(縄文後期〜晩期?)
Gak16212(土壌)〔GT層〕・・・3300±80BP(BC1350年)
                  推定時期(縄文後期〜晩期?)
 以上、3点の測定は推定時期とほぼ一致している。

Gak16207(木片)〔EV層〕・・・2450±160BP(BC500年)
                  推定時期(古墳中期?)
Gak16208(木片)〔EV層〕・・・2790± 90BP(BC840年)
                  推定時期(古墳中期?)
Gak16209(木片)〔EV層〕・・・2450±160BP(BC500年)
                  推定時期(古墳中期?)
Gak16210(木片)〔EV層〕・・・1920±200BP(AD30年)
                  推定時期(古墳中期?)
     以上4点の測定結果は、推定時期よりかなり古い
     時代の〔EV層〕であることを示している。

(2)年輪年代法。
( 資 料 名 ) (遺跡名)          ( 推 定 時 期 )
長方形皿・・・・・(山木遺跡)・・・・AD89・・・(弥生後期〜古墳前)
長方形皿・・・・・(山木遺跡)・・・・AD29・・・(弥生後期〜古墳前)
梯子・・・・・・・・・(山木遺跡)・・・・AD118・・(弥生後期〜古墳前)
梯子・・・・・・・・・(山木遺跡)・・・・AD44・・・(弥生後期〜古墳前)
板材・・・・・・・・・(山木遺跡)・・・・AD149・・(弥生後期〜古墳前)
板材・・・・・・・・・(山木遺跡)・・・・AD148・・(弥生後期〜古墳前)
板材・・・・・・・・・(山木遺跡)・・・・AD40・・・(弥生後期〜古墳前)
厚材・・・・・・・・・(山木遺跡)・・・・AD136・・(弥生後期〜古墳前)
板材・・・・・・・・・( 台 遺 跡)・・・・AD17・・・(弥生後期〜古墳前)
板材・・・・・・・・・(宮下遺跡)・・・・AD26・・・(弥生後期〜古墳前)
高坏の坏の部・(登呂遺跡)・・・・AD66・・・(弥生後期〜古墳前)
蓋板・・・・・・・・・(登呂遺跡)・・・・AD195・・(弥生後期〜古墳前)
丸鉢・・・・・・・・・(登呂遺跡)・・・・AD89・・・(弥生後期〜古墳前)
槽形木器・・・・・(登呂遺跡)・・・・AD34・・・(弥生後期〜古墳前)
高坏の坏の部・(河合遺跡)・・・・AD54・・・(弥生後期〜古墳前)
高坏の坏の部・(河合遺跡)・・・・AD134・・(弥生後期〜古墳前)
田下駄・・・・・・・(河合遺跡)・・・・AD257・・(弥生後期〜古墳前)
原木・・・・・・・・・(池ヶ谷遺跡)・・・AD253・・(弥生後期〜古墳前)
原木・・・・・・・・・(池ヶ谷遺跡)・・・AD219・・(弥生後期〜古墳前)

以上、この外にも、黒曜石水和法、熱ルミネッセンス法や火山灰
層序(火山灰年代法)によるデータが数多くありました。

陰洞(かげぼら)遺跡
(静岡県三島市原ヶ谷陰洞)旧石器・縄文

箱根山西麓の丘陵地帯標高400mの緩傾斜地に立地する。
旧石器時代はナイフ形石器の時期の礫群、遺物ブロック、縄文
早期〜中期の竪穴住居、土杭が発見されている。

14C年代法。
旧石器・縄文時代の測定結果のなかにつぎの2点が混在、示さ
れている。
N‐5439・・・(E遺跡1号住居)・・・5720±105BP(BC3770年)
    共伴遺物(8世紀初頭土器)  推定時期(奈良初頭期)
N‐5440・・・(E遺跡2号住居)・・・5570±105BP(BC3620年)
    共伴遺物(9世紀土器)     推定時期(平安前期)
  以上2点は、奈良時代 (710年 - 794年)から平安前(900年)
  だから、推定時期よりは4000年前の遺物となり理解不能!。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【愛知県】


一色畑遺跡
(稲沢市一色長畑町)弥生

弥生時代中期末の集落遺跡。一色青海遺跡の一部を構成す
る居住域。極めて単発的な集落景観が推定できる。

14C年代法。
Gak‐16365(土壌)〔暗灰色腐食質シルト層、地層T〕
           標高(−3m)・・・2860±100yBP(BC910年)

伊勢山中学校遺跡
(名古屋市中区正木3丁目)

古墳時代中期の集落遺跡。

考古地磁気法。
01〜09(焼土)〔SB25住居跡A焼土部〕・・・AD390±30
10〜25(焼土)〔SB25住居跡A焼土部〕・・・AD345±15
01〜07(焼土)〔SB28住居跡〕・・・・・・・・・・AD540±20
    遺跡の時期は古墳時代中期として(ほぼ妥当)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【三重県】

熱ルミネッセンス法、放射性炭素(C14)法、考古地磁気法によ
る6箇所の遺跡についての数多くのデータがありましたが、(C
14)法によるデータは縄文時代の遺物に対するものだけなので
省略とさせていただきます。

但し、推定時期と測定結果が縄文時代を除いてほとんど同じで
あったことをここに添えておきます。


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
14C測定値の公開ー3−北陸・中部 ハナサンピン/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる