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zoom RSS (14C)測定値の公開−1−東北

<<   作成日時 : 2013/06/24 21:03   >>

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少し前のページで・・・内倉氏が掲げる「理化学と(証言)が語る
古代史」の中から放射性炭素14Cによる年代測定の事実とそれ
に 対する氏の論証を見てみたいと思っています・・・とお約束しま
したが・・、その前に“1996年「埋蔵文化財研究会」の全国集会”
で配布された資料集「考古学と実年代」という冊子を偶然に手に
することができたので、それをここでご覧に入れたい・・・と。

@14C年代測定法データ−東北
A14C年代測定法データー関東
B14C年代測定法のデーター北陸・中部
C14C年代測定データー近畿
D14C年代測定法のデーター兵庫〜中国地方
E炭素14測定法のデータ‐鳥取、島根、香川、愛媛
F炭素14測定法のデータ-九州

・・・とこの番号順に公開してゆきます。

但し・・・、
(a)推定時期に対する年代のズレの標示は従来の編年との比
   較によります。
(b)このデータを調べる本来の目的は(弥生・古墳時代)にあるの
  で、旧石器・縄文時代については参考程度の紹介とさせてい
  ただきました。
(c)資料のもつ年代が、即その遺構の年代に直結するものと考  
  えている。
(d)実際の資料データは公開したものより2〜3倍くらいありまし
  たが、それについての考察(例えば推定時期・共伴遺物など)
  が加えられていなかったので、除外することにした。
(e)拙論コメントを加えておきましたが、これについてのご批判の
  コメント・詳しいご説明コメントを大いに期待してますのでよろ
  しく。

(f)遺跡・遺構名の頭の●印は・・・、
  →測定者の予想範囲内のデータ。
  →測定者の予想より古いデータの場合。私が注目する所。
  →参考程度に揚げた縄文以前の遺跡・遺構名。


<東北>
岩手県・山形県・秋田県・宮城県・

【岩手県】

今泉遺跡(岩手県水沢市佐倉河今泉地内)古墳・古代

北上川流域の河岸段丘上に立地。古墳時代末期〜奈良時代に
かけての集落跡。検出された遺構は、奈良時代以前の竪穴住
居16棟、平安時代の竪穴住居3棟等である。しゅつどした土師
器には、連続山形文や格子目文を持つ甕や杯、片口土器など、
より地方的性格を有するものがある一方で、須恵器?等も出土
している。

14C年代測定法。
炭化材・・Bh09住床面・・・1460±60(AD490年に相当)
共伴遺物は(土師器等)   推定時期(7世紀中葉)
   共伴遺物の土師器等は推定時期より260年古い土器であっ
   たことが分かる。

猫谷地(ねこやち)遺跡
(岩手県北上市猫谷地地内)縄文・古墳・古代

北上川と和賀川の合流点近くに形成された自然堤防上に立地。
縄文時代、弥生時代及び古墳時代前期〜古代にかけての集落
跡。検出された遺構は、縄文時代の竪穴住居1棟ほか土坑類、
古墳時代から古代の竪穴住居跡24棟である。古墳時代の竪穴
住居は、出土土器より4世紀末ごろと考えられる。

14C年代測定法。
炭化材・・JJ24住カマド・・・1560±75(AD390年に相当)
共伴遺物は(土師器等)   推定時期(7世紀中葉)
         推定時期より260年古い土師器ということになる
炭化材・・JJ24住カマド・・・1630±75(AD320年に相当)
共伴遺物は(土師器等)   推定時期(古墳前期末葉)
         推定時期としては(ほぼ妥当)

湯舟沢(ゆふねざわ)遺跡
(岩手県岩手郡滝沢村大字滝沢字湯舟10)縄文・弥生・古墳古


諸葛川支流の小河川によって形成された低位段丘緩斜面に立
地。縄文時代から古代の集落跡。検出された遺構は、縄文時代
から古代の竪穴住居などである。特に弥生時代の竪穴住居跡は
18棟検出され、弥生時代中期前葉を中心とする1期、弥生時代
中期中葉を中心とするU期、弥生時代後期中葉を中心とするV
期に大別される。

14C年代法。
*Gak-11533(炭化材)・・・2850±100(BC900年)
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
  弥生中期中葉は(0年)。推定時期より900年古い(炭化材)
*Gak-11534(炭化材)・・・2890±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
  弥生中期中葉は(0年)。推定時期より940年古い(炭化材)
*Gak-11535(炭化材)・・・2860±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
  弥生中期中葉は(0年)。推定時期より910年古い(炭化材)
*Gak-11536(炭化材)・・・3090±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
   弥生中期中葉は(0年)。 推定時期より1140年古い(炭化材)
*Gak-11537(炭化材)・・・2770±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
   弥生中期中葉は(0年)。 推定時期より820年古い(炭化材)
*Gak-11538(炭化材)・・・4000±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
弥生中期中葉は(0年)。推定時期より2050年古い(炭化材)
*Gak-11539(炭化材)・・・2770±100
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
   弥生中期中葉は(0年)。推定時期より820年古い(炭化材)
*Gak-11540(炭化材)・・・2840±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
   弥生中期中葉は(0年)。推定時期より890年古い(炭化材)
*Gak-11541(炭化材)・・・1600±110
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
*Gak-11542(炭化材)・・・2920±120
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
弥生中期中葉は(0年)。推定時期より970年古い(炭化材)
*Gak-11543(炭化材)・・・2190±90
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
弥生中期中葉は(0年)。推定時期より240年古い(炭化材)
*Gak-11544(炭化材)・・・2840±90
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
弥生中期中葉は(0年)。推定時期より890年古い(炭化材)
*Gak-11545(炭化材)・・・2830±20
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
弥生中期中葉は(0年)。推定時期より880年古い(炭化材)
*Gak-11546(炭化材)・・・5390±130
共伴遺物は(弥生土器)   推定時期(弥生中期中葉)
弥生中期中葉は(0年)。推定時期より3440年古い(炭化材)
*Gak-11547(炭化材)・・・2880±110
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期前葉)
*Gak-11548(炭化材)・・・3200±110
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期前葉)
*Gak-11549(炭化材)・・・4230±120
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期前葉)
*Gak-11550(炭化材)・・・2420±110
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期前葉)
*Gak-11551(炭化材)・・・4250±140
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期前葉)
*Gak-11552(炭化材)・・・4010±120
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期前葉)
*Gak-11553(炭化材)・・・3790±140
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期中葉)
*Gak-11554(炭化材)・・・3440±90
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期中葉)
*Gak-11555(炭化材)・・・3880±110
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(弥生中期前葉)
弥生中期前葉は(BC100年)。推定時期より1930年古い
(炭化材)ということになる
*Gak-11556(炭化材)・・・2540±110
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(弥生中期前葉)
弥生中期前葉は(BC100年)。推定時期より490年古い
(炭化材)ということになる
*Gak-11557(炭化材)・・・2930±120
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(弥生中期前葉)
弥生中期前葉は(BC100年)。推定時期より880年古い
(炭化材)ということになる

沼久保(ぬまくぼ)遺跡
(岩手県二戸郡浄土法寺町大字沼久保15−1ほか)縄文

安比川流域の河岸段丘上に立地。縄文時代前期〜晩期の集落
跡。検出された遺構は、前期の竪穴住居跡2棟、後期の竪穴住
居跡6棟、土坑15基、落とし穴26基、焦土遺構3基など。遺物
は縄文時代前期〜晩期にかけて」出土。

14C年代測定法。
Gak-12678(炭化材)・・・3890±120
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期後半)
Gak-12679(炭化材)・・・4060±130
共伴遺物は(縄文土器)   推定時期(縄文後期後半)
Gak-12680(炭化材)・・・1780±120

泥這(どろはい)遺跡
(岩手県岩手郡葛巻町江刈37地割字畑61−48)旧石器

北上山地の中央部、馬淵川上流の河岸段丘上に立地。後期旧
石器時代末期に近い時期の竪穴住居跡が検出されている。遺
物・遺構は分火山灰層に覆われるV層上部で確認される。

14C年代測定法。
TH‐1440(炭化材)・・・4080±140(BC2130年に相当)
共伴遺物は(尖頭器)   推定時期(旧石器時代)
TH‐1440(炭化材)・・・8710±240(BC6760年に相当)
共伴遺物は(尖頭器)   推定時期(旧石器時代)

高瀬T遺跡
(岩手県遠野市松崎町駒木地内)縄文・平安・近世

猿ヶ石川南岸の大地上に立地し、縄文時代の陥し穴状遺構と
平安時代の集落、近世の墓域が検出された。平安時代の集落
は竪穴住居跡、掘立柱建物跡等からなり、周囲を溝跡が囲ん
でいる可能性が指摘されている。

14C年代測定法。
Gak-14200(炭化物)・・U区1号住居・・・1470±70BP?
       推定年代(平安時代)
    平安時代は約800年ころ。
      推定時期よりも 320年も古い炭化物の出土というこ
      とになります。
Gak-14201(炭化物)・・U区6号住居・・・1180±90BP?
       推定年代(平安時代)

煤孫(すすまご)遺跡
(岩手県北上市煤孫大地割56−6)縄文

和賀川の河岸段丘上に立地し、縄文前期紅葉〜中期前葉の
竪穴住居跡、土坑、陥し穴状遺構、平安時代の竪穴住居跡等
が検出されている。縄文時代の石器の内、半数近くの約2400
点が石錘で占められている。

14C年代測定法。
Gak-16221(炭化物)・・・1470±80BP(AD480年に相当)
共伴遺物は(土師器)   推定時期(平安時代?)
           (AD480年)が平安時代?
Gak-16222(炭化物)・・・1960±70BP(BC10年に相当)
共伴遺物は(土師器)
           (BC10年)が平安時代?
Gak-16223(炭化物)・・・2380±80BP(BC430年に相当)
共伴遺物は(土師器)    推定時期(平安時代)
           (BC430年)が平安時代!?????・・・

丸木橋遺跡
(岩手県九戸村大字江刺家第17地割)

瀬月内川の河岸段丘上に立地し、古代の竪穴住居跡が11棟
検出されている。住居跡は全て焼失住居であり、出土した土
師器から7世紀後半〜8世紀中葉の集落と推定されている。

14C年代測定法。
Gak-16224(炭化物)・・・2130±90(BC180年に相当)
共伴遺物は(土師器)    推定時期(7〜8世紀)
           (BC180年)が推定時期を(7〜8世紀)とすると
           あまりにも違いすぎるが?(−770年)

長倉W遺跡
(岩手県九戸郡軽米町大字第5地割字長倉166他)縄文

新井田川の河岸段丘上に立地し、縄文時代後期と考えられ
る陥し穴状遺構、土坑が検出された。土杭の一基から獣骨が
一体分出土しており、年代測定の結果古墳時代前期の獣骨
を埋葬した墓壙と考えられている。

14C年代測定法。
Gak-18552(獣骨片)・・・1630±130(AD320年に相当)
                       推定時期は(古墳前期)
            (古墳前期)の遺跡の推定は(ほぼ妥当)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【山形県】

仲代(なかだい)遺跡
(東田川郡朝日村大字熊手字仲代)縄文

赤川と水無川に挟まれた標高92mの、段丘上に位置する。
スキー場造成のため遺跡の一部が掘削を受けている。
調査面積は4750平方m。
竪穴建物跡1、炉跡2、土坑13など検出された。
縄文時代後期末〜晩期の土器が主に出土している。

14C年代測定法。
Gak-17783(炭化材)・・・3020±90(BC1070に相当)
   共伴遺物は(縄文土器・炭化材)
                  推定時期(縄文後期末〜晩期)
推定時期としては(ほぼ妥当)

栗山遺跡
(東田川郡朝日村大字熊手字栗山)縄文・弥生

赤川と水無川に挟まれた標高110mの、段丘上に位置する。
1969年に汚泥灌漑事業の採集土地となり、遺跡の大部分は破
壊され東側縁辺が残っている。
建物跡(竪穴)5、土坑10、地床炉跡など検出された。
土器は縄文時代中期の大木8b式期併行である。

14C年代法。
Gak-17780(炭化材)・・・4280±100(BC2330年に相当)
共伴遺物は(縄文土器・大木8b) 推定時期(縄文中期)
Gak-17781(炭化材)・・・4490±90(BC2540年に相当)
共伴遺物は(縄文土器・中期) 推定時期(縄文中期)
Gak-17782(炭化材)・・・2190±80(BC240年に相当)
共伴遺物は(弥生土器) 推定時期(弥生前期)
         推定時期としては(ほぼ妥当)
    
今塚遺跡
(山形市今塚)古墳・平安

馬見ヶ崎川扇状地の先端部標高102mの湧水地帯に位置す
る。
古墳時代(4世紀)と平安時代(9世紀)の複合遺跡である。
古墳時代の遺構は竪穴建物跡30、河川跡、畑跡が検出され
た。塩釜式期の大壺が2個体出土している。
平安時代の遺構は掘立柱建物跡9、井戸跡2、土杭が検出さ
れた。
陰陽道にかかわる墨書土器が多数出土している。

14C年代法。
Gak-17815(炭化材)・・・2160±80(BC210年に相当)
    共伴遺物は(土師器) 推定時期(古墳前期)
      古墳前期はAD250年〜だから、推定時期より460年
      古い土器(土師器)ということになる。
Gak-17816(炭化材)・・・1530±80(AD420年に相当)
共伴遺物は(土師器) 推定時期(古墳前期)
推定時期としては(ほぼ妥当)

木原遺跡
(飽海郡遊佐町大字宮田字木原)平安・中世

月光川右岸の標高6m程度の沖積平野の自然堤防上に位置
する。
掘立柱建物跡12、井戸跡4、土坑が検出された。
須恵器、赤焼土器が出土。コンロ(支脚)形土器が5〜6固体
分ある。

14C年代法。
炭化材(柱根)・・・860±120(単位が「BP」なのか「AD」なのか
分からない)
推定時期としては(9世紀末)とされているので、おそらく「AD」
なのだろう。

畑池遺跡
(鶴岡市大字淀川字畑池)古墳

大山川と湯尻川に挟まれた、標高12mの自然堤防に位置し
ている。
溝で囲われた建物跡3、竪穴建物跡3、土坑37、河川跡が検
出された。
北陸系の土師器が出土している。

14C年代法。
Gak-17645(炭化材)・・・2170±180(BC220年に相当)
      共伴遺物は(土師器) 推定時期(古墳時代)
推定時期に対し520年も古い(炭化材)ということになる
Gak-17646(炭化材)・・・1930±180(AD20年に相当)
      共伴遺物は(土師器) 推定時期(古墳時代)
     推定時期に対し280年古い(炭化材)ということになる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

【秋田県】

鳶ヶ長根(とびがながね)U遺跡
(大館市軽井沢字 鳶ヶ長根)縄文

縄文晩期の土坑が7基検出された。住居跡は検出されなかっ
たが、付近の未調査区に存在すると推定される。   

14C年代測定法。
N‐3967(炭化物)・・・2980±90(BC1030に相当)
共伴遺物は(土器)    推定時期(縄文晩期)

鳶ヶ長根(とびがながね)V遺跡
(大館市軽井沢字 鳶ヶ長根)縄文

縄文晩期前半の竪穴住居跡6軒、土坑33基を検出した。

14C年代測定法。
N‐3966(炭化物)・・・2780±90(BC830に相当)
共伴遺物は(土器)    推定時期(縄文晩期)
N‐3968(炭化物)・・・2940±90(BC990に相当)
共伴遺物は(土器)    推定時期(縄文晩期)

鳶ヶ長根(とびがながね)W遺跡
(大館市軽井沢字 鳶ヶ長根)縄文

縄文後期初頭の竪穴住居跡1軒、埋甕炉2基、埋設土器基、
土坑10基が検出された。他に、縄文早期晩期の土器、弥生
後期の土器が出土した。

14C年代測定法。
N‐3736(炭化物)・・・4870±80(BC2920に相当)
共伴遺物は(土器)   推定時期(縄文後期)

飛鳥平(あすかたい)遺跡
(鹿角市八幡平字飛鳥平14番地)縄文・平安

縄文時代の竪穴住居跡5軒、平安時代の竪穴住居跡8軒、
土坑22基、埋甕2基などが検出された。

14C年代測定法。
N‐4137・・・1240±75
N‐4138・・・790±75 推定時期(平安)
N‐4139・・・3900±75 推定時期(縄文後期)
N‐4140・・・1140±80
N‐4141・・・3930±95 推定時期(縄文後期)
N‐4142・・・3120±80 推定時期(縄文後期)
N‐4143・・・113100±115 推定時期(縄文後期)
N‐4144・・・3230±65 推定時期(縄文後期)

妻の神(さいのかみ)T遺跡
(鹿角市花輪字妻の神31番地他)縄文・平安

空堀によって区切られた二つの郭に、平安時代の竪穴住居跡
33軒、土坑6基が検出された。防御性の強い集落である。

14C年代法。
N‐4445(木)・・・1030±80・・・推定時期(平安)
N‐4446(木)・・・1210±80・・・推定時期(平安)
N‐4447(木)・・・970±75・・・推定時期(平安)
N‐4448(木)・・・820±75・・・推定時期(平安)
N‐4449(木)・・・400±60・・・推定時期(平安)

妻の神(さいのかみ)U遺跡
(鹿角市花輪字妻の神31番地他)縄文・平安・中世

縄文時代の竪穴住居跡5軒、土坑24基、フラスコ状ピット、平安
時代の竪穴住居跡4軒、中世の竪穴住居跡1軒などが検出され
た。

14C年代法。
N‐4134・・・1310±80(AD740年に相当)・・・推定時期(平安)
N‐4134・・・3790±85(BC1795年に相当)・・・推定時期(縄文)

駒林遺跡
(鹿角市八幡平字駒林)平安

平安時代の竪穴住居跡3軒、掘立柱建物跡1棟、土坑4基を
検出した。

14C年代法。
N‐4134(炭化物)・・・1240±75(AD710年に相当)
      共伴遺物は(土器)   推定時期(平安)
       推定時期としては80年古い土器なのでは?

土井遺跡
(山本郡八森町字土井29番地他)平安

平安時代の竪穴住居跡・竪穴遺構9棟、土坑3基、溝14条の
他、旧石器時代の石器、縄文時代の土器・石器が検出された。

14C年代法。
Gak‐11317(炭化材)・・・1640±90A.D.310
共伴遺物は(土器) 推定時期(平安)
    推定時期より約500年古い土器の出土

此掛沢(このかけざわ)遺跡
(能代市浅内市字此掛沢119番地他)旧石器・平安

旧石器時代の遺物が多く出土したが、平安時代の竪穴住居
跡も1棟検出した。

14C年代法。
Gak‐11449(木)・・・1490±90A.D.460
       共伴遺物は(土器) 推定時期(9世紀後半)
     推定時期より400年古い土器が出土したことになる

上の山遺跡 
(能代市浅内市字上の山138番地他)平安

平安時代(10世紀代)の集落跡で、竪穴住居跡20、掘立柱建
物跡3棟、土坑23基などが検出された。

14C年代法。
Gak‐11450(木)・・・1460±90(AD490年に相当)
       共伴遺物は(土器) 推定時期(10世紀後半)
 これも、推定時期より460年古い土器が出土したことになる

案内W遺跡
(鹿角市花輪字案内89番地他)縄文・弥生・平安

縄文時代の土坑、埋甕、平安時代の竪穴住居跡などが検出さ
れた。

14C年代法。
Gak‐11338(木)・・・1490±100(AD460年に相当)
推定時期が(平安)だから約400年古い木片道具が長く使
  用されていたのかも知れない。

案内W遺跡
(鹿角市花輪字案内102番地他)縄文・弥生・平安

縄文時代の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、土坑などが検出され
た。

14C年代法。
Gak‐11339(木)・・・3700±200・・・推定時期(縄文)
Gak‐11340(木)・・・4270±110・・・推定時期(縄文)

払田柵跡(ほったのさくあと)遺跡
(仙北郡仙北町払田・千畑町本堂城回)平安

9世紀初頭の城柵官衙。1974年から継続調査中。SX368は、
政庁北東部にある竪穴住居跡。SI571は、政庁北部にある竪
穴住居跡。年輪年代測定は、外郭線と外柵の材木塀に使用し
たスギ材。

@14C年代法。
Gak‐11882(木・・(SX368)・・・1680±80(A.D.270)
Gak‐11883(木)・・(SI571)・・・1930±80(A.D.20)
 9世紀初頭の城柵(SX368)、(SI571)の板材は数
       百年(500年以上)前の木材を使用している。
A年輪年代法。
 1・・(木)・・外柵・・・800・・・推定時期(平安)
 2・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
 3・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
 4・・(木)・・外柵・・・780(枯死材)・・・推定時期(平安)
 5・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
 6・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
 7・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
 8・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
 9・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
10・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
11・・(木)・・外郭線A列・・・801・・・推定時期(平安)
12・・(木)・・外郭線A列・・・801・・・推定時期(平安)
13・・(木)・・外郭線A列・・・801・・・推定時期(平安)
14・・(木)・・外郭線整地層下・・・801・・・推定時期(平安)
15・・(木)・・外郭線C列・・・907・・・推定時期(平安)
16・・(木)・・外柵・・・801・・・推定時期(平安)
             ・・・の計測結果のみ。 

寒川T遺跡
(能代市浅内字12林6番地)縄文・弥生・古墳・平安

主として縄文早期〜前期初頭の竪穴住居跡、土坑などが検出
された。

14C年代法。
Gak‐13141(炭化物)・・・5470±130
 共伴遺物は(土器・石器) 推定時期(縄文早期末)

寒川U遺跡
(能代市浅内字 寒川家の上48番地)縄文・弥生・古墳・平安

主として縄文文化の土杭墓が検出された。

14C年代法。
Gak‐13142(炭化物)・・・1280±90
   共伴遺物は(土師器)  推定時期(平安)
Gak‐13143(炭化物)・・・4610±90

下田遺跡
(平鹿郡大森町坂井田字下田7−8他)縄文・弥生・平安

縄文前期・晩期弥生時代の竪穴住居跡や土坑跡、建物跡が
検出された。

14C年代法。
@Gak‐13657(炭化物)・・・2720±100(A.D.1670)(BC770?)
AGak‐13658(炭化物)・・・3600±120(A.D.920)(BC1650?)
BGak‐13659(炭化物)・・・200±90(A.D.1750)
CGak‐13660(炭化物)・・・1190±70(A.D.760)
DGak‐13661(炭化物)・・・510±80(A.D.1440)
共伴遺物はすべて(土器)   
@は(BC770?)が正しいのでは
Aも(BC1650?)が正しいと思う。

上の山U遺跡(第2次調査)
(大館市山館字上の山17−1他)縄文

縄文時代中期中葉〜晩期の竪穴住居跡7軒、土坑29基、土
器埋設遺構1基などのほか、早期の土器・石器が出土した。

14C年代法。
Gak‐13661(炭化材)・・・3340±100(1540B.C.)(BC1490?)
     共伴遺物は(土器)  推定時期(縄文後期前葉) 
   推定時期は(BC1490?)に思えるのだが?。

手取清水遺跡
(横手市水田新田字皿川旦2)縄文・弥生・平安・中世・近世

縄文晩期から弥生時代の遺物、古代・中世の掘立柱建物跡、
9〜10世紀代、13世紀ごろ、14世紀後半で、殊に古代におい
ては多くの墨書土器・木簡の存在から、一般集落とは異なり、役
所的機能などが想定される。

14C年代法。
Gak‐13650(流木)・・・1700±120(A.D.250)
Gak‐13651(流木)・・・1800±140(A.D.150)
Gak‐13652(流木)・・・460±130(A.D.1490)
Gak‐13653(木〔柱〕)・・・440±80(A.D.1510)
Gak‐13654(木〔柱〕)・・・1080±150(A.D.870)
Gak‐13655(木〔柱〕)・・・710±90(A.D.1240)
Gak‐13656(木〔柱〕)・・・1320±110(A.D.630)

諏訪台C遺跡
(大館市大茂内字諏訪台33番地他)縄文・弥生

縄文後・晩期の竪穴住居跡、炉跡、弥生時代前期の竪穴住居
跡、平安時代の竪穴住居跡を検出した。年代測定資料は弥生
前期の竪穴住居跡からの採取である。

14C年代法。
Gak‐14161(炭化物)・・・2560±80(620B.C.)
    共伴遺物は(土器・石器)  推定時期(弥生前期)
推定時期としては320くらい古い土器
Gak‐14162(炭化物)・・・2240±70(290B.C.)
共伴遺物は(土器・石器)  推定時期(弥生前期)
     推定時期としては(ほぼ妥当)

竹原(たけわら)遺跡
(平鹿郡平鹿町上吉田間内竹原118〜121)

奈良〜平安時代の窯跡6基、その灰原13箇所、竪穴住居跡1
軒などが検出された。

14C年代測定法。
Gak‐14212(炭化物)・・・750±80(A.D.1200)
                       推定時期は(平安)

Gak‐14213(炭化物)・・・1610±100(A.D.340)
推定時期は(奈良)
     奈良時代は710年からだから、推定時期としては370年
     古い(炭化物)となる。
Gak‐14214(炭化物)・・・1840±100(A.D.100)
推定時期は(奈良)
     奈良時代は710年からだから、推定時期としては610年
     古い(炭化物)となる。
Gak‐14215(炭化物)・・・1830±80(A.D.120)
推定時期は(奈良)
奈良時代は710年からだから、推定時期としては590年
     古い(炭化物)となる。
Gak‐14216(炭化物)・・・1900±100(A.D.50)
推定時期は(平安)
平安時代は794年からだから、推定時期としては750年
     古い(炭化物)となる。

古野(この)遺跡
(秋田市上北手古野字向老方16他)旧石器・縄文・平安・中世・
近世

縄文中期の竪穴住居跡1軒、縄文時代(時期不明)の土坑1基、
平安時代の竪穴住居跡2軒、土坑1基、鎌倉時代の建物跡1棟
などが検出された。

14C年代法。
Gak‐18156(炭化物)・・・1120±120(A.D.830)
Gak‐18157(炭化物)・・・1420±80(A.D.530)
推定時期は(平安)
Gak‐18158(炭化物)・・・960±80(A.D.990)
推定時期は(平安)
Gak‐18159(炭化物)・・・3440±90(1490B.C.)
推定時期は(縄文中期)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【宮城県】

宮城県には古い旧石器の資料分析結果データがある。その中
の一番古い年代は(BC2600000)のものがある。その資料名
は(高森第一火山灰−C)というもので、(池月火砕流溶結部)、
(縮尺火砕流)、(湯沢火砕流)など、一連の十万単位の古いデ
ータの中でも一番古いものです。

弥生・古墳の資料は少ないが、貴重なデータを次に示します。

富沢遺跡
(宮城県仙台市太白区富沢、泉崎、長町南他)
旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世

広瀬川と名取川に挟まれた後背湿地に立地する。標高は9〜
16m。第0次調査では、後期旧石器時代の火を焚いた跡とそ
のまわりから石器が検出され、野営地と考えられている。弥生
時代以降は、主に水田耕作による食量生産域として使われた。
古墳時代後期や中世には、一部の微高地に居住域が営まれ
た。明治初期の墓も検出されている。

14C年代法。
(5次調査)
N‐4909(泥炭土・水田跡)・・・2370yBP±75y(BC420年に相当)
共伴遺物(石器)    推定時期(弥生中期)
       推定時期より520年古い石器
N‐4910(泥炭土・水田跡)・・・2580yBP±75y(BC630年に相当)
共伴遺物(石器)    推定時期(弥生中期)
       推定時期より730年古い石器 
N‐4911(泥炭土・水田跡)・・・2440yBP±80y(BC490年に相当)
共伴遺物(石器)    推定時期(弥生中期)
       推定時期より590年古い石器
N‐4912(泥炭土)・・・3200yBP±60y 推定時期(縄文)
                
N‐4913(泥炭土)・・・4620yBP±75y 推定時期(縄文)
                
N‐4914(泥炭土)・・・5440yBP±80y 推定時期(縄文)
                
N‐4915(泥炭土)・・・5530yBP±105y 推定時期(縄文)
                
N‐4916(泥炭土)・・・5070yBP±90y 推定時期(縄文)

(28次調査)
Gak‐13514(泥炭土・火山灰直下)・・・5000yBP±140y (縄文)
Gak‐13515(泥炭土・火山灰直下)・・・5000yBP±100y (縄文)
Gak‐13516(泥炭土・下部採取)・・・5000yBP±120y (縄文)
Gak‐13517(樹木片・水田跡)・・・3250yBP±150y(BC1300年)
共伴遺物(木器・土器)    推定時期(弥生中期)
    弥生中期は(BC100年)だから1200年古い遺物という
    ことになる 
Gak‐13518(樹木片・水田跡)・・・1710yBP±110y(AD240年)
共伴遺物(土器)        推定時期(弥生中期)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【福島県】

月ノ輪山1号墳
(福島県鎌田字月ノ輪)古墳時代

横穴石室を持つ大型の古墳で、石室内から頭椎太刀・鉄鏃・耳
環・玉類などの遺物が多く出土している。

14C年代法。
布・・(頭椎太刀把頭内)(石室より)・・・A.D.216±130年
            古墳時代は300年からだから約80年古い布
            となる

河股城跡
(伊達郡川俣町大字東福沢字万所内山・兎田・兎田山地内)
縄文・弥生・平安・中世

天象2(1584)年頃、伊達政宗の命により桜田資親が造営した
とされる城跡。検出遺構には平場、掘立柱建物跡、柱列、土坑、
焼土遺構などがある。平安時代の土坑や縄文・弥生時代の遺
構もわずかながら出土している。

14C年代法。
Gak‐15081(木炭)・・・ A.D.1030 ±90年
Gak‐15106(木炭)・・・ A.D.380 ±70年   推定時期(平安)
平安時代としての推定時期は420年古い(木炭)ということに
  なる

栗出館(くりでたて)跡
(田村郡大越町大字栗出字沢目木)

栗出館跡は中世の城館跡であり、発掘調査は東側の堀跡と考
えられた部分について行われている。その結果、堀跡は検出さ
れなかったが、 平安〜中世にかけての水田跡が3面、溝跡7
条が検出された。遺構は大きく3時期に分けられ、5・6号水田
跡と3号溝跡は第1期(平安前期=9世紀)、1〜4号水田跡と
2・4号溝跡は第2期(平安中期=9〜10世紀)、7号水田跡と
1・6・7号溝跡は第3期(中世)に分けられる。

14C年代法。
FBC‐14C‐920001(自然木)・・1580 ±100B.P.(A.D.370年)
推定時期は(平安中期)
FBC‐14C‐920001(自然木)・・1050 ±70B.P.(A.D.900年)
推定時期は(平安中期)

落合遺跡
(田村郡小野町大字飯豊字落合)縄文〜平安

南方の開けた、東西を尾根挟まれた沢および丘陵の斜面に立
地する。平安時代から江戸時代までの集落跡、墓跡、祭祀跡
が検出された。墨書土器、木製品、土製馬舶載磁器のオランダ
焼、蛇紋岩製石帯などの遺物が出土した。

14C年代法。
NUTA- 1023(資料・ツチノコ)・・・510±70B.P.(AD1440年)
推定時期は(15世紀中葉)・・・まさにピッタリ

久世原(くぜはら)館
(いわき市内郷御厨町久世原)

東西に走る丘陵上に立地。中世城館で、中国元代(14世紀)
の青磁香炉などが出土した。

14C年代法。
Gak‐15897(材・51号土坑)・・・1250±70B.P.(AD700年)
一般に12世紀末鎌倉幕府の成立から17世紀初め江戸幕
府の確立までを中世というので、約500年古い資料の(材)
  である。

番匠地(ばんしょうち)遺跡
(いわき市内郷御厨町番匠地)縄文・屋よ・古墳・奈良・平安

東西に走る丘陵の南側の谷地に立地する。縄文時代後期の
土器群、弥生時代の水田跡などが検出された。

14C年代法。
Gak‐15898(資料・材)・・・1040±170B.P.(AD910年に相当)
           推定時期は(平安)・・・これはピッタリ
Gak‐15899(資料・材)/・・2280±100B.P.(BC330年に相当)
推定時期は(弥生時代中期)となっているが、330年も古い
   (材)です。
Gak‐15900(資料・材)・・・3170±90B.P.
   推定時期は(縄文時代晩期)
Gak‐15901(資料・材)・・・3480±70B.P.
   推定時期は(縄文時代晩期)

次は、関東から(北緯陸・中部)となります。

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