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zoom RSS 遂に倭人伝の道程が解けた!。―(3) 投馬國と邪馬壹國

<<   作成日時 : 2013/05/07 18:44   >>

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放射性炭素(C14)測定法を早く紹介しなければならないと先へ
急ぎ過ぎてしまい、「投馬国」の行程と倭人伝本命の邪馬壹国の
位置についての論証を置き去りにして次へ進もうとしてしまいま
した。

それで・・・、
今ページも前ページの引き続きを書かなければならいと思って
・・・・・・。

倭人伝では、「投馬国」と「邪馬壹国」のところの方向と位置につ
いては次のようになっています。

“・・・不彌國百里・・・略・・・南投馬國水二十日・・・略・・・五萬
餘戸南邪馬壹國女王之所都水十日陸一月・・・略・・・七萬
餘戸・・・以下略・・・。”と。

邪馬壹國については、日本国においての最終目的地であるゆえ、
倭人伝の冒頭の“従郡至倭”の「至」の動詞を受けて“水行十日
陸行”となっていることで、「」と「」の二つの動詞の構文とな
るゆえ当然、主線行程となるところです。
そして、「投馬國」の場合は邪馬壹國のように最終目的地となっ
てはいないから、「」一つの動詞の構文となり、ゆえに傍線行
程として読まなければなりません。

また、「投馬國」は方向が南「水行二十日」となっていますが、こ
れは傍線行程ということだから、実際は魏使はそこまで行っては
いません。
当時の倭人は、「二倍年歴」で年数や日数を数えていた習俗で、
その日数を聞いたそのままを倭人伝に記録したところだから、実
際に要した日数は、“郡から邪馬壹国”までの「水行十日」と同じ、
十日間の日程で「投馬國」に着く、ということになります。
下図のグーグルアースでその海岸線に沿った東回りで航行する
行程を追ってみると、黄色い線とオレンジ色の線の長さが大体等
しいところに、古墳時代としては有名な西都原古墳群が見えてき
ます。
画像



















上図で示したように、その宮崎県の西都原古墳群近辺には「都
万神社」という名の神社があります。そしてその神社の読み方
が、なんと!「ツマ神社」となっている。投馬もツマと読めるゆえ、
この地が「投馬国」であったかも知れない。今はそのように考え
ています(以前は、「投馬国」は薩摩〔縄文・上原遺跡の地〕領
域と考えていましたが)。

これだけの広大な土地にあれだけの古墳の乱立状況は、その
時代以前にも強大な勢力を張っていた国がその地に栄えていた
ことを証明していて、倭人も確かなことを魏使に伝えていたので
はないか、と。

ところで・・・、
邪馬壹國のところで、“女王之所都水行十日陸行一月”と書か
れていますが(これも前に何回か書いた記憶があるのですが)、
倭人伝の総行程距離(12000里)を「日にち計算」で要する期
間を表したもので、トータル(12000里)に(水行十日陸行一月)
の距離換算した数値を加えてはならない、ということになります。
加えると倍の24000里になってしまいますから。

そして、邪馬壹国の北には「不彌國」があります。この「不彌國」
と「邪馬壹国」の区間距離が示されていないから、その区間ゼロ
とみて邪馬壹国の玄関口と考え、その「不彌國」(鴻臚館・迎賓
館の所在地)が玄関口となることも、前々ページで述べたところ
です。

ここで、邪馬壹国までの行程記事の論証を終えて、つぎは本当
に本当の放射線(C14)測定法の論証に入ります。

次ページもよろしく、・・・では。

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